Special Thanks to フロアコーティング

事業仕分け劇場は今年かぎりで

2009年11月27日 00:00

今日、11月27日は後半戦の最終日だ。

与党・民主党は「子ども手当」「高速道路無料化」「農家への所得保障」と言いながら、結局、財源が足らず、事業仕分けをやっている。やらないよりはやったほうがよい。塵も積もれば山となるかもしれないが、事業仕分けというのは、地方自治体の規模に適したやり方で、国レベルでやるには適していない、というのが私の考えだ。近所にふたつも公園はいらないとか、公民館の修繕費が高すぎるとか。そういう予算レベルの精査を行うための手法ではないかと思う。

役所用語で言うところの事業とは各省庁の各部局が行っている「単品メニュー」だ。

仕分け人「そのメニューをオーダーしたのは何人ですか?」
お役人「100人です」
仕分け人「それでは採算に合ってませんね」
お役人「われわれも経営努力をしてますが……」
仕分け人「でも、付け合わせのポテトは大きいじゃないですか?」
お役人「……(無言)」
仕分け人「このメニューは『廃止』とします!(キっー)」


私は「単品メニュー」ではなく、「フルコース」の仕切り直しをするのが、国政レベルの仕事かと思う。事業の断片を見るのではなく。だから、財務省主計局の仕事とあまり変わらないではないか? という批判も出てくる。

極端な話をする。
かなり危ない話をする。
たとえば、私はギャンブルの利権こそ、聖域中の聖域なので、以下のようなテーマを「しがらみのない政治」をスローガンにした人たちに、手を突っ込んでもらいたい。

競馬。馬産、馬事振興にかかわるので農林水産省が管轄。
パチンコ、パチスロ。治安維持を名目に警察庁が管轄。
競輪。自転車産業振興ということで経済産業省が管轄。
競艇。船は旧運輸省の流れで国土交通省が管轄。
宝くじ。財務省が管轄。

「みんなギャンブル利権があっていいなー」と言ったかどうかは知らないが、そこに文部科学省には、スポーツ振興を名目にしてTOTOが加わった。
族議員と官僚たちがつくった見事な利権、縦割り分配の図式だ。

もし、これらを一元管理することができれば、各省庁にぶら下がる天下り先がなくなり効率経営ができる。特別会計も透明化する。コストが減るだけではなく、たとえばインターネット投票なども、一括で申し込むことができれば、顧客の利便性も増し売上増が見込めるだろう。

別にギャンブルに限ったことではなく、国政でやってほしいことは、テーマ設定をしたうえで行う事業統合や事業再編だ。「点」ではなく「面」、縦割りではなく水平思考をしてほしい。

……というわけで、今年は時間がなくてしかたなかったと思うが、現行の事業仕分けが慣例化しないことを願う。

有料化の意味がわかりました

2009年11月26日 10:00

みんなに教えていただいた。
下記のエントリーで書いた、「意味がわからない」の意味がやっとわかった。
私の読解力不足が原因だ。

ただ、ひと言、申し上げさせていただくと、記者さんは併載されている写真があることを前提にして、本文を記述している点、さらに、見出しも誤解を招きやすく、一瞬、見ただけでは、利用者が課金される、と受け取られないかねないような書き方ではないだろうか。実際に「1回つぶやくと料金がとられるの?」とつぶやいた人もいた。

ともあれ、お騒がせしました。

記事内の写真(クリックすると拡大します)のように、利用者が課金されるのではなく、つぶやきを有料にしてもよいということらしい。

事例にあるように、たとえばイベントがある。その参加費用をあらかじめTwitterで決済しておく、というのは便利かもしれない。

だが、インターネットの世界では、えてして性善説を信じてはじめたサービスが、性悪説的な方向へと流れる。芸能スキャンダルや、いかがわしいギャンブルの予想や、アダルトサイトへの誘導などが出てくるのは、容易に想像できること。それをまた取り締まるためのパトロールを設置して……のイタチごっこがはじまったら、今のSNSと同じで、そうはなってほしくない。

仮定の話の心配をしてもしかたないので、静観しつつ、Twitterを今日も利用するだろう。

つぶやきを有料コンテンツに、のつぶやき

2009年11月25日 21:51

「つぶやきを有料コンテンツに――Twitterに課金システム、来年1月から」という記事を見たので、Twitterで、意味がわからない。「つぶやきを有料コンテンツに――Twitterに課金システム、来年1月から」とつぶやいた。そしたら、私自身、はじめて経験するくらい、引用されている。

意味がわからないのは、Twitter社と資本・業務提携している株式会社デジタルガレージの真意もそうだが、記事の意味がわからない。

この記事が出るまえにニュースリリースがあれば、理解できるがそれも現時点ではないようだ。
私の引用もそうだが、今、猛烈な勢いで「つぶやきを有料コンテンツに」がつぶやかれ、おおむね否定的な意見が飛びかっている。

周囲が汚い言葉を並べるなか、Twitterがつぶやきの叛乱を浴びていることのアイロニーを指しているのか、ある賢人は「おもしろいことになってきた」と冷静につぶやいている。

Twit.jpg

もし、ブロック崩しのすき間がなかったら……

2009年11月25日 00:02

私がいっぱしにテレビゲームの歴史を語ることができるのは、というか語りたくなってしまうのは、アタリ社の『PONG』をボウリング場で実際に遊んでいた、という原体験があるからだろう。正式名称は『PONG』だが、“テニスゲーム”と呼ばれていた。当時、小学4年生だった。



そして、『PONG』は流行ったが、当時の感覚では、その瞬間だけに起きたブームだと思われていた。
消滅するはずのテレビゲームが、別の人たちの知恵によって、継承された姿を、目撃したことも自分に強烈な印象を残している。

『PONG』の次に流行したのは、“ブロック崩し”と言われた『BREAKOUT』だった。
このゲームには、現アップル社CEOのスティーブ・ジョブスもかかわっている。よく、アップルはテレビゲームのことがわかっているとか、いないとか。巷間で議論されているが、わかっているに決まっている。なぜならば、スティーブ・ジョブスは、世界最古のテレビゲームメーカー、アタリの元社員で、エンジニアとして実際にゲームソフトを開発しているからである。



上の映像はオリジナルではないが、『BREAKOUT』とは、こういうゲームだった。
どうしたわけか、私は『BREAKOUT』の仕様書らしきものを持っている。

breakout.jpg


これを見ればわかる通り、壁を手前から突き破って狭いすき間に入り込み、裏側からブロックを壊す行為を『BREAKOUT』と命名していた。

大切なのは上部のすき間だ。
もし、『BREAKOUT』の上部にすき間がなくて、ただ画面上部にブロックが貼りついていたなら、刺激の少ない遊びとも言えない遊びになっていたに違いない。

『PONG』は一過性のブームに終わらずに、『BREAKOUT』に引き継がれた。
だが、このゲームを成功させたのは、わずか数センチのすき間かと思うと、テレビゲームの進化の歴史は綱渡りのようだったと思わざるをえない。

1962年

2009年11月24日 00:00

最近、mixiの掲示板に「ぶっ殺します」などと書き込んだ疑いで、書類送検された宅八郎。元・オウム真理教でスポークスマンをつとめた上祐史浩(宗教団体ひかりの輪代表)。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件犯として逮捕され、死刑判決を受けた宮崎勤。そして、私は、同じ年に生まれた。1962年だ。

1962年生まれというと、白黒テレビを知っていて、それがカラーテレビになった喜びを知っていて、レコードをカセットテープに録音することを小学生の頃に覚えた。中学生時代はラジオの深夜放送を聞いた。高校時代にはウォークマンが登場。大学時代にはファミコンが出て、社会人になると、ビジネス文書は手書きからワープロに変わった。そして、パソコン、ビデオデッキの普及期に、社会人生活がはじまる。

つまり1962年生まれは、「メディア」の変化とともに、生涯を過ごした世代で、その生年からしてオタク気質を持っていた世代ではないかと思う。

犯罪者の名前ばかりもなんなので、元・スクウェアで『ファイナルファンタジー』のプロデューサーだった坂口博信さん、トム・クルーズ、布袋寅泰、柳沢慎吾も1962年生まれだ。

ともあれ、私は恥ずかしながら今日が誕生日で、47歳になる。
『ひょっこりひょうたん島』を見て、仮面ライダースナックを食べ、『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』を聞いていた少年は、ニンテンドーDSi LLを持ち運んでもいいと思っているが、視野角が広いので『ラブプラス』を持ち歩くのは、止めようと思いながら、今日という日を迎えた。

ニンテンドーDSi LLの視野角

2009年11月23日 22:42

ニンテンドーDSi LLの視野角の広さ、これでなんとなくおわかりでしょうか?

shiyakaku.jpg

働くことの幸福や夢は書かれていない

2009年11月23日 16:51

勤労感謝の日なので、勤労感謝の日、らしいことを書く。

労働基準法という法律があるが、もし時間があれば、この条文を読んでほしい。熟読しなくても、文章の全体を目で追っているだけで、何だか暗い気持ちになりはしないだろうか? 強制貯金、解雇、年少者の使用、危険有害業務、葬祭料のことなどが書かれていて、それぞれの条文は大切なことなのだろうが、「働くことは尊いことだ」といった、夢のある話が出てこない。

日本の法律の第一条ってやつは、その法律ができた「目的」などが書かれていて、いちおう、前向きなことが書かれている。

●教育基本法
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

●建築基準法
(目的)
第一条  この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。

「心身ともに」とか、「公共の福祉の増進」とか、条文の常套句でそれは具体的に何を指すかはともかく、これらは私が言う、前向きな感じが盛り込まれている。

さらに、法律によっては第一条のまえに「前文」という、まえがきがあってさらに高邁な理想論が書かれているものもある。

ところが、労働基準法ったら、

(労働条件の原則)
第1条 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。

……であり、労働者は虐げられるものであることを前提しているようで、素っ気ない。
そして、条文すべてに通じて言えることなのだが、労働=労苦。働くことは苦しいもの、ということを前提にして、つくられているようなのである。

働くことは幸福なこと、というメッセージがどこにも書かれていない。
労働基準法の労働観は、資本家は労働者を虐待していた頃の名残りのようだ。


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