Hisakazu Hirabayashi * Official Blogスポーツ

喜べてよかった

対デンマーク戦で勝った。
喜べてよかった。
昨日のエントリーで書いたように、喜びは楽しみよりも、重い価値があることを痛感した。

いつもは静かな自宅の周囲でも、歓喜の声が早暁に響いていた。
歓楽街・渋谷では、サポーターたちが朝から大騒ぎをしていたらしい。

歓喜。
歓楽。


手前みそだが、熟語にしてみても「喜」のほうが、気品が漂っているではないか。

楽しみに浸る……という言葉はないが、喜びに浸る……という言葉はある。
喜びは持続性も高いのか。

試合結果をこのサイトで振り返っている。
へえ、数字にするとこういうデータになるのか、などと寝不足の頭で振り返りながら。

恐るべしFIFA。
恐るべしPDF。
スポンサーサイト

無給であり、親指を立ててはいけない

judge.jpg

昨日は少年軟式野球の審判の講習を受けてきた。
塁に立って、セーフとアウトの判定、フェアとアウトの判定を指導員のもとで行う。
簡単なようなことでいて、これがけっこう、緊張する。
たとえば、アウトを宣告するとき、思わず親指を立てそうになるが、それは審判としてのマナー違反。
アマチュア野球では、親指を手のひらの中に入れなくてはいけない。

ところで、現在、選抜高校野球の真っ最中だが、あの試合の審判は「報酬なしのボランティア。仕事をやりくりしながら講習を受けて技量を磨き、試合となると球場に駆け付ける」と主催者の毎日新聞社も、一種の美談として伝えている。

喉もと過ぎれば熱さを忘れているのか、最近、私の周囲では話題にならないが、バンクーバー・オリンピックが終わった直後、選手強化にもっと予算をつけないと……という論があった。

野球に限らず、アマチュアスポーツのすべてと言っていいだろう。審判は無給ないしは、ささやかな日当で、その役割を果たしている。それで良いのだろうか? スポーツの発展のためには、選手の育成だけではなく、試合を成立させるために必要な審判に正当な報酬を支払うことは、大事なことかもしれない。

はたまた、審判は無給という文化は、日本的な美徳なのかもしれない。
考えは人によって違うだろう。私の考えも定まっていない。ただ、高校野球の審判は無給でグラウンドに立っていることは、意外と知られていないことかな? と思い、書いてみた。

毎日放送は、82回選抜高校野球大会をインターネットで全試合を中継している。
試合内容以上に、私は審判の動きが気にかかる。
特にアウトを宣告した際の親指が……。

情報のオリンピック

昨日同様、間をはずしたといえば、今回も間をはずしたエントリーです。

バンクーバー・オリンピック。
すごかった、です。
情報量が。
マスメディアに加えて、インターネット・ニュースに、動画配信に、YouTubeにTwitterに情報が流れまくる。

すると何がもたげるかというと「評論をしたい」という欲求で、今日も早いランチを食べていたら、おばさま方4人が、フィギュアスケートの採点方法について、語っていらっしゃいました。

「真央ちゃんはトリプルアクセルを決めたじゃない」
「難度の低い技で加点を狙ってばかりいては、フィギュアスケートとアイスダンスの区別がつかなくなるわよ」
「採点方法、次は変わるんでしょ」(以下略)

情報が多いと、何かを語りたくなるものです。
その語った情報が、また新たな語りたくなる欲求を生み……。
今回のオリンピックは、情報のオリンピックだと思いました。

私が勝手につくった、バンクーバー・オリンピック2010。
「話題」という種目では、金メダルは「女子フィギュアスケート採点問題」、銀メダルは「国母選手の服装問題」、銅メダルは「日本は選手の強化費が他国に比べて少ない問題」が表彰台に立っているイメージがあります。

1959年に23%の普及率だったテレビは東京オリンピック開催時には約90%に。
情報源としてのテレビのパワーは圧倒的でした。
今、私は昭和を総括することがマイブームなのですが、当時の日本では「東洋の魔女は凄い!」のように、世論は一色に染まっていたのではないでしょうか。

そして、音楽は『東京五輪音頭』ですよ。
まさに隔世の感。



前に突っ込んだ選手の引退

野球経験がなくても、学校のグラウンドなどで、野球チームの練習風景を見たことがある人は多いと思う。

監督やコーチは守備練習のとき、何と言っているだろうか?
リトルリーグ、中学、高校、大学、社会人、プロ野球……。
レベルは違っても、すべてのチームが共通している。

「ボールを恐がるな!」
「前に突っ込め!」


そうなのだ。
野球というスポーツは、ボールを恐がり、後ろに下がる人にはむいていない。

ボールを恐がらず、前に突っ込むのが名選手だ。
阪神タイガースの赤星憲広外野手がそうだった。

ところが赤星選手は、名選手であるがゆえに引退を早めた。直接の原因は9月12日の対横浜戦だった。ダイビングキャッチを試みた際、発症した中心性脊髄(せきずい)損傷。ヘルニアなどよりも、はるかに症状は重く「今度やってしまったら最悪、命にかかわる可能性もある。100%のプレーができないならプロとして身を引くべきと考えた」と10日に突如引退を表明した。

新人王受賞、盗塁王、5回。ゴールデングラブ賞、6回。
2003年、チーム18年ぶりの優勝は赤星選手のライトオーバーのサヨナラヒットだった。
「ハンディキャップのある人でも球場に来て野球を観戦してほしい」との思いから、そのシーズンで記録した盗塁数と同じ数の車椅子を毎年寄付していた。

各スポーツ新聞は、9年間の選手生活を終えた、と報じている。
でも、私は来年、「好きなプロ野球選手は誰ですか?」と訊かれたら、赤星選手と答えてしまいそうだ。



サミュエル・ウルマン 『青春』

パ・リーグ、クライマックスシリーズで、東北楽天ゴールデンイーグルスが負けた。
野村克也監督は、自著『野村主義』でこう語っている。

潔く身を引こうと決めていたのに、なぜか「まだまだやれるぞ」という、もう一人の自分の声が聞こえてきた。
米国の詩人、サミュエル・ウルマンの『青春』という詩にこんな一節がある。
「人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。希望のある限り若く、失望とともに老い朽ちる」。
ウルマンはその詩の冒頭で、こうも書いている。
「青春とは人生のある時期をいうのではなく、心のあり方のことだ」。


野村主義野村主義
(2009/05/27)
野村 克也

商品詳細を見る
株主優待
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。