Hisakazu Hirabayashi * Official Blogメディア

ソーシャルメディア一覧表

こんな一覧表を見つけました。
写真では見えにくいと思うので、公開されているSlideshareのURLを以下に書いておきます。

http://www.slideshare.net/fullscreen/tkawaja/social-lumascape-8223008/1

EvernoteかOneNoteに放り込んでおくと、いつか役に立つかもしれません。

sociallunascape.jpg

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製品に差がない勤労感謝の日

遅い時間帯にコーヒーを飲んだせいか、もう午前5時だというのに眠くない。

なんとも間が抜けた話だけど月曜日のことを書こう。
月曜日にワールド・ビジネス・サテライトの取材を受けた。

グリーがディー・エヌ・エーを訴訟した件で。
自分が画面に映ったのは15秒あるかないか。

うー、これは説明不足だ、と思ってコーナー終了後、あわててTwitterにログインした。

興味をお持ちならば、私のツイートを追ってください。
ことの経緯、書いてます。

ようは、こんなことが言いたかった。
正確に言うと、質問されたので答えたのであった。

DeNAの球団買収、グリーのCMの多さ。今日発表されたEXILEもそう。ソーシャルゲームの会社は、なぜそんなに知名度を上げようとするのか? と、報道部の記者の方から質問をされた。

私は「製品に差がないから」と答えた。

本当は両社のサービスに差があることを、もちろん知っている。
グリーにはヤフーモバゲーがないし、Mobageにはクリノッペがいない。その他、SNSの設計思想やユーザーインターフェイスの違い、挙げたらキリがないほどあるけど、テレビ向きの話ではないでしょ。

母は「今晩、久和がテレビに出るんだって」と昭和6年生まれの伯母に電話していた。伯母に誕生日の寄せ書きの話をしても、チンプンカンプンになるに違いない。いや、絶対にわからない。白内障を患っていて、ゲームしないし。

なので細かな違い(←つくっている人には失礼だけど許してください)は、目をつぶることにして「製品に差がないから」と答えることにした。

サービスは違っても、キャリアは違っても、ユーザーが使っているモノ=製品は携帯電話が中心で、そこに大きな差異はない。

で、Twitterに

DeNAの球団買収、グリーのCMの多さ。今日発表されたEXILEもそう。ソーシャルゲームの会社は、なぜそんなに知名度を上げようとするのか? という質問に「製品に差がないから」と答えた。WiiとPS3には明らかな製品の差がある。でもソーシャルゲームに製品の差は‥‥ないに等しい。


と書き込んだ。
そうしたら、自分でもビックリしたことに公式RTが100を超えた。

私の見解が良いか、悪いか。
賛成の意味があるのか。異論があるのか。

Twitterの公式RTには、いろいろな思いがあるから、どうなのかわからないけど、声なき声がネットワークの裏側でつぶやかれている思いがした。

今日は勤労感謝の日ですね。
でも、昔は新嘗祭だったけど、戦後、GHQが天皇行事から切り離すために「勤労感謝の日」にしたんだ。

……こういう話もテレビ向きではないから、もうすぐはじまる今日のテレビ放送では「勤労感謝の日、勤労感謝の日」と言いつづけるんだろうな。

まあ、自分で答えていて、書いていて、ゾッとするんだけど「テレビ向き」という言葉があって、それで皆んなに伝わってしまうのって、ちょっと怖いね。

ソーシャルゲームの会社は、なぜ知名度を上げようとするのか?
この答えは、本当は話すと長くなるので「UST向き」。
今度はUSTで話をしよう。

まだ起きている人、おやすみなさい。
もう、目覚めた人、おはようございます。

昨日が終わる人と、今日が始まる人が、道ですれ違う東京の午前5時に記す。

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Facebookあるある

今度は、

#ゲーム業界あるある

が流行っているようですね。
これ、書くネタがいっぱいあるけど、シャレにならないから書きません!

そのかわりにFacebookあるある……
というか、雑感を書きますよ。

Facebook、私は好き。
本当によくできたしくみだと思う。
カワイイ感じはしないけど、機能的。
超便利。

今、学生時代のサークルの会報誌を編集している。
その原稿のやり取りをFacebook上で行うことにした。
グループに投稿したら、それをコピペして入稿できてしまう。

グループのウォールを見たら、誰が何を書いたがわかる。
10人の寄稿者がいたら、ネタが重複しないように、皆が考えてくれるし、「あ、もう5人書いてる。そろそろオレも書かなきゃ」というプレッシャーにもなる。

秋に予定しているイベントの打ち合わせはメールだと面倒だから、そのメンバーもグループ化。話し合ったことがログに残るし、誰かがメールでやり取りしたこともコピペで共有できる。

絶対に信頼できるメンバーだけ集まって、愚痴だけを言い合うグループもある。

あるゲームクリエイターの方とふたりで、終わりのない対談もやっている。
別に雑誌に載るわけではないから、どんなに話が飛んでもいいの。
締切りもテーマの制限もない。楽しい。

あと、チャットとメッセージがシームレスになっているところや、誰か友人の名前を入力すると自動リンクを生成するなんて、気がきいている。

姪がシンガポールにいるんだけど、その様子がわかるし。
昨日だった、ある有名なフランス人の写真家とFacebookで友達になれたのだけど、その写真って、ジュゼッペ・アルチンボルドみたいだという意味のことを書いたら、YESのあとに!!!!!!!!をいっぱいつけてくれた。うれしかった。

外国の人とつながっているっていいことだ。

でも、Facebookに慣れない、好きじゃないという人がいるのも事実。
それはね、言葉のせいだと思うんだ。

たとえば、さっき使ったけど、グループとページとノートがあって、その違いって何?
で、立ち止まる人、多いと思う。
ノートは自分の書きたいことを書くノート。
ページというとノートのページかと思うとそうではない。
自分のホームページのようなものだったりする。

ニュースフィードと突然言われても戸惑う。
朝日新聞のニュースを購読しているみたい。じつはこれは友達の近況が流れている。

ウォールというのは、自分の書いたことや撮った写真を載せる場所だけど、日本的にいうと壁よりも板のほうがしっくりするかも。
掲示板の板のようなものだから。

で、こうした混乱しそうなカタカナが並ぶいっぽうで、英語を無理に日本語訳して、かえってややこしくしているところもある。

たとえば、英語ならば「info」なのに「基本データ」と訳しているから、住民基本台帳のような堅苦しいものを連想してしまう。

あと、これから書くけど「承認」「あいさつ」ね。
私がFacebookの運営者だったら、真っ先になおしたい。

Facebookが日本で普及するために必要なのは、コテコテに難しいRole-Playing Gameを『ドラゴンクエスト』にした堀井雄二さんのような言葉のセンスを持った人だと思う。

というわけで私が感じる
Facebookのあるある

あいさつさんがいる

Facebookに「あいさつ」のボタンがある。
それを押すと相手には、「あいさつを返す」の表示がされる。
「あいさつ」されたら、ちゃんと「あいさつ」を返しなさいと教わった善良な日本人は「あいさつ」を返しますよ。それはいい。
けれど、面識もない。自分のコメントや写真に「いいね!」とも言ってくれない。
メッセージのやりとりもないのに「あいさつ」だけ熱心な人がいる。
しかも「この人は24時間、PCの前でFacebookを開いているのではないか」と思えるくらいに、いつどんな時間に「あいさつ」を返しても、即座にまた「あいさつ」が来る。
ちょっと恐い。
いや、悪気はないので友達から削除はしたくないんだけど。
そういう人にだけ、「あいさつ」ボタンを表示させない、「あいさつ」のみブロックってできないのかなぁ。
Facebookの基本言語を英語にするとPoke。
豚肉はPork。
Pokeは軽くつつく、みたいな意味で「あいさつ」のような重々しさはない。
昔のmixiの足あとがつかないのがFacebookだから、あえて能動的に、あなたの様子を見たよ、というのがうまい使い方じゃないかな。

承認さんがいる

これも言葉の問題。英語でフレンドのリクエストがあったら、Confirm。
確認だ。
リクエストがあった。確認した。友達になった。終わり。
だけどそれが「承認」と訳されているから、上司の決裁印をもらったような重大事に思えてくる。
そこで自分のウォールに「早速のご承認をいただきまして、誠にありがとうございます」などと書かれる。
これも悪気がないのはわかるけど、困ることがある。
自分のウォールだからね。
好きな音楽を並べよう、好きな写真を並べようなどと、配列を考えている。
ちょっとだけど。
そこに「早速のご承認をいただきまして……」が入ると、なんか調子が狂う。
ウォールはブログと同じで最新のものが上に来る。
このブログは自分の意志でエントリーしているけど、他人が急に「3日で1億儲かる先物取引」とか書かれたらイヤでしょ。
極端だけど、そんな感じがしないでもない(と弱々しく言っておく)

押しつけさんがいる

承認をするといきなり、
これが私のページです。「いいね!」を押してください。
ひとつならまだいいけど、5個くらいリンクを貼って来る人がいる。
ページ、つまり個人のホームページは「いいね!」を25個集めると独自ドメインがとれるから、それを目指しているのだろう。
あと、最近困ったのは、原発問題かな。
あなたにいかに原発が危険かをお教えしましょうって、すんごい長い論文みたいなメッセージが来て、だから東京から脱出しないって説教された。
これにはまいった。

学歴自慢がいる

Facebookでは自分の名前のほかにスクリーンネーム(この名前もどうかと思うけど)といって、別名のようなものも書き込める。
そこにわざわざ「東京大学」と書いている人がいる。
『ゲームの大學』の共著者である赤尾晃一さんは、同志社大学ご出身だけど静岡大学と書いてある。
なぜならば、静岡大学の先生だから。
私は静岡大学の人ですよと示すのは、とても良心的。
どこの誰かがわかりやすい。
そうじゃなくて、出身校をわざわざ書くのはちょっと。
デザイナーの人が美大、作曲家の人が音大は……キャラをわかりやすくするためだから私の心の中ではOK!
なのだけど、まじめな話、私は学歴よりも学習歴が大事だと思う人なんで、18歳の時に入学した学校にそんなにこだわる必要あるのかな、と思ってしまう。



招待さんがいる

Facebookではよく、イベントのお知らせが来る。
それが九州で行われるオフ会だったりする。
オフ会のために、そんな遠くまで行けないよー。こういう招待は困る。

当て字さんがいる

じつは、コレ。個人的趣味が入るけど、すごく苦手。
仕事のことを志事。
成功のことを成幸。
転職のことを天職。
うー、やる気だったり、心意気があって、これまた悪気なんてこれっぽっちもないんだろうけど、個人で空回りしている感じが、なんか暑苦しい。
というわけで、どうか私を「志事を天職にして、成幸者になるセミナー in 熊本」などに招待しないでください。

男はスケベである

女性、それも美人に映っている写真の女性に男は群がる。
ただのペットの写真でも「いいね!」が即座に50個ついたりする。
カフェで食べたケーキが、ちょっときれいに写っていたら100個。
あとプロフィールの写真に「笑顔がステキですね」なんて臆面もなく書く男もいる。
「それでは、みなさん、おやすみなさい」でも、50個だ。
それにひきかえ、男はかわいそう。
人生をともに歩いていきたくなるような含蓄のある言葉が書かれていても、「いいね!」が2個だったりする。
そして、誕生日。
Facebookではその日誕生日を迎えた人がわかるシステムになっているが、美人に映っている写真の女性(けして美人と言っていないところがポイント)には、「お誕生日、おめでとう」「Happy Birthday」がズラズラと並ぶ。
誰かが「お誕生日、おめでとう」と言ったら、
それに負けじと「お誕生日、おめでとうございます。○◯さんにとって今年が良き一年になりますように、そして……」と長く書いたほうがいいと思っている人もいる。
今の日本のFacebookって、自分の高校がそうだったけど、元男子校の女子、理科系のクラス、ひと昔まえのゲーム開発会社、男性が多い集団なんだな、と思う。

YAKUZAがいる
私もスケベである。ほんのついさっき、若い女性から友達のリクエストがあった。迷わず承認した。その人の勤務先にYAKUZAと書いてあって、興味津々である。ブログを書くのをとっとと止めて、あなたはどんなYAKUZAですか? と早くメッセージを送りたい。

prof.jpg
↑実話

私のFacebookのウォールは
http://www.facebook.com/hisakazu.hirabayashi
です。

嵐にしやがれ

本日早朝、羽田に到着しました。
現地で書きましたE3に関する拙稿に、反応をいただきありがとうございました。
(PlayStation VITAとWii U)
E3の報告は、また別のカタチでのロングバージョンを構想中です。



話は日本国内のことになりまして……別記事が公開されております。
@niftyビジネス 第8回
「地デジ」で、テレビとゲームが共存!?
http://business.nifty.com/articles/game/110609/

データ放送をうまく使った番組として「嵐にしやがれ」をピックアップしました。
「嵐にしやがれ」は土曜日の夜に放映されます。
記事も、番組もご覧ください。

操觚者

【今日のWikipedia】……ジャーナリスト

ここ数日間、Twitterにログインしている時間が極端に短くなった。

理由はジャーナリストと呼ばれる人たちが、権力や大企業、具体的には政府と東京電力に言葉の力で挑もうとしている姿が痛々しい。私は批判をしていない。さりとて心底、敬意を払うこともできない。その労を見ては、ただただ、複雑な感情になるだけだからだ。

ジャーナリストの原動力は正義感だ。
だが、ときに正義感は行動するうちに高揚感に、執筆するうちに陶酔感へとすりかわる。
ひとつの稿を書き終えたあと、冷静な目に戻れるかどうかが問われる。

言葉は酒のように人を酔わせる。文脈もまたしかり。
Twitterの中にいると、書かれた文字よりも、書き手の終わりなき高揚と陶酔を眺めている気分になる。

その気分はけっして心地よいものではない。

ジャーナリストの昔の呼称は「操觚者(そうこしゃ)」だった。

とは、中国古代、儀式に用いられた大型の酒器。細い筒形の胴に朝顔状に開いた口縁と足とがつく……と辞書に書かれていた。

形而上学的にいうと、メディアが商業化された時点でジャーナリストはいなくなった、というのが持論だ。

だから、私はどんなに文章を書いても、ジャーナリストを名乗ったことはない。
いや、名乗りたくても名乗れない。
身が汚れた、ただの物書く芸人だと思っている。
株主優待
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