50歳になりました Day:2012.11.24 17:00 Cat:ありがとう 世の中に賢い人はたくさんいます。けれども、どんなに賢くても、わからないこと。頭でわかっても、心底から理解できないことって、あります。 たとえば、肉親の生死。親が死んだら悲しい、ということは頭ではわかります。私も頭でわかっていました。実際に父の死を迎えたときに、驚きました。お通夜の日、遠くから実家に来てくれた同級生たちと、昔話をしてケラケラと笑っていました。死を知った瞬間は衝撃が走るわけですが、お通夜や葬儀、セレモニーの時間帯がやってくると、平常心に戻っているんですね。 自分の子どもが生まれたらうれしいだろう。これも頭ではわかっていたことです。実際はどうだったか?長男が生まれ、顔を見た瞬間に予想もしない感情が湧いてきました。「負けたい」と思いました。この子に私は負かされたい。体力も、知力も、人間的魅力も、なにもかも。私が圧倒的な敗北をしたら、どれだけうれしいだろう、と思ったのです。 私の人生に、負けはつきものでした。負けを覚悟する。負けても仕方ないと踏ん切りをつける。負けを体内に受け入れることに慣れているつもりだったのですが、能動的に「負けたい」などという感情があるとは知りませんでした。 年をとる。年齢を重ねることも肉親の生死と同じで、実際に体験してみないと、その心境はわからない。50歳になった今日、若い人たちからいただいた、お祝いメッセージのお返しになりますかどうか。私なりに「年齢を重ねたから見える景色」をまとめてみました。 “20歳代前半で必要なのは、目の前のことにひたすら一生懸命。とにかく量をこなすこと、であるように思えます。将来のビジョンや、なりたい自分。つい、カタチ。仕事でいえば、職種や勤めている会社にこだわる時期は、誰にでもあるものですが、のちに世間を見渡すと、かっこいい職種、有名な会社に入ったから、人は成功しているのではない。現実は、もっと泥臭い。どんな仕事でもいいから、ガムシャラに働いた体験がある人は強い。これから伸びるための土台をつくるのが、若きこの時期です。場数を踏む、って言い方がありますが、数が増えないことには、スキルアップもへったくれもありません。 “20歳代後半になると、基礎学習の段階を過ぎて、自然と自分のフォームができるようになってきます。スポーツと同じです。良いフォームで仕事をすると良い成果が出て、フォームが崩れると好結果が出ません。自分の長所、弱点をわかりつつ、自分のフォームを固める時期がやってきます。日常生活でも仕事でも、主義主張が生まれてきて。それが空回りではなく、地面に足がつき、周囲も聞いてくれるようになる状態。このことを「フォームができた」と呼んでみました。 “30歳。私の経験では、この年齢に壁はなく、すんなりと通りすぎました。まだ、怖いもの知らず。勢いに乗っています。壁を感じたのは、むしろ35歳あたりでしょうか。この時期に一度、ミニ円熟期のようなものを迎えて、なにやら完成形みたいなものが体内にできた感じがする。ところが、これがやっかいな完成形で、そこで停滞してはいけないとも感じて、焦ります。 “思うに、35歳あたりまでは、生まれ持った素質、幼児体験、学習体験で突っ走ることができる。だけれども、そこからもう一皮むけるには、生涯の終わりから逆算して行動するとか、世の中における自分の役割を見直すとかして、別の芸を身につけるための「もがき」という通過儀礼が必然なのでしょう。この壁を避けて通ると、伸びが止まった人になってしまう。きっとそうです。 “不惑の年、とも言われる40歳は、この「もがき」を脱して迷わない自分をつくるという意味なのでしょう。私は迷い多き40歳代を過ごしましたが、今にして思うと、抽象的ですみません、メタ思考が大事です。右に行くか、左に行くかで迷うのではなく、一段高いところに登って俯瞰してみる。すると、右か左かで迷っている自分が小さく見えてくる。つまり、過去の自分が小さく見えるようになることが、40歳代のうちにしておくべきこと、などと考えながら50歳を迎えております。 これからの私はどうなるのか?不安、もちろんあります。ですが、時代は変革期。特に私がどっぷり身をつけているデジタルな世界は、とんでもない変化が今すでに起きていて、この変化は私が死ぬまで続くと言い切れます。 とてつもない変化と、一緒に生きていかれることに喜びを感じています。世の中に向かって「変化するな、このままでいてくれ」なんて気持ちはサラサラありません。 自分の能力、他人からの評価がどんなに低かったとしても、変化が好きで、変化に人並み以上に敏感でいられることは、なんかの武器になってくれるだろう。こんな思いが不安をかき消してくれています。 今年の後半は、来年への仕込みに多くの時間を費やしました。今の仕事もおもしろいですが、来年以降、もっとおもしろくします。自分自身がそんな気張らなくても、周囲の方たちが、私を変化の道へと推し進めてくれています。ありがたいことです。 私はいい時代に生まれました。変化の連続、つまり歴史ですよね。歴史とともに生きてきたことを、実感できる半生でした。 昨日から、Facebook、Twitter、LINE、Skypeを通じて「お誕生日おめでとう」のメッセージを、びっくりするくらい多くの方々から頂戴しています。おひとりおひとりに丁寧な御礼のメッセージを差し上げておりませんが、ご容赦ください。この場を借りて御礼申し上げます。posted by Hisakazu Hirabayashi■Twitterはコチラ。Facebookはコチラ。メールフォームはコチラです スポンサーサイト URL Comment(2)Trackback(0)Edit
創業は計画外のズレとの戦い Day:2012.07.27 17:50 Cat:ありがとう 今年の夏の大イベント、新会社の設立発表をいたしました。合同会社ヘルプボタン(HelpButton.LLC * 上記サイトです)発表時にはたくさんの方からメールやメッセージでも激励のお言葉をいただきました。発表するやいなや、ニュースサイトでも取り上げていただきました。「ポチッ」や「ついつい」が私のまわりではちょっとした流行語になるほどでした。感無量です。心強いお言葉をくださった皆様に改めて御礼申し上げます。私自身の会社設立、また、他社の設立をお手伝いをした経験から申し上げると、ここからが勝負です。起業します。そこには創業者たちの念入りな計画が立てられています。ですが、「案」が「姿」になる。実像となると、計画外のことが必ず起きます。第三者の方たちは創業者の計画外のことを期待・要求するのが常であります。多くの経営者やフリーで活動をしている方が、経験なさったことでもありましょう。顧客第一主義、そんなうすっぺらな言葉でかたずけたくはありません。何かがズレているのです。このズレの修正が創業直後の大仕事となります。生んで解決するのがベストです。譲るべきところを譲るのがベターです。ブレるのは最悪です。さ、次のステージへ。今年の夏は頭脳も暑くなりそうです。posted by Hisakazu Hirabayashi■Twitterはコチラ。Facebookはコチラ。メールフォームはコチラです URL Comment(1)Trackback(0)Edit
チュンソフトの名は永遠に Day:2012.03.13 23:54 Cat:ありがとう チュンソフトとスパイクが合併、「スパイク・チュンソフト」に。http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1203/13/news072.htmlああ、あのゲーム業界の輝ける巨星。チュンソフトがなくなってしまった。中村光一さんはじめ、お世話になった方たちがいっぱいいる会社だ。大手企業から独立して、自分たちで開発会社をつくるとき「チュンソフトが目標」と口を揃えるように言った。取締役で創業者でもある中西一彦さんが、日曜日に東京・調布にあるマンションを訪れたそうだ。家賃7万円の一室で、チュンソフトは産声を上げたのだ。▲チュンソフト創業の地法律上、社名は消えることになるけれども、「チュンソフト」の名は永遠の歴史に刻まれることでしょう。『真・かまいたちの夜』、好きでした。オートモードで、ベッドで寝ながら推理小説を読む感覚が斬新でした。どんな電子書籍端末よりも、『真・かまいたちの夜』が好きです。posted by Hisakazu Hirabayashi■Twitterはコチラ。Facebookはコチラ。メールフォームはコチラです URL Comment(2)Trackback(0)Edit
私は私のために書いた Day:2012.03.12 22:16 Cat:ありがとう 見る-見られる。読む-読まれる。の関係は平等だ。見られたいものを見せる。読まれたいものを書く。それがプロフェッショナルたる者の基本的な振る舞いだろう。私はメディア論を学ぶ学生に講義をすることがある。メディア産業史、メディアごとの特性、そんな各論に入るまえに、まずメディア【Media】とは何か? の話をする。【Media】はミディアム【Medium】の複数形。ステーキの焼き加減のミディアムと同じだからメディアとは「中間」だ。このブログを読んでくれている人には、まったく興味のないことかもしれない。関西アルファテックの製品の紹介をしたい。平林久和のブログで何でまた? と思う人がいるだろう。最近、流行りの「ステマか?」と疑われるのだろうか。違う。私は関西アルファテックの社長から1円ももらっていない。コーヒーの一杯もごちそうになったこともない。ただ、私の書いた文章について、本当にお心のこもったメールをいただいた。うれしかった。有り難いことだと思った。その後、風邪で倒れていたこともあって、お返事も書けなかった。不義理をした。ご恩返しをしたかった。このブログを読むあなたの読みたいことを書いていない。私は「中間」に立っていない。私は私のために書いた。ここは、基本的にボクの部屋だけど、みなさんにおつきあいしていただいた。感謝します。posted by Hisakazu Hirabayashi■Twitterはコチラ。Facebookはコチラ。メールフォームはコチラです URL Comment(0)Trackback(0)Edit
XMAS Day:2011.12.24 00:00 Cat:ありがとう X'MAS?XMAS?東野圭吾の小説の題名風味(?)でいうと「アポストロフィはいらない」らしいです。じつは昨日、Facebook上でイチャモンつけられたオジサンと喧嘩しました。でも、今は気分さっぱり。多くの友達の皆さんに支援されて、かえってすがすがしい思いがします。おかげさまで、めでたくクリスマスイブを迎えることができました。皆さま、良いクリスマスをお過ごしください。私事で失礼します。Andy Williamsは母が好きなシンガーです。今年の後半、ほぼ半年、骨折に苦しんだ母に捧げます。 URL Comment(0)Trackback(0)Edit