Hisakazu Hirabayashi * Official Blog2009年07月

『前田のクラッカー』と迷っていたのだが

  • Day:2009.07.20 09:38
  • Cat:私…
豆菓子『ゴリラの鼻くそ』のエントリーをしたら、その発売元である岡伊三郎商店の方から御礼のコメントをいただいた。

書いて、良かったと思った。
じつは、『ゴリラの鼻くそ』の話を書くべきか、別の菓子の話を書くべきか、私の心の中ではライバルがいた。それは、『前田のクラッカー』だった。

maeda.jpg

だが、こちらは、一世を風靡した御菓子でインターネット上に情報はたくさんある。
製造・発売元でもある前田製菓は、Wikiにも載っているし、YouTubeにも動画がある。

なので、あえて“アタリマエダノクラッカー”の『前田のクラッカー』の話は、書かずに『ゴリラの鼻くそ』にしたのだった。

ゴリラの鼻くそ

  • Day:2009.07.19 06:28
  • Cat:私…
昨日、地域の夏祭りの手伝いで、テキヤのオジサンをやった。
担当したのは、駄菓子のくじ引きである。

500個近い駄菓子にたこ糸をつけ、来場者(ほとんどが子どもたち)に引いてもらう。
ただ、これだけのお遊びなのだが、その糸をつける仕込み作業だけでも4時間ほどかかった。
そうすると、こんな菓子と糸の山ができる。

dagashi.jpg

何十種類もある駄菓子の中で、作業をする私にとって最も気に入ったのは『ゴリラの鼻くそ』である。

糸がつけやすいように上部に穴があいていて、ネーミングにインパクトがある。そして、食べるとおいしい。公式サイトのアドレスが、http://www.hanakuso.jp/なのも、カッコイイ。

テキヤのオジサンは、『ゴリラの鼻くそ』をえこひいきして、子どもたちに「『ゴリラの鼻くそ』もあるよー」というと、みんな夢中でその糸を引こうとする。

大声で売り込みをして、また、やや喉を痛めたが、楽しい一日、一夜だった。


hanakuso.jpg

太陽は罪な奴から

今週は、かなりの時間をアマゾンに滞在し『ドラクエ9』の重いレビューを読むことに割いていた。

このサイトを訪れてくださった皆さんも、そのレビューは、どんなものかとご覧になった方も多いかと思う。

リフレッシュの意味を込めて、じつにすがすがしいYahoo!知恵袋の質問とアンサーをご紹介したい。
じつにウィットに富んでいる。
大げさかもしれないが、どんなに政治がボロボロでも、日本の未来は明るいと思えるほどだ。

サザン・オールスターズのファンでないとウケないネタではあるが……
その質問とアンサーとは、コレです。

カテゴリーが
トップ > 教養と学問、サイエンス > 天気、天文、宇宙 > 気象、天気予報
……になっているのもすごい。



『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』の感想・まとめ

話をまとめます。

私が『ドラクエ9』をはじめたのは、先週の土曜日からだった。
過去3回のエントリーで批判的なことを書いているが、私自身、かなり楽しんでプレイしていた。

正直な感想として、生まれてはじめて『ドラゴンクエスト』をやったときの興奮と、同じものがあるかというと、そうではなかった。覚めてプレイしていた。覚めてはいたが、売れている本数が多いというのはすごいことで、すれちがい通信は嬉々として楽しんでいた。

ところが、何人からの知らせで「『ドラクエ9』がアマゾンで酷評されている」と聞いた。
実際にそうであり、このことを報道したサイトもあった。
その時にピンと来たのが、可愛さ余って憎さ百倍という言葉だった。

ここは正式名称で書く。『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』は、たくさん……それこそ何百万人のユーザーから、強い信頼、愛情、尊敬の念を一心に集めていた。だが、その期待を少しでも裏切ると、反動が起きる。まさに人間心理の問題がそこに横たわっていると思ったのだ。

「こういう場合に、星1つつけるのはよくありません。他のゲームと比較してみてください。はるかに良くできているでしょう。でも、星5つでないお気持ちはよくわかります。せめて星4つか3つにしてはいかがですか?」といった論理的な話をしても無意味だ。

論理ではないのだ。
心理なのだ。

レビューをしたいのではない。
愛するがゆえの憎さ百倍を、表現したい人がいるのだ。
その心のぶつけどころが、星1つになったのだと思った。

さらに、ここでまた心理学的な問題にぶつかる。
あるユーザーが、可愛さ余って憎さ百倍の心理で、アマゾンの『ドラクエ9』のページを見たとしよう。
その人物は「少し辛い点数をつけようかな」程度に思っていたとする。

だが、過去の様子を見ると、圧倒的に多いのは星1つ、である。
すると、人は皆と同じことをするのが安全という心理が働く。
専門用語でいうところの同調行動が起きる。
俗に言う群集心理、である。

さらに、である。
「鬼の首を取ったように……」という言い方があるように、人間は相手が大きければ大きいほど、その対象との戦いから自尊感情を満たすことができる。

その点、『ドラクエ9』は絶好のターゲットになりえてしまう。
売上5000本のソフトの悪い点を、どんなに酷評しても自尊感情は満たされない。

今、アマゾンはどうなっているのだろう?
これまたおもしろい現象が起きている。
レビューの件数は、さほど増えていないのだ。
1日あたり10件くらいしか増えていない。

そのかわり、勇気を持って先陣を切って書いたレビューワーたちの意見に、追随する人が増えているようだ。酷評しているレビューを読み、「このレビューは参考になりましたか?」 の問いに対して「はい」をクリックしている。こういう行動を心理学的用語では追従と書いて“ついしょう”と読む。

なんだか、心理学の話で間延びしてしまったが、そもそもは

「はじめまして」からはじまる初対面(?)の方から、「ぶっちゃけどーですか?」という友人まで。昨夜あたりから、『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』感想を書いてくれのリクエストのメール多し。


が起点だった。
「はじめから、それを書けよ」というツッコミはなしにしていただいて、思うところを述べる。

まず、一番切ない話をすると『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』は、ものすごく売れるかもしれないが、かつてのような社会現象を起こさなかった。発売日の行列を徹夜で取材した経験がある者にとっては、寂しいかぎりである。

それどころか、一部ではあるが社会を敵にまわす結果となった。ドラゴンクエストを発売するということは、マーケティングをうまくやり、市場適合させることではない。もっと大きな、社会を動かすことだ。それは、社会心理学と密接に結びつく……というオチに持ってきたくて、心理学の話をしてみた。

「私がはじめて言った」とは、言わないし、言えない。
だが、私はかなり早い時期、そう、たぶん『ドラゴンクエストⅢ~そして伝説へ』発売の頃だから、88年からドラゴンクエストのことを、格別な敬意を払って「国民的ゲーム」と呼んできた。

それが今でも他メディアにも普及し、一種の枕詞になっていることを、私はひそかに誇りに思ってきた。最近もその趣旨を伝える原稿を書いた。『スーパーマリオブラザーズ』にも、『ファイナルファンタジー』にも、『ポケットモンスター』にも……他のどんなに名作・ヒット作にも、「国民的」……なんて形容をしたことはない。

ドラゴンクエストだけが許された、ドラゴンクエストのためにとっておいた賛辞。
最大限の敬意を込めた枕詞を、残念ながら、『ドラクエ9』にはつけることはできない。
まさに私が可愛さ余って……なのかもしれない。

でも、こういうフォローをすること自体が悲しいが、星1つであろうはずがない。
これが、「ぶっちゃけどーですか?」の答え、であります。

心理学で分析する『ドラゴンクエストⅨ』(3)

心理学の話をしている。
これは私論なのだが、純粋な心理学というのはポツンと孤立している。
心の学問?
わかったような、わからないような。

Psychology1.jpg

ところが、心理学のそばにいろいろな言葉を置いてみると、心理学はたちまち元気で有用な学問になる。
社会学と結びつけば社会心理学、芸術と結びつけば認知心理学といった具合に、だ。

Psychology_2.jpg

そんなことを考えている人間の『ドラクエ9』論は、今回を含めて、あと2回でまとめたい。
今回は色彩心理学(もどき)の話をする。

『ドラクエ9』の評価を星1つにしたくなる要因に、色の問題があるだろう。
評価を星1つにしている人は、全シリーズを遊んでいますといった古くからのファンが多い。

そういうファンからしてみると、『ドラクエ9』はドラゴンクエストの色をしていないのだ。ドラゴンクエストの色とは何か? ファミコンの色だ。ファミコンの色とは何か? はっきりとした色だ。

なにせ、ファミコンで使える色は52色しかない。それでゲームをつくるとなると、必然的に判別しやすい色の組み合わせを多用するようになる。

ところが、ゲームマシンが進化すると52色といった制約はなくなり、淡い色、渋い色が使えるようになる。で、現代に発売された『ドラクエ9』はファミコン色にすることなく、あえてネーミングすればLevel5色になった。

ファミコン色は子どもっぽさがある。土臭い、垢抜けない印象もある。Level5色は洗練されている。

それくらいのことは、開発スタッフの皆さんは十分にわかっていて、洗練させすぎないようにご苦労なさっているのは十分に伝わる。だが……やはりドラクエの色になりきれていない場面があるのだ。

タイトル画面はドラクエ色である。フィールドの画面もドラクエ色だ。だが、街の景色の色がドラクエらしくない。そんなわずかな色彩感覚のズレが、プレイヤーの意識に「これはドラクエらしくない」の感覚を与えてしまってはいないだろうか。

株式会社レベルファイブレベルが、ドラゴンクエストを開発するのは今作がはじめてではない。
プレイステーション2で『ドラゴンクエスト?』を開発している。同作品は、今回のような酷評は起きなかったが、もちろん、ドラゴンクエストのオールドファンである私は、当時から色が違うという抵抗感があった。

以前にも紹介したが、こんな本がある。
同書には、こんなことが書かれていて印象深い。

色は言葉である。

そう言っている自分の講義資料の色彩がひどい。
さらに文字もかすれて見にくい。
次に使う時には修正します。

(つづく)

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心理学で分析する『ドラゴンクエストⅨ』(2)

つづきです。
ドラゴンクエストにおける生存欲求は、どのようにすると満たされるのか?

プレイヤーたちは知っている。
……というかカラダにしみ込んでいる。

それは過去のドラゴンクエストシリーズがはじまったときから踏襲されてきた一種の決め事だった。
また、ドラゴンクエストの源流でもある『ウィザードリィ』へのオマージュ(仏:hommage=過去作品への尊敬の念)も込められていた。
そして、それはロールプレイングゲームに共通した文法と言ってもよいだろう。

ドラゴンクエストの世界の中で生きていくための最低条件は、2つの場所のありかを常に認知しておくこと。これを知っているかどうかで、プレイヤーの分身のゲーム内での生死は決まる。

難しい書き出しをしてしまったが、重要なのは宿屋と教会だ。
宿屋は傷ついたカラダを癒す場所。
教会はプレイデータをセーブする場所。

『ドラクエ9』の導入部分は、宿屋と教会の役割がはっきりとしない。
看板にはINNと書いてあるのに宿屋の機能を果たしていない場面がある。
これではプレイヤーは、どこで体力を回復させたらよいのか不安感を持ってしまう。

また、これは『ドラクエ9』の開発者の問題ではなく、キリスト教についてのさまざまな考え方を持った人の圧力からそうなった可能性が高いと思われるが、教会なのにそのシンボルが十字架ではない。

ドラゴンクエストといえば、教会がある場所の目印は十字架だった。
だが、プレイステーション2のリメイク版あたりから、十字架を使わなくなった

……というような事情も相まって、プレイ時間にして5分~10分のことなのだが『ドラクエ9』の導入部分は、プレイヤーに不安感を与え、心証を悪くしてしまったのではないか類推する。

第一印象というのは大事で、その後の印象にも尾を引く、とよく言われる。
ある対象にいだいた最初の感情や判断は、なかなか変わりにくい。

心理学用語では、このことを初頭効果という。

初頭効果といえば、『ドラゴンクエストⅢ』の勇者=主人公の実家で待つ母親は、見事な初頭効果をプレイヤーに与えていた。

まさに宿屋は大事だ。プレイヤーが足繁く通う場所だ。
宿屋に泊まるとG=お金を払わなくてはいけないのだが……
ところが、母が住む生家で泊まれば、宿代を払わなくてすむ。
そういう設計になっていた。

ゲームプレイの前半、宿屋に泊まらず実家に帰ることを繰り返していくうちに、母への愛情、家族の大切さがプレイヤーの記憶にすり込まれていく。

こうして植えつけられた「母は優しい。その母が愛した父は強い」という初頭効果があるからこそ、『ドラゴンクエストⅢ』の主人公とオルテガと対面は、感動的な場面として、ゲームの歴史に名を残すことになったのだろう。

(つづく)

心理学で分析する『ドラゴンクエストⅨ』(1)

『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』が不評であることについて。

わかりました。
書きます。

……と大見得を切ったが、どう書くかを決めかねていた。
新聞や雑誌の依頼原稿では、書けないことを書く、それだけは決めていた。

一晩考えた。
そうだ、心理学の話をしよう。

まずは、『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(以下『ドラクエ9』と表記させていただく)の動機について考えたい。

『ドラクエ9』の購入者=プレイヤーは、何をしたくてソフトを購入したのだろう?
特にゲームをはじめて最初の数分間、プレイヤーはどんな深層心理に支配されているのだろうか?

壮大なドラマの主人公になって、世界に平和をもたらしたいのだろうか?
運命で結ばれた素晴らしき仲間と友情を築くことに、期待で胸をふくらませているのだろうか?

違う。
動機はもっと単純だ。

パッケージの封を開ける。ソフトを起動させる。名前を入力する。
その時、プレイヤーは何を思うか?

早く敵と戦いたくてウズウズとしているのだ。
戦って成長したいのだ。

物語の長い前置きはいらない。
『ドラクエ9』はロールプレイングゲームなので、最低限のルール説明や、背景となるストーリーの記述は必要だ。だけれども、それを最小限に短くする文章の達人が、堀井雄二氏だ。

ところがどうだろう?
『ドラクエ9』のプレイヤーは、なかなか戦いをさせてもらえない。

そうではなく、プレイヤーは善行を行うように導かれていく。
たとえば、教会にいるおばあさんにあるものを渡すと、感謝のしるしとして「星のオーラ」を得ることができる。

このゲームの導入部分、文学作品としてはならば美しいのだが、ゲームという人間の生々しい本能と直結する商品としては、常道からはずれてはいないか。私はそう思った。プレイヤーの心理的欲求を満たしていないからだ。

アブラハム・マズローという心理学者がいる。
自己実現理論、あるいは「マズローの欲求5段階説」と呼ばれる理論を唱えた学者だ。


(1)人間は、まず生きたい。
(2)そのために安全でいたい。
(3)仲間に認められ愛されたい。
(4)多数の他者から承認され、自尊心が満たされたい。
(5)そして、(1)から(4)が満たされたならば、人間らしく自己実現し社会に貢献したい。


大胆に要約すると、マズローはそんなことを言っている。

Maslow.jpg
*上記図はhttp://www.sbbit.jp/article/1357/より引用させていただきました。

ところで、『ドラクエ9』の冒頭の場面は、この理論に適合していない。
ここに今回のアマゾン・レビュー星1つ問題のはじまりがある。

プレイヤーはマズローの言うところの(1)と(2)で頭はいっぱいなのだ。
戦いたい、勝ちたい、経験値とお金を稼ぎたい、武器や防具をそろえたい。
これはゲーム内での欲求。

ゲームの外の世界でも、同じ欲求が働いている。
友だちよりも早くゲームを進めたい、学校に行ったら自慢したい。なかには、早くゲームを解き終えて中古相場が高いうちに売りたいという欲求を持つプレイヤーもいるだろう。

これらは、生存欲求と安全欲求に属す。

なのに……ゲームシナリオは、なかなか戦いをさせてくれずに、他者から感謝され自己実現をする方向へと物語は進んでいく。そのシンボルが、「星のオーラ」だ。

『ドラクエ9』の導入部分は、プレイヤーの欲求の階層と、ゲームシナリオが示した欲求の階層が一致してしない。このことは、私がプレイヤーとして本能で、深層心理で感じた、違和感であった。

(つづく)
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