Hisakazu Hirabayashi * Official Blog2009年12月

生物学的に?地理的に?政治的に?

  • Day:2009.12.19 01:36
  • Cat:世界
今日はスペイン人のホームパーティに招待されている。

……そのパーティのことを書きたいのではなくて、書きたいのは「人」についてだ。
私は昔、外国人のことをアメリカ人、イタリア人、オーストラリア人、ドイツ人と平気で呼んでいた。
この調子で、あるフランス人の友人に、「あなたではなく、一般的なフランス人はどういう考えを持っているのですか?」と質問した時に、困った顔をされた。

「ヒラバヤシさん、そのフランス人は、生物学的にですか、地理的にですか、政治的にですか?」

最初、聞いたときには何を言われているのか、さっぱりわからなかった。
友人は説明してくれた。
「生物学的に」というのは、人種のことを指す。髪の毛や目の色といった人間を動物として見た場合の特徴だ。
「地理的に」というのは、フランスならばフランス、その地に居住している人のことを指す。
「政治的に」というのは、国際的に認められた領土のことを指す。

この3つを厳密に定義しないと、何をもってフランス人とするのか、「曖昧で答えられない」というのだ。
有名なサッカー選手、ジネディーヌ・ジダン。彼は生物学的にはアルジェリア移民二世でベルベル系のカビル人だ。だが、地理的にはマルセイユ育ちで、現在もフランス(正式名称:フランス共和国)に在住、フランス国籍を有している。政治的に見てもフランス人というわけだ。

彼いわく、「すべての家庭がそうしているかどうかはわからないが、私は小学生の頃から『○○○人』と言うと、親から、それは『生物学的に?』『地理的に?』『政治的に?』と尋ねられ、答えが曖昧だといさめられた」という。

この逸話は、そのまま彼から私への助言でもあった。
安易に○○○人と呼ばないほうがよい、という貴重な助言。

世界にはいろいろな人種がいて、それぞれが混血して、居住地を変えて、フランスがまさに典型だが、フランス領ニューカレドニア、フランス領ギアナのように領地を持っている国もある。不幸にも政治的に分断・統合されてしまった国も多くある。

こうした価値観を吹っ飛ばして、島国根性丸出しで○○○人と呼ぶことは恥ずかしく思え、よほどのことがない限り使わないようになったのだ。今日の冒頭の文は、特例なのです。

スクウェアの『ファイナルファンタジー』という印象

bic.jpg

『ファイナルファンタジーⅩⅢ』を夕刻に入手した。
その後に忘年会があり、序盤のほんの触りの部分だけプレイしてみた。
店頭に並んだポスター、特製の包装紙。
パッケージデザインに、オープニングムービー。
どれをとってもスクウェアの雰囲気がする。

当たり前じゃないか?
……という人は私と同じ勘違いをしている。
『ファイナルファンタジーⅩⅢ』はスクウェアのゲームソフトではない。
スクウェア・エニックスのゲームソフトなのだ。

天空に浮かぶ理想郷、コクーン。
未開の地、パルス。
と、いろいろな土地を示す固有名詞が出てくるが、なぜか連想されるのは、JR山手線・目黒駅の近くにあった旧スクウェアの本社なのだ。スクウェア・エニックスの本社がある渋谷区代々木三丁目を連想しない。

同じことは『鉄拳6』についても言える。
ナムコのゲームをやっている気がするのだ。
バンダイ・ナムコ・ゲームスのソフトなのに、バンダイのバの字も連想しない。

『ファイナルファンタジー』は『ファイナルファンタジー』らしさを、『鉄拳』は『鉄拳』らしさを、いつの時代も守り抜いているとも言える。だが、両者が合併したとき、セガサミーやコーエーテクモもそうだが、2002年あたりから大手メーカーの経営統合による業界再編が起きたゲーム業界では、どこの新会社も「シナジー」(相乗効果)が生まれることを強調した。

見えないところで、きちんとシナジー効果は出ているかもしれない。
いや、きっと出ているだろう、どこかで。
でも、ゲームソフトにシナジー効果は感じられない。
むしろ、シナジーなどがあってはいけない、純血主義のようなものを感じる。

私は、三井住友銀行・恵比寿支店に行くが、行員の方と話をしても、「あ、この人は元住友銀行の人だ」という勘は働かない。

でも、スクウェア・エニックスの人であれば、スクウェア出身の人か、エニックス出身の人かが、だいたいの勘でわかる。バンダイ・ナムコ・ゲームスの場合もそうだ。

いっとき、ゲーム業界では最大の関心事であった大型合併。
5年、6年が過ぎても色は2色のようだ。

ともあれ、昨日、多くの人の生活がかかっていると書いた『ファイナルファンタジーⅩⅢ』は、初日で180万枚が出荷されたそうだ。良い滑り出しだ。

ファイナルファンタジーと生活

今日はすごい日だ。

『ファイナルファンタジーⅩⅢ』の発売日。
このソフトの開発は、去年にはじまったわけではない。
おととしでもない。
2年前でもない。
たぶん、3年前だろう。
いや、構想期間を含めれば4年前かもしれないし、5年前かもしれない。

『ファイナルファンタジー』がプレイステーション2で発売されるようになってから、エンディングで表示されるスタッフのクレジットをよく見るようになった。何人の人が開発にかかわっているのだろう? いちいち数えるようになった。気になってしかたがない。人名の表記に加えて、開発スタジオ(法人名)も入るから、その数は正確にはわからない。わからないが、1000人を超えているのは、間違いなさそうだ。

昔では考えられない。
1970年代のゲームソフトなどは、プログラマーがひとりでつくるものだった。
ところが、今では1000人だ。
1000人といえば、もうそれだけで大手企業の従業員数だ。

人口が1000人前後の地方自治体は、どんなところなのか調べてみた。

北海道 西興部村
奈良県 下北山村
高知県 馬路村
長野県 南相木村
沖縄県 座間味村
奈良県 黒滝村
北海道 音威子府村
岡山県 新庄村
山梨県 小菅村

列挙してもキリがないし、あまり意味もないので、このへんでやめておくが、『ファイナルファンタジー』とは村民が総出になってつくったようなゲームソフトなのだ。

私の知人で、憧れの『ファイナルファンタジー』の開発チームに入ったのに、会社を辞めた人もいる。だから、マネジメントが悪いとか、逆に辞めた社員に根性がないとか、もう、なんとでも言えるけど、1000人もいれば辞める人間がいても仕方ない。

帳簿の記入に忙しいとき、という意味だから「書き入れ時」というらしい。
今日は、もしかしたら今年のゲーム業界で、一番の巨額マネーが動く日かもしれない。
『ファイナルファンタジーⅩⅢ』という人気ソフトだけではなく、プレイステーション3本体も同時に売れるだろう。タイアップをしている、SONYの液晶テレビ、BRAVIA。サントリーの飲料などを含めたら、とんでもない「書き入れ時」になるだろう。

すると、その総額はどれくらいになるのか。
これまた大ざっぱな資産だが、トンガ王国の国内総生産 (GDP)に匹敵するくらいの金銭が動いてもおかしくないのである。

村だ。
トンガだ。
今までの文章、まじめなことを書いているようでいて茶化している。

本当に言いたいことは……

『ファイナルファンタジーⅩⅢ』には、人の生活がかかっている。
……ということだ。私はゲーム業界をウォッチして25年になるが、ソフト一本に多くの人の生活がかかっている度合いは、このソフトがナンバー1であるように思う。

青、というよりは薄い緑の眼が輝いている。

肌には一点のホクロも染みもない。

注目すべきは、やはり髪だ。

その、ややピンクがかった金髪は、つやつやとしている。

艶めかしい。

風が彼女に当たるたび、彼女の身体が動くたび……髪はなびく。

彼女の名前は、ライトニングという。

さらさらとした彼女のナチュラルヘアと違って、固めのワックスで「型」をつくっている髪もある。

帽子の両サイドから、はみ出る長い髪もある。

ショートアフロの髪型の男もいれば、薄いあごひげを生やした男もいる。

眉毛のかたちはきれいに整えられている。

横から見ると、まばたきするたびに長い睫が上下する。

巻き髪。

束ねた髪。

黒い髪。

髪だ。

http://www.youtube.com/watch?v=9BfpWU_Jx0o

ソーシャルアプリがわからない

恥ずかしながら、「ソーシャルアプリ」の意味がわからない。
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上で提供されるアプリケーション、という、そのままの意味ならばわかる。

だが、その奥にひそんでいる真髄のようなものが、つかみきれていない。

グリーの『クリノッペ』がおもしろいのはわかる。
mixiの『サンシャイン牧場』がおもしろいのもわかる。
わかるどころか、かなり夢中になって遊んだ時期もある。
アイテムを欲しくて課金ユーザーになり、知人を招待したこともある。
だが、これらをまとめて、記憶を頼りにお絵かきする、楽しいお絵かきアプリ。ギャル語方言KY語のアプリ……何から何までまとめて「ソーシャルアプリ」とくくられていることについては、えもいわれぬ違和感がある。

シューティングゲームというくくりに違和感はない。
撃つからシューティングゲームだ。
格闘ゲームにも違和感はない。
格闘するから格闘ゲームだ。
わかりやすい。

ソーシャルってなんだろう。
文字通り受けとれば、「社会的な」だ。
「社会的な」とは、ずいぶんと広い範囲を指す。
アプリってなんだろう。
原則的に、コンピュータ上で実行したい作業を実施するソフトウェアは皆、アプリケーションだ。これまた範囲は広い。意地悪な言い方をすれば、すべてのソフトウェアはソーシャルではないのか。

ゲームの結果を日記に貼りつけ可能なゲームならば、奥ゆかしい。
仲間同士で協力してがんばるゲームならば、かわいらしい。
コミュニケーションを目的した工夫を凝らした友人リストならば、わかりやすい。

だが、これらソフトウェアを「ソーシャルアプリ」と大くくりにしてしまうのは、はったりは利いているが、それは何者か、理解されることを拒んでいるかのようだ。

ソーシャル・ネットワーキング・サービス上で展開される「ソーシャルアプリ」は、ゲーム性よりもソーシャル性が大事と言われる。(某新聞社の記事より)
ユーザーを飽きさせない「継続性」、友人を招待させる「巻き込み性」がヒット条件。(某SNSサイトの運営者のインタビューより)


たまたま目についただけかもしれないが、「ソーシャルアプリ」を語るときについてくる、「性」も気になる。
ゲーム性よりもソーシャル性ってなんのこと? 巻き込み性という日本語を私はあまり聞いたことがないのだけど?

「ソーシャルアプリ」というくくりって何?
「ソーシャルアプリ」は「ソーシャルアプリ」のままでいいの?
頭は堂々巡り。

今年を忘れる会はしない

どこのブログにも書いてありそうな、まえふりをする。
今週は忘年会が多い。
ヘンな日本語と英語の組み合わせだと思うが、こういう状態を皆、「忘年会ラッシュ」という。

私の場合、どれくらいラッシュかというと、ランチ忘年会というのが2回あって、夜に忘年会、昼に忘年会、そのまた夜に忘年会という予定が2回組まれている。

そのすべての忘年会が、和気藹々とビンゴ大会やクイズ大会をやるようなものではなく、ちょっとした勉強会、研究会をかねたような、お堅い忘年会になりそうだ。

でも、苦ではない。
私はドンチャン騒ぎする飲み会よりも、知的好奇心が刺激される会合が好きだからだ。
楽しもう。

これらの忘年会で、共通して話題になりそうなのが「イノベーションのジレンマ」というテーマだ、ということに先週、ある方の講演を聴かせていただいて気づいた。

安易に引用してしまう。

イノベーションのジレンマ(英語:Innovator's Dilemma)とは、優れた特色を持つ商品を売る巨大企業が、その特色を改良する事のみに目を奪われ、顧客の別の需要に目が届かず、その商品より劣るが新たな特色を持つ商品を売り出し始めた新興企業の前に力を失う理由を説明したマーケティングの理論。

Wikipediaより


イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
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クレイトン・クリステンセン玉田 俊平太

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たとえばの話であるが、アメリカ最大のゲームソフト会社、エレクトロニック・アーツ(Electronic Arts)のCEOであるリキテロ氏は「Wiiには進化が必要だ」とEdge Onlineで語っている。それを簡単に日本語訳するとこんな感じになる。

つまり、EAが任天堂に求めていることは、ある種の「イノベーションのジレンマ」ともいえる。「そうはならないようにしよう」と決めたか、決めていないかは知らないが、今、任天堂のWiiは『Newスーパーマリオブラザーズwii』が100万本以上売れるという、原点回帰したソフトが出て再評価されている。

しかし、その『Newスーパーマリオブラザーズwii』は、2D=平面的な昔ながらのスーパーマリオを復活させただけのようだが、ソフトの内容については、「優れた特色を持つ商品を売る巨大企業が、その特色を改良する」の極みのような工夫が凝らされている。なので、最高傑作であると同時に、他のソフト開発者が「このゲームにはかなわない」と思わせてしまう、別の意味でのジレンマを抱え込んでいる、とも考えられるのだ。

何が言いたいのか。
特にまとまっていないが、ゲーム業界もそうでない業界も、来年はいろいろな業界が節目の年になるだろう。来年は節目で、再来年が節目の後の「本番」だ。そのためには、今一度、進化(イノベーション)とは何か? を考えなくてはいけない。そんなことを語り、考える1週間のはじまりなのである。今年を忘れる会ではない。来年を考える会にしたい。

あ、今、私は来年は節目で、再来年が節目の後の「本番」と言った。
だから、今年を代表する漢字が「新」というのは、あまりピンと来ていないのだ。

来年は「節」。
再来年が「新」。

……と心の中では、そう思っている。

忘年会でお会いする皆さん、この続きはお目にかかったときに。
よろしくお願いします。

北川一成展覧会「たべるの だいすき」に行く

http://journal.mycom.co.jp/news/2009/12/04/031/index.html


ご家族の皆さまとおつきあいのある、北川一成展覧会「たべるの だいすき」に行った土曜日でした。
ごていねいにも、奥様にひとつひとつの作品の解説や裏話も聞かせていただきました。
どうも、ありがとうございました。

上記の引用記事にあるように、個展のテーマは「視覚と味覚」の調和がテーマです。
視覚の個展は、よく行われます。
視覚と聴覚の個展も、たまに行われます。
視覚と触覚の個展も、あまり行われていないようですが、何度か見たことがあります。

ですが、ここまで堂々と「視覚」と「味覚」という人間にとって欠かせないテーマに挑まれた個展に行ったのは、はじめてでした。静かなエネルギーが場内には漂っていました。

なぜ、こんなことができたのか? それは北川一成氏が「たべるの だいすき」だから、できたことでしょう。
だいすき(大好き)という感情と日々のお仕事という継続性。

私見ではありますが、曖昧な「コンセプト」とは、感情という大胆な心の動きと、地道な作業の継続によって生まれるのではないか、と考えます。月曜日の授業で、まさに「コンセプト」の話をする予定でした。良い刺激をいただいた、
北川一成展覧会「たべるの だいすき」でした。この会場にミュージアムショップはありません。隣にある代官山パントリーで関連する食べ物を買うことができます。そば、酒、海苔、米、醤油……どれも欲しくなってしまいます。

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