テレビドラマ『素直になれなくて』の反響がすごい。
いわゆるアルファブロガーたちが、揃ってこのドラマのことを語っている。
【切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog】
【堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」】
【eno blog】
そこに「大コケ!!『ツイッタードラマ』の脚本家に非難轟々」といった扇情的な見出しのニュースが続く、この数日間であった。
さらに、Twitter上でも「#sunanare」の話題は止まっていない。
上に書いた、公式サイトでドラマの筋書きはだいたいわかるし、紹介したアルファブロガーたちは、TwitterはもちろんIT業界のことも放送業界も精通している。これらをお読みいただき、加えてリアルタイムのツイートを見れば『素直になれなくて』をめぐって、何事が起きているか、私がわざわざ説明するまでもないだろう。
そんな情報の洪水のなかでも私が言いたいことは、ひとつだけある。
TwitterというのはアメリカのTwitter, Inc.という私企業が行っているサービスだ。
それがどうしてドラマに? この違和感が拭いきれない。
もし、これが「インターネット」という世界が共有するネットワークの物語であれば違和感はない。
Twitterを使ったドラマ、といってもTwitterが絡むのはほんのちょっとだった。
まあ、あまりにも少なすぎるように思うが、これは仕方がない。
Twitterを知らない人が見て、嫌悪感や疎外感を感じてしまってはテレビドラマというマスメディアではうまくいかないだろうから。
メールを使った「(ハル)」や、「ユー・ガット・メール」とは分母が異なる。
……と、飯野賢治氏は言う。
そう、確かに分母は異なる。
今どきインターネットを利用したドラマではインパクトがないのかもしれない。
だが、森田芳光監督の「(ハル)」や、トム・ハンクスとメグ・ライアンが主演の「ユー・ガット・メール」といった、私企業のサービスではなく、メディアの変化がもたらした人間模様の変化を描いた物語ならば、この騒動(?)は起きなかっただろう。
ところが、この番組。
Twitterがドラマ化……と宣伝(宣伝はしていないかもしれないが、そういうクチコミは広がった)したおかげで、主役はTwitter、テーマはTwitter、オープニングもエンディングもTwitterのような、あらぬ誤解が広がってしまったように思える。
マスメディアの最たる象徴。
フジテレビジョンの木曜夜10:00のドラマが、Twitterはインターネットの一部、インターネットは人と人の交流の手段……という、メディア論の本筋からはずれた結果となった。本筋からはずれて、アメリカの私企業のひとつのサービスであるところのTwitter人気に、便乗しているかのような違和感が、観た者の心に残ることになって、今、こうしてたくさんの「論」や「ノイズ」を生んでいるように思うのだ。
本論とはまったく関係ないけど、このブログを書いている最中に見つけたTwitter上での“つぶやき”。
男性はこれ知らないのかな。女子はmixiで別アカ(架空の可愛い女の子)をつくって彼氏にメッセして浮気調査をするし、twitterでも同じように別アカつくって彼氏にDM送って彼がその架空女子に靡かないかどうかの耐性チェックを普通にしていますよ。
これは素直じゃないなぁ?
いや、素直か?