Hisakazu Hirabayashi * Official Blog2010年09月

静かだった気がする

ニンテンドー3DSの発売日、価格、仕様の詳細が発表されました。

過去のハードウェアの発表と違って、今まで見たこともないモノが、今までにはなかった環境で発売されます。今までとは違う。頭にリセットをかけなくてはいけない。そう自分に言い聞かせて、ニンテンドー3DSはどうなるのかを、夕べから思案中です。

昨日、幕張メッセの会場にいた、来場者の方たちも、私と同じ心境だったのかもしれません。
(日本のイベントではしませんがイメージとして)スタンディングオベーションがあったわけでもなく、ブーイングが起きたわけでもなく。

静かだった‥‥という無音の音が耳に残っているんです。
今のところの感想。それだけです。
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風邪のおもむくままに

  • Day:2010.09.28 11:36
  • Cat:私…
週末から風邪をひいています。
ボッーとした頭で、考えていました。
まだ、ボッーとした頭で書いているので、結論も何もありません。
気のおもむくまま、指が動くままにダラダラと書いていきます。

ニュースを見れば、沖縄・尖閣諸島沖での漁船衝突事件について報道しています。
ところで、私たちは「領土」について、ちゃんと学んだかな、なんてことを考えていました。

なにせ、ボッーとした頭でベッドに寝ていたものですから、おもむろにmixiのアプリ『全国ウルトラ日本史テスト』をやってみたのですが、「領土」の問題がなかなか出てこないので途中でやめました。

歴史、地理、地政学……で学びそうな「領土」なのに、じつは、今の日本で一番よく使われている「領土」は、経済学・経営学で教わる「ドメイン」かもしれません。

企業ドメインとか。

そうか。昔、日本は「経済は一流、政治は二流」なんて、言われたくらいだから、領土のことも経済や経営用語として学んじゃうの? 踏ん張って、思考を掘り下げる元気がありませんから、また別のことを考えはじめます。

ところで、経済は一流、政治は二流というのは、「経済くんはしっかりしているのに、政治くんはなっておらん!」の意味として使われていましたけど、今の日本の政治は二流以下だから、逆に「政治は二流」はほめ言葉かも。

思考はまた飛んで、経済よりも何よりも、日本が一流なのは「食べ物」という主張を大声で叫びたくなります。最高級の松阪牛から、カップラーメンまで日本の食べ物は世界一だと思います。

ロンドンは寒いです。
寒いのに温かい汁物というのを食べないイメージがあります。
みんな、意地になって冷たいサンドウィッチを食べているような気がするんです。ロンドンで、カップラーメンにお湯を注ぐだけの屋台を開いたら、儲かるかもしれないと、実際にやりもしないのに、狸の皮算用をしました。

私は風邪をひくと、うどんを食べる習慣があります。
ラーメンでも、蕎麦でもない。うどんであることが重要なんです。
ラーメンも蕎麦も勢いをつけて、元気に食すものです。
ところが、うどんは弱々しく食べることを、許してくれます。
でも、関西圏の人は、この意見に反対でしょう。

そうだ。
ゲームです。

尖閣諸島や、一流・二流……から発展して、「日本のゲームは、アメリカに比べて遅れている」という説があることを思い出しました。説があるっていうことは、そう唱えている人もいれば、そう信じている人がいることです。

私は、この話には乗らないことにしているんです。
賛成でも反対でもない……と言っているんではないんです。
乗らないというのは、「無」みたいなものです。
「ワタシと仕事とどっちが大事?」という問いに、ちょっと似ています。

「日本のゲームは、アメリカに比べて遅れている」。

ここでいうところのゲームは何を指すのでしょうか?
市場規模でしょうか?
ゲームアイデアのことでしょうか?
ハードウェアの普及台数でしょうか?
ゲーム製作のためのエンジニアリングでしょうか?
そのエンジニアリングは個人の能力を指すのでしょうか、集団を指すのでしょうか?
ビジネスモデルのバリエーションでしょうか?

遅れているってなんでしょうか?
昔は進んでいたのに、抜かれたのでしょうか?
それとも昔から、遅れていたのでしょうか?
遅れているように見えるけど、それを成熟したとみなすことはできないでしょうか?
この遅れはどうにかすると、追いつく遅れなのでしょうか?

何がどう遅れているかわからないことが多いので、この議論には乗らない、乗れないのですね。

食料自給率と同じように、ゲームソフト自給率という概念がそのうち生まれるかもしれない。日本の会社が発売したゲームソフトだけど、アイルランドやデンマークやイズラエルの技術が入っていて、インドでプログラムされていたりして。

そんな支離滅裂なことを考えながら、輸入小麦でつくられた、うどんをまた食べることにします。

私はこだわるに拘ってしまう

  • Day:2010.09.24 11:19
  • Cat:言葉
kodawari.jpg

東京ゲームショウが終わりました。
イチロー選手が10年連続で200本安打の記録を達成しました。

頭に焼きつくは「こだわる」なる言葉です。
漢字で書くと「拘る」。

拘束
拘留
拘置所
拘泥
拘禁


どれもあまりいい意味ではありませんね。「とらわれている」に近い。「とらわれている」を漢字で書くと「囚われている」になります。


こだわ・る〔こだはる〕
[動ラ五(四)]
1 ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちがとらわれる。拘泥(こうでい)する。「些細(ささい)なミスに―・る」「形式に―・る」
2 つかえたりひっかかったりする。
「それ程―・らずに、するすると私の咽喉を滑り越したものだろうか」〈漱石・硝子戸の中〉
3 難癖をつける。けちをつける。
「郡司師高―・って埒(らち)明けず」〈浄・娥歌かるた〉

[補説]1は、近年、「一流の材料にこだわって作った料理」のように、妥協しないでとことん追求するような、肯定的な意味でも用いられる。

◇『デジタル大辞泉』より


こだわ・る【拘る】(自五)
1 △どうでもいい(とらわれてはならない)問題を必要以上に気にする。
用例・作例
△自説(メンツ・目先の利害・枝葉末節)に―
2 他人はどう評価しようが、その人にとっては意義のあることだと考え、その物事に深い思い入れをする。
用例・作例
カボチャにこだわり続けた画家
△材料(ライフスタイル・鮮度・品質・本物の味)に―

〔2は、ごく新しい用法〕

◇『新明解国語辞典(五版)』より


元の意味の「拘る」は良くない意味なのですが、「近年、肯定的な意味でも用いられる」ほうの「こだわる」が大流行。使われる頻度は、圧倒的に「新しい用法」のほうが多いのではないでしょうか。

テレビ番組のテロップもナレーションも、広告のコピーも、雑誌のインタビューも……そうそう東京ゲームショウでのトークイベントも「こだわる」「こだわり」が多用されています。

私は「こだわる」を使うな、などとは申しません。
ふたつの用法があり、その原義は悪い意味だとわかって「こだわる」を使っているのと、何も考えずに「こだわる」を使っているのでは、会話や文章の深みが違ってくるのではないか。

それと「こだわる」は、焦点をぼやかす言葉。「この作品で、こだわった点はどこですか?」はインタビューになっていません。インタビューっぽいことをしているだけです。「プレイヤーにはわかりにくいかもしれませんが、作り手として工夫を凝らしていて、ぜひ、見てほしい点はどこでしょう?」のように尋ねれば、話は掘り下がっていくのではないか。そんなことを、かねがね思っていました。

東京ゲームショウ後に書いた原稿で、意を決してゲーム業界の体質を「適正開発をしないで過剰開発をしすぎている」という趣旨のことを述べました。これは原義を忘れた「こだわりの美化」が、過剰開発に歯止めをかけられなくしてしまっているのではないか。……という考えのもとに書かれています。

これは、私という「こだわる」に「拘る」人の見解です。

「ゲームの未来を語る」第2回が公開されました

本日、GameBusiness.jpにて。
TGSで出会った3つの「間」‥‥平林久和「ゲームの未来を語る」第2回を公開いたしました。

前回は「『を・にする』から『が・になる』の時代へ」が結論部で、文章の最後に置きました。今回は冒頭に、「ゲームの未来」について思うところがドーンと書いてあります。

で、私が見た東京ゲームショウですが、Gran Turismo Anywhereのコンセプトに未来を感じたのです。

そんなことが、余計な例え話も交えて、つらつらと書かれております。

anywhere.jpg

埋もれてほしくないコメントを再掲載いたしました

私の先週のエントリーに、とある方からコメントを頂戴しました。
お書きいただいたのは、吉田聖也さんという方です。

ブログですから、もちろんどなたでも読めるわけですが、3回にわたる、私の長~いディスクシステムの話の下のほうに置かれてしまい、そのまた一階層下のコメントですから、見逃されたらもったいないと思い、ご本人の了承をいただき、本エントリーでご紹介させていただくことにいたしました。

以下のご意見が、私とまったく同じかといえば、異なる部分もあります。ですが、まさに耳を傾けるべきものだと思い、じっくりと読ませていただきました。さらに氏が運営なさっているブログが、鋭い分析に加えて、地に足がついた情報満載で思わず、読み込んでしまいました。

東京ゲームショウが終わると、コスプレとコンパニオンのサイトだらけ……とお嘆きの硬派なゲーム業界の方。お口直しにどうぞ、お読みください。


元小売・流通関係者からの視点です。



おはようございます。

テレビゲームの元小売・流通関係者としての意見です。
まずソーシャルアプリ、ゲームについて自分の考えを述べさせて頂きます。

いまのソーシャル、アプリゲームの隆盛は一時的なものだと思っていて、最終的にクラウドコンピュータを使ったゲームに取って代わられると思います。その過渡期に今いるのだと見ています。

ソーシャル、アプリゲームの未来の役割は、将来訪れるクラウドゲームの布石となることだと思います。そういった意味でいま人気のGREE、モバゲーなどのソーシャルゲーム市場は将来的に停滞か縮小すると見ています。

従来の携帯電話から、スマートフォンへ移行する過程の中でその変化が訪れると予測しています。ただ、携帯電話からスマートフォンに移行することにユーザーニーズが介在していないような点が気になります。テレビがアナログから地上波デジタルに移行するように、国、企業の論理でユーザーの意見を無視して事が前に進んでいる様に見えることに危惧を感じます。

次にパッケージソフトについて述べさせて頂きます
私情が入りますが、パッケージソフトについては無くならないと思っていますし、また無くしてはいけないと思っています。販売チャンネルを減らすことは得策ではありません。世の中には様々な価値観を持った方がいます。PSPgoが登場して1年、ダウンロードが主流になることが出来なかったのは、パッケージソフトがユーザーにとって、まだメリットが大きい証拠だと思います。もちろんそれが今後も継続するとも思ってはいません、棲み分けになるのだろうと思っています。小売・流通はまたプレイステーションの登場時に起きた、大きな変革・淘汰・再編にさらされると見ています。

この言葉を使うことに大きな嫌悪を感じますが、世界を勝ち組と負け組に分け、勝ち組の論理を負け組に押しつけることは、負け組にとっては侵略行為以外のなにものでもありません。生活に直結することであれば負け組は受け入れざるを得ませんが、それが娯楽ではあれば「じゃあテレビゲーム以外の娯楽を探そう」となってしまいます。結果的に総ユーザー数の減少を招いてしまいます。そのあと更に勝ち組の中から、勝ちと負けを分けどんどんニッチな方向に進むことは容易に想像がつきます。

いまのテレビゲーム世界の論調はソーシャル、アプリゲームが勝ち組で、パッケージソフトは負け組となっています。果たしてそうなのでしょうか? 世界がソーシャルゲームだけになってしまうと、同じ100万本の販売でもソーシャル、アプリゲームの単価と、パッケージソフトの単価は大きく異なります。単価の低下は売上と利益に直結します。大手メーカーはなんとかなると思いますが、中小のメーカーはますます苦しくなるでしょう。外注専門の開発会社は立ちゆかなくなるのではないのでしょうか?

大切なのはソーシャル、アプリゲームとパッケージソフトの共存です。帝国主義的にどちらかが覇権を握ることではありません。メーカーはソーシャルゲームをテレビゲームへの入門手段の一つだと捉えることだと思います。その上でソーシャル、アプリゲームに適したゲームを制作して、またパッケージソフトへの導入口としても扱って、そのソフトに興味を持ってくれたユーザーがパッケージソフトを買ってくれる様に繋げることが理想だと考えます。

ソーシャル、アプリゲームがマスなのに対して、パッケージソフトがニッチなのは否めません。ただニッチが生存するためには、マスが広くないと生きていけません。

ソーシャル、アプリゲームの文化、パッケージゲームの文化。その文化をそれぞれの小世界として、テレビゲームという世界で捉える。そういった目線が必要だと思います。

様々な(テレビゲーム以外のものを含めて)ゲームという世界を広げることが肝心です。その中で多くの文化を認めて多様な世界にすることが大切だと思います。

メーカーはテレビゲームという世界について、もっと柔軟な発想と寛容な姿勢を見せる必要があると思っています。任天堂の前社長である山内博さんは「いつまでゲームを作ってるんだ」と発言されたことがあります。僕もまったくその通りだと思っています。

結論として、ユーザーも小売・流通もメーカーも、テレビゲームという世界をもっと高い視点から眺めて善悪二元論ではなく、中位で居続けることが大切だと考えています。そしてその中の小世界であるお互いの文化、価値観を認め合うことが、なりより大切だと思います。

僕自身、テレビゲームと一緒に育ってきました。テレビゲームがなくなることはありませんが、その未来が狭くなることに大きな悲しみを感じています。

長々と失礼致しました。


以上であります。
吉田聖也様、転載のご快諾をいただき、どうもありがとうございました。
さて、興味がつきない、氏のブログはこちらです。

ゲームについて徒然に思うこと。
http://gameturedure.blog121.fc2.com/

ディスクシステム興亡史(3)-完結編-

前回のつつきです。
東京ゲームショウ開催期間ですが、考えるところございまして、ディスクシステムのことを振り返っております。
今回が完結編です。




■1986年6月……[連合軍参戦]

1986年6月、聖戦の戦局は任天堂にとって有利な方向に動いていた。家電メーカーのシャープがファミコン本体とディスクシステム一体型マシン「ツインファミコン」を発売したのだった。定価は32000円。任天堂はこの聖戦をはじめるにあたって、ひそかにシャープと同盟を結んでいたのだった。



■1986年3月~1986年8月……[ソフト不足]

『ゼルダの伝説』の評価は著しく高い。「ツインファミコン」も発売された。だが、ディスクシステムはソフトの量的な面では苦戦をしいられていた。

86年3月には、ディスクソフトは発売されなかった。任天堂が当初予定していた「月に一本」の方針は早くも変更しなくてはいけなかった。

4月に『謎の村雨城』、6月に『スーパーマリオブラザーズ2』、8月に『メトロイド』を任天堂は2ヶ月に一本のペースで発売するが、サードパーティが製作したソフトはラインナップに並ばない。

当時のサードパーティの中では、最もソフト開発力があるとされていたナムコを筆頭に、有力メーカーの何社かが、ディスクシステムには関心を示さなかった。

理由は簡単だ。儲からないからである。ディスクシステムの販売価格は安い。書き換え料金はさらに安い。従来通りのロムカセットをつくっているほうが、サードパーティは売上も利益も上がるしくみになっていた。

ただし、完全にディスクシステムを黙殺したサードパーティは少なく、ロムカセットもディスクカードも両方出す会社が多かった。当時、こういう会社は隠語で「両天秤」と呼ばれていた。

蛇足ながらつけ加えれば、今までは一律だと思われていたサードパーティ各社に、「任天堂に近い」「任天堂とは遠い」というレッテルが貼られるようになったのは、この頃からだったのかもしれない。ディスクシステムへの応対の熱心さが、ソフトメーカーの本音を知るサインになっていたからだ。

■1986年8月……[親衛隊の組織化]

たとえばこの団体の結成などは、いかにも「任天堂に近い」を示す動きといえるだろう。それまでのファミコンビジネスには無かったタイプの、サードパーティ囲い込み策があらわれた。ディスクシステムを支援する親衛隊が、任天堂の外部で組織化された。

◇DOGの結成
『ファイナルファンタジー』が出る、まだ一年以上前のことである。86年の夏の時点で、スクウェアは、中規模の新興ソフト会社のひとつだった。だが、当時のスクウェアは、若いソフト集団らしく、型破りな発想を持っていた。みずからディスクソフトをつくるだけではなく、リーダーシップを発揮して、仲間の企業をディスクシステムのサードパーティに招き入れようというのだ。

そこで生まれたのが、ディスクシステムの親衛隊のような、DOG(ディスク・オリジナル・グループ=Disk Original Groupeの略)という団体だった。

彼らの論法は理にかなっていた。▼ディスクシステムという機器は、今までの反射神経型のゲームよりも、アドベンチャーゲームやロールプレイングゲームのような、思考型ゲームに適している。▼当時、思考型ゲームのノウハウを持っているのは、アーケードゲームメーカーよりも、パソコンゲームソフトのメーカーである。▼だが、(ファミコンに参入していない)パソコンゲームメーカーは、概して小規模な企業が多く、かつ地方に散在している。▼各社が独自に任天堂のサードパーティになったのでは、資金・情報入手の両面でロスが大きい。▼そこでスクウェアが窓口に立って、DOGを結成すれば、開発機材や、開発ノウハウを加盟複数社で共有ができる。……こんな論法から生まれた組織である。

DOGには、スクウェアのほか、マイクロキャビン、システムサコム、クリスタルソフト、キャリー・ラボ、シンキング・ラビット、ハミングバード。実績のあるパソコンゲームメーカー7社が加盟した。

86年12月、DOGから『水晶の龍(ドラゴン)』と『ディープダンジョン』が、翌87年には7タイトルが発売されている。

■1986年9月~11月……[援軍の到着]

86年の秋、任天堂が待ちに待っていた援軍がやってきた。それまでは寂しい限りだったサードパーティのディスクソフトだったが、ようやく強者のソフトが、顔をそろえはじめるのである。『悪魔城ドラキュラ』(コナミ/86年9月発売)、『ザナック』(ポニー・キャニオン/86年11月発売)などである。ディスクシステムのソフトの数は、この頃に増えて活気づく。

■1986年5月~12月……[戦況の変化/その1]

だが、ファミコン帝国の内部では、静かな異変が起きていた。ロムカセットのメモリー容量が、増えていった。カセットの容量が増えることは、ディスクシステムは「メモリー容量が大きい」という魅力を、失っていくことを意味する。

◇メガロム時代の到来
ロムカセット内のプログラム・データは、マスク・ロムといわれる読み込み専用の半導体に記憶されている。その容量が、この八六年から1メガビットの時代に突入したのだった。1メガビットのメモリー容量を持つロムカセットのことは、「メガロム」と呼ばれた。

ディスクシステム発売年の86年は、じつは、「メガロム元年」でもあったのだ。カプコンが86年に発売した『魔界村』が、ファミコンとしては、はじめてメガロム積んだソフトだった。

◇ロムカセットに超ヒット作
また、容量とは関係なく、86年末と87年の初頭、ディスクシステムにとっては悲運な出来事が重なった。ロムカセットのヒットソフトが連発した。86年の12月に発売されたナムコの『ファミリースタジアム』、翌87年1月に発売されたエニックスが発売した『ドラゴンクエストⅡ』。 発売するやいなや、300万本近く売れた両ソフトは、間接的に「ファミコン本体だけで、ゲームは十分おもしろい」と市場に訴えかけているようだった。

1986年という年は、ディスクシステムの行く末が業界最大の関心事だった。さて、その販売結果だが、ディスクシステムの発売初年度で合計224万台が売れている。立派な販売台数である。

とはいえ、当時のディスクシステムは、ゼロから販売台数を数えられて、ほめてもらうことは少なかった。いつも比較対象にされたのは、ファミコン本体の数字である。86年末の段階でファミコン本体は968万台が売れていたから、968万から224万を引いて……「まだ748万人も買っていない」……ファミコン帝国特有の統計学では、こうやってハードの勘定をする。

聖戦の形勢判断は、若干劣勢と判断された。

■1986年1月……[英雄の反撃]

ファミコン帝国の英雄、ディスクシステムに命運を握る男・宮本茂は、この必死に抗戦する。

87年1月14日、待望の『リンクの冒険』が発売された。リンクは、『ゼルダの伝説』の主人公の名前である。ディスクシステムのユーザーは、このゲームが出るのを待っていた。

『リンクの冒険』は『ゼルダの伝説』の続編であったが、アクションゲームの色合いが濃かった。具体的に述べる。主人公が敵と遭遇すると、拡大画面に切り替わってリアルタイムの戦闘操作を行う設計だった。

◇英雄が考えたディスクシステム三部作
聖戦の指揮官、宮本茂は戦略家だった。ディスクシステムが発売されるはるか以前、彼自身がはじめてディスクシステムの存在を知った時(八五年の夏頃)、宮本茂はなんと3つのゲームを同時に思いついたのだという。そして彼は、その3作をディスクシステムの発売後の時間の経過(=普及状況)に沿って割り振り、ゲームを企画している。

(1)ディスクシステムと同時発売のゲームは?
ゲームがおもしろいだけではなく、ディスクシステムのすぐれた機能を理解してもらうゲーム。言ってみればハードのデモンストレーション的なゲームであるべきだと彼は考えた。そこでこのゲームを、ロールプレイングゲームのように長い物語があって、データのセーブを繰り返して遊べるものにした。これが『ゼルダの伝説』である。

(2)ディスクシステム発売1年後に出すゲームは?
1年間もたっていれば、ディスクシステムは相当数普及しているはずである。宮本茂はそう予測した。そして、多くの物語性のある思考型ゲーム(ロールプレイングゲームとアドベンチャーゲーム)が、ディスクソフトは埋め尽くされるだろうと考えていた。そんな時こそ、「他のゲーム企画者とは違うことをしたい」。当然のようにこう考える彼は、いわゆる逆張りをした。

「物語のゲームにユーザーはそろそろ食傷気味になっている頃、ユーザーはかえって、ファミコンらしいシンプルなアクションを楽しみたがっているのではないか?」。こんな仮説を抱いてつくられたのが『リンクの冒険』である。参考までに、三本目についても触れておくと、

(3)ディスクシステム発売一年半後に発売するゲームは?
そして一年半もたてば、ディスクソフトの書き換えはかなりユーザーの生活にとけ込んでいるはず――。宮本茂はさらに先をこう読んだ。そんな時には、「500円で文庫本を買う感覚で遊べるゲーム」が必要だと考える。そこで彼は、一見贅沢に思えるディスク2枚組(とはいっても書き換えならば1000円で入手できる)の長編アドベンチャーゲームを用意した。これが前編・後編に分かれてリリースされたおとぎ話風アドベンチャーゲームの傑作ソフト・『新・鬼が島』(87年9月発売)である。

要約すれば宮本茂は、まずはロールプレイングゲームで下地づくり。つづいてアクション系のゲームで原点回帰。とどめは、本を買うような感覚で書き換えてもらうアドベンチャーゲーム。以上の三作品で、聖戦の決着をつけようとしたわけだ。なんと論理的な!

ゲームソフトの商品開発史上まれに見る、戦略的な思想がこの三作品の奥に隠されているのである。

『ゼルダの伝説』(86年2月発売)
『リンクの冒険』(87年1月発売)
『新・鬼が島』(87年9月発売)

ファミコンソフトの発売日一覧表にしてみれば、何の意味も持たないかに見えるこの3行だが、偉大な英雄の、壮絶な行軍記録に思えてならない。



■1987年2月……[別働隊の作戦]

『ドラゴンクエストⅡ』のヒットをきっかけに、市場ではロールプレイングゲームがブームになっている。ディスクカードか、ロムカセットか、ではなくゲームユーザーはロールプレイングゲームを渇望していた。

しかしファミコン帝国の総帥、任天堂はディスクシステムの真価を発揮する、次なる作戦を用意していたのだ。86年2月、ディスクシステムを使った全国規模の在宅ゲーム大会、ファミコンディスクトーナメントが始まった。

◇ファミコンディスクトーナメントとは?
ディスクシステム用ソフトを、書き換えるためにつくられたディスクライターは、約3000台が玩具店・百貨店玩具売り場などに設置されていた。

ファミコンディスクトーナメントは、このディスクライターを逆方向に使う、つまりユーザー側から、任天堂へデータ転送するしくみを利用したものだった。ユーザーから任天堂にデータを送るこの方式は、「ディスクファクス」と名づけられていた。

ファミコンディスクトーナメントが最初に開催されたゲームは、『ゴルフジャパンコース』(2月21日発売)だった。このディスクには、特殊な加工が施されていて、ディスクライターを通すとプレイヤーの成績は、ホストコンピュータに転送できるしくみになっていた。このトーナメント用の特殊なディスクを、任天堂は通常のディスクカードとは色を変えて販売。他のソフトは黄色だったが、トーナメント用は青色。そのためこのディスクは俗に「青ディスク」と呼ばれた。

その青ディスクの『ゴルフジャパンコース』を買ったユーザーは、家に持ち帰ってゲームをする。そして、自分が出したベストスコア、4ラウンドをディスクにデータ保存し、再びディスクライターがある店頭に行く。店員に登録を申し出て、電話回線を通じて任天堂にデータを送れば、エントリーを完了。上位入賞者はオリジナルのコースを収録した非売品ソフトが任天堂から贈られることになっていた。

任天堂は合計4回のトーナメントを開催している。第1回『ゴルフジャパンコース』(87年2月)、第2回『ゴルフUSコース』(87年6月)/第3回『ファミコングランプリF1レース』(87年10月)、第4回『3Dホットラリー~ファミコングランプリ2』(88年4月)が対象ソフトであった。

■1985年5月……[ランキングの恐ろしさ]

だが、ファミコンディスクトーナメントも、ディスクシステム普及の起爆剤にはなれなかったようだ。かつてない試みとして話を聞くと、かなりエキサイティングであるはずのこのイベントなのだが、想像以上の盛り上がりは、見せてくれなかった。

◇何のコンテストだったのか?
トーナメントに参加した人たちは、夢中になってゲームをやり込んだ。それこそ「ここが自分の限界」というところまでプレイした。自分の技術、さらに体調までもが最高潮に達した時、『ゴルフジャパンコース』をプレイする。そうやって記録したベストスコアを持ち寄って、各人が自信満々でエントリーをした。

しかし、ファミコンディスクトーナメントが万人にエキサイティングだったのは、残念ながらここまでだった。

トーナメントが終了。いざ結果が発表されてみれば、大半の参加者が失望しなくてはいけなかった。なぜなら、全国のゲームプレイヤーが集まってみれば、「上には上がいる」ことを知らされるからである。

このイベントは日本中のゲーム天狗たちの鼻を、いっぺんへし折るために開催されたような、そんな面もあった。4ラウンドの平均スコアが66、1ラウンド平均6つのバーディをとったプレイヤーが、平気で10000位以下になってしまう。人生の厳しさを、噛みしめなくてはいけないのが、ファミコンディスクトーナメントだったのである。

コンピュータゲームに限らず、勝負事をする人間は、皆が「自分が一番!」だと思っている。しかし、そんな自慢も、全国一斉デジタル集計にはかなわない。楽しいゲームをやっているにもかかわらず、結局は多くの参加者が、軽い自己嫌悪を味わなくてはいけなかった。

第1回大会の優勝者のスコアは、一ヶ月のうち数日しか仕事をしないで、あとの毎日はゲームばかりしていた某有名交響楽団の楽団員だった。そして第2回の『ゴルフUSコース』を使ったトーナメントの優勝者は、理工学部の大学生だった。この大学生は自宅のパソコンで、最適ショット計算プログラムを作成してからゲームをはじめた。残りヤード数・風向きを入力する。すると、選択クラブと打つべき方向とショット強さが表示されるソフトウェアを自作したのだ。彼はパソコンの指示通りにゲームをして、トーナメントを制覇したのである。「右にパソコン、左にファミコン」を置いて、つかんだ優勝だった。

私が負けたから八つ当たりをするわけではないが、腕自慢ではなく、時間がある者が勝つのが、ファミコンディスクトーナメントだった。

■1987年4月~1988年2月……[戦況の変化/その2]

長かった聖戦が終わろうとしている。
後世から興亡の歴史を振り返ってみれば、この出来事が致命的だった。

大容量化が進んだロムカセットに、ついにセーブまでできる機能がついてしまう。こうなってはディスクシステムの最後の砦は、陥落したのも同然だった。

ロムカセットでも、ゲームデータを保存できるようにしたその技術を、バッテリーバックアップシステムといった。

◇たった一個の装置が……
ファミコンカセットには、プログラム・データを記憶しているマスク・ロムが入っている。そのロムのそばに、バッテリーによって電流が供給されたS-RAM(Static-Randam Access Memory)を置くと、ロムカセットでもデータの保存・読み込みができる。

このバッテリーバックアップシステムを搭載したのは、当初のうちは将棋ソフト、囲碁ソフトだった。だが、当時の人気ジャンルだったロールプレイングゲームと結びつくと、その威力はすさまじかった。

87年の秋、『ウルティマ』(ポニー・キャニオン/87年10月)、87年末『ファイナルファンタジー』(スクウェア/87年12月)、『ウィーザドリィ』(アスキー/87年12月)。とどめは、翌88年のはじめに発売されたゲームだった。当時、ファミコン史上最も売れたロールプレイングゲームとなった『ドラゴンクエストⅢ』(エニックス/88年2月)にも、バッテリーバックアップシステムが搭載されていた。

これらゲームを遊ぶうちに、ゲームユーザーの意識からディスクシステムの便利さは薄れていった。

▽  ▽  ▽
解釈の仕方はいろいろあろうが、本稿がつづるディスクシステムの興亡史は、バッテリーバックアップシステムの登場によって、あらかたの決着がついたことにして結びたい。

1986年からはじまった聖戦は、88年のはじめにはほぼ終わっている、と考えてよさそうなのだ。

実際、87年の秋に任天堂は、ディスクシステムの事実上の敗北宣言をしている。かつて、「ディスクシステム用のソフトしか出さない」と宣言していたが、任天堂自身がロムカセットのタイトル『マイクタイソンパンチアウト』を87年11月21日に発売しているのだ。


マイクタイソンパンチアウトマイクタイソンパンチアウト
(1987/11/21)
FAMILY COMPUTER

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歴史に「もし」が許されるとしたら。
もし、当初の計画の通り、NTTの電話回線でゲームデータをダウンロードして、それが500円で販売されたとしたら、今ごろゲーム業界はどうなっていたのだろうか?

パッケージソフトとは何なのだろう?
ユーザーがオンライン上で決済するということは何なのだろう?
新技術とは?
時流に乗るとは?

今だからこそ、改めて振り返っておきたい「ディスクシステム興亡史」である。

最後に私見を。
ファミコン周辺危機の販売のことを、聖戦と呼んでいることからもおわかりのように、私はディスクシステムの構想を美しいものだと思っていました。昔も、今も。

(完)

*長文をお読みくださり、どうもありがとうございました。
*なお、本文の敬称は略させていただきました。

ディスクシステム興亡史(2)

本日から東京ゲームショウ開幕です。
気をつけて行ってらっしゃいませ。

私も幕張におりますので、見かけたら、お気軽に声をかけてください。
では、昨日のエントリーのつづきです。



■1985年9月~12月……[不協和音]

ゲーム業界の内部では、任天堂の急進的な政策を「危険すぎるのではないか?」との声もあった。ディスクシステムには、良いところもあるが、悪いところもある。当時の口さがない人々は、次のようなことをささやきあっていた。

◇第一の欠点〔タイムラグ〕
まず、批判されたのが、データの読み込み・書き込み時間の問題だった。ディスクシステムを使ってゲームをすると、フロッピーディスクでパソコンを操作している時のような、データ読み書きの「間」が生じてしまう。画面に「しばらくお待ちください」などと表示されて、プレイヤーはデータを読み書きする時間を待たなくてはいけない。この「間」をアンチ・ディスクシステム派は批判の的にした。

読み書きに時間がかかるのは、ディスクシステムに限らず、磁気ディスクを使ったすべてのコンピュータの宿命だ。しかし、今までのロムカートリッジは、一切の「待ち時間」無しのメディアだった。それなのに「間」があったのでは、「まるでファミコンが退化しているかのようだ」と、ディスクシステムは攻撃された。

◇第二の欠点〔操作の手間・コンピュータを意識させる〕
さらにディスクシステムは「クイックディスク」と呼ばれる特殊な形式のディスクを使っている。これは、普通のフロッピーディスクとは違って、カセットテープのA面とB面のように両面を分けて使うタイプのものだった。だからディスクシステムでは、パソコンの操作でもありえない、ディスクをひっくり返すという作業がともなう場合もある。

アンチ・ディスク派は、「ファミコンはユーザーにコンピュータを意識させずに遊べたのがヒットした要因だ。なのに、余分なアクセスタイムがあって、なおかつディスクを裏返しにするような、手間がかかる機器などは普及しないだろう」とまくしたてた。

◇第三の欠点〔違法コピー〕
メディアがロムカートリッジから磁気ディスクに変わるということは、ソフトを違法コピーされる可能性が高くなる、との指摘もあった。磁気ディスクはロムカートリッジに比べて、コピーに対しての防衛力が弱い。複製品をつくることはいとも簡単なのではないかと危惧された。実際、この予言は的中し、ディスクシステム発売後に違法ソフトが出回ることになる。

◇第四の欠点〔製品管理〕
「磁気ディスクは取り扱いがデリケートなメディアので、子どもたちが故障させる率が高い」とも言われた。ロムカートリッジなら、べとべとにチョコレートがついた子どもの手でもソフトを持ち歩ける。しかし、水・ホコリ・周囲の磁気には弱いディスクカードは、子どもたちが使うと思わぬトラブルが起きかねない。ロムカートリッジではめったに起きない故障にメーカーはどう対応するのか。メディアの信頼性についてもディスクシステムは危惧された。

◇第五の欠点〔ディスクシステムの価格〕
ディスクシステムの予定発売価格は15000円である。そのため、「14800円のファミコン本体に、15000円の周辺機器は高価すぎる」とも批判された。任天堂はこういう考えを「それはハード屋さんの発想」と退けようとしたのだが、あながち的はずれとは言い切れない。もし、ディスクシステムが標準機器になれば、ファミコンユーザーは皆、3万円近くの買い物をしなくてはいけない。そうなってはファミコンの「安い」という利点が損なわれていくことになる。

◇第六の欠点〔ブランクディスクの問題〕
「ブランクディスクを売らないで飽きたソフトを書き換える方式に、ユーザーは魅力を感じない」という意見もあった。ブランクディスクとは空っぽの何もデータの入っていないディスクのことだ。任天堂は、書き換えをするユーザーのために、特にブランクディスクを販売しないつもりでいた。書き換えは、「ユーザーが一度買ったディスクを再利用した場合のみ認める」。これが任天堂の方針である。だが、それでは便利なはずの書き換え制度も不十分ではないか、と訴える。「買ったゲームのデータを“消す”ということは、ゲームを“捨てる”ことにほかならないのだから……」。

▽  ▽  ▽

任天堂がディスクシステムを発売することは、すでに決定済みのことなのだが、以上のような反論が業界内ではくすぶっていた。上記の意見は、いわば、当時の“反対派市民の感情”といってもいいだろう。だが、任天堂はこれら意見に一切耳を貸さなかった。

しかし、市民の感情ではなく、それが一致団結した組織・権力の意志となると、さすがの任天堂も譲歩せざるをえなかったようだ。

■1985年11月……[反旗と妥協]

現代国家なら、「司法」「立法」「行政」。
王政ローマなら「王」「元老院」「市民集会」。
国家を安定させるためには、三つの権力が分立しているのが望ましいとされている。よく歴史家は、「三本の脚がないと、テーブルは立たない」と比喩して、三権の重要性を説く。

ところで、ファミコン帝国における三権とは、「任天堂」「流通」「サードパーティ」である。ディスクシステムの聖戦の場合、提唱者の任天堂はもちろん主戦論を主張している。任天堂は積極的にディスクシステムで撃って出ようとした。しかし、ファミコン帝国の他の二権は、全面賛成はしていない。とりわけ流通(問屋や販売店)は、ディスクシステムの構想に猛反発。出征を前にして、内紛が起きたのだった。

◇流通飛ばし
ファミコン関連商品を一手に引き受ける玩具流通は、任天堂が考えた電話回線を使った書き換え制度導入を拒んだ。

そもそも電話回線による書き換えは、民営化以降NTTがはじめた課金徴収サービスによって成り立っている。このサービスと、ディスクシステムが結びついて、握手をしようとしていた。

しかし、この握手は流通業者にとっては死活問題だった。ソフトの価格が2000円台に下がり、利幅が減るだけでも痛手なのに、書き換え料金に自分たちのマージンがないのは納得できない。

彼らは抵抗した。おりしもファミコンブームがピークを迎えた八五年は、ゲームソフトを中心にあつかう大手流通業者は、対前年費の約二倍の売上・経常利益をあげていたと思われる。

そんな業績絶好調の矢先、問屋にとっては「今のまま儲かり続ける」ことが最大の願望であって、「ようわからん変化」はさらさら望むつもりはなかった。彼らはディスクシステムという周辺機器の発売には強硬な異論はないものの、「書き換え制度」には真っ向から反対した。

◇ディスクライターで妥協
結局、反発された任天堂は妥協せざるをえなくなった。書き換え制度は予定通りに実施するが、電話回線案については白紙撤回。かわって、全国約3000店舗(玩具店・百貨店玩具売場)にディスク書き換え機「ディスクライター」を設置するプランが浮上した。

「ディスクライター」の書き換えは、(1)ユーザーは玩具店や百貨店の玩具売り場にソフトを持って行く。(2)そこで500円を支払えば、(3)設置店の店員がディスクソフトを書き換えてくれる――こんな手順で行われる。

また「ディスクライター」は、ソフトを書き換えるだけではなく、店舗からホストにデータを転送することも可能にして双方向性を持たせた。(のちにこの機能を使って「ファミコンディスクトーナメント」が開催される。)

妥協しながらも任天堂は、ディスクシステムの表向きのメリットは何とか保った格好だ。しかし、この妥協の瞬間にディスクシステムの先進的なコンセプトは、大きくそぎ落とされてしまったのは否めない。



■1986年2月……[出征の時]

◇ディスクシステムついに発売
明けて1986年。85年年末商戦は終わった。ソフト数の点では活気があったけれど、1タイトルあたりの売上は前年よりも下回っていた。ソフト市場の激戦は、すでにはじまっていたようだった。もう、「ファミコンソフトなら出せば100万本」とまで言われた、あの頃には戻れないことを、自覚しないわけにはいかなかった。

戻れない。となれば進むしかない。目の前にあったのは、ディスクシステムだった。一時は懐疑的な気分が漂っていたディスクシステムだが、年が明けると一転、ディスクシステムの登場を待ち望むような声も聞こえるようになる。ハードでもいい、ソフトでもいい。売れるものがあって、景気のいい話をしていたい。そんな業界体質は、この頃からあった。

86年2月21日、ついにディスクシステムが登場した。初出荷の台数が少なかったこともあって、ほとんどの店頭でディスクシステムは即日完売した。電話回線案にかわって浮上した、業務用のディスク書き換え装置も完成し、「ディスクライター」は、全国の店舗に設置されるめどがたった。新聞・雑誌はこぞって「これからはディスクの時代!」と伝えた。

賛否両論の議論の末に登場したディスクシステムであったが、発売初期はあっさりと市場を制圧するにいたった。

■1986年2月~4月……[孤軍奮闘]

この聖戦の緒戦が大勝利をおさめることができたのは、もちろんソフトの力あってのことである。ディスクシステムがここまで売れたのは、任天堂の英雄・宮本茂の功績が大きい。

◇『ゼルダの伝説』の威力
ディスクシステムと同時発売されたソフトは、『ゼルダの伝説』。従来のファミコンゲームのユーザーにわかりやすい操作方法と、起伏に富んだストーリーを、じつにうまく混ぜ合わせてできたゲームだった。

『ゼルダの伝説』は、ハイラル地方という架空のファンタジー世界が冒険の舞台である。この地には八個の「トライフォース」という神秘のアイテムが隠されている。プレイヤーは「トライフォース」を集め、主人公リンクは、悪の支配者・魔王ガノンと戦うのがゲームの目的だ。マップは地上と地下に分かれており、ともに敵が出現する。プレイヤーは、主人公リンクを操作して敵を倒さなくてはいけない。

このタイプのゲームは「アクションロールプレイングゲーム」と区分され、当時のパソコンゲームの世界では、ポピュラーなジャンルだった。「ドラゴンスレイヤー」(日本ファルコム)、「ハイドライド」(T&Eソフト)などがヒット作になっていた。だが『ゼルダの伝説』は、どのパソコンゲームよりもおもしろいゲームで、ファミコン+ディスクシステムはパソコンにまさることを、強烈に印象づけた。

もちろん『ゼルダの伝説』は、ディスクシステムの特徴であるセーブ機能をうまく使っていた。このゲームは一般のユーザーだと二〇から三〇時間かけてエンディングを迎えるようにできていたから、人々はじっくりと、冒険小説を楽しむようにして遊んでいる。

高価なディスクシステムを早々手にいれたユーザーは『ゼルダの伝説』に満足した。もちろん、遊ぶゲームが一本しかないから……といった消極的な満足ではない。「データのセーブができると、こんな物語風のゲームが遊べるのか」「メモリー容量がロムカートリッジの3倍になると、まるで別の世界に連れていかれたような体験ができる」――彼らは『ゼルダの伝説』のおもしろさもとともに、ディスクシステムのありがたみを肌で感じていくのだった。

■1986年2月~4月……[英雄の作戦]

『ゼルダの伝説』という作戦、宮本茂の知略は見事としか言いようがなかった。この知略は、ゲームプレイヤーを満足させただけではなく、ファミコン帝国内部に渦巻く、アンチ・ディスク派の批判の口を封じてしまった。

『ゼルダの伝説』は、ディスクシステムの長所をいかしたのと同時に、欠点をも吹き飛ばした。宮本茂という稀代の英雄は、揺れ動く市民感情を敏感に察知できる、有能な文官(シビリアン)でもあった。

◇読み込み時間を逆手にとるゲームデザイン
重ねて指摘されたディスクシステムの欠点に、データの読み込み時間の問題がある。この問題を『ゼルダの伝説』は、あっさりと解決してしまった。その手口は鮮やかだった。

『ゼルダの伝説』では、ゲームを解くために必要なアイテム――トライフォース――は、すべて地下の洞窟の奥深くの迷宮(ダンジョン)に隠されている。したがってトライフォースを探し求めるプレイヤーは、まずは洞窟の入り口がどこにあるかを見つけなくてはならない。そのためにプレイヤーは、手がかりとなる情報を土地の住人に聞き、マップ上の東西南北を探索するのだ。もちろん道中では、敵と戦いながらである。

そんな苦労を積み重ねて、プレイヤーはやっと洞窟の入り口らしき箇所を見つけたとしよう。たとえば、森の中のあやしげな一本の木の前。ここを洞窟の入り口と推理したプレイヤーは、木の前に立つ。プレイヤーはヒントの通りに、木を火で燃やす――。

すると秘密の入り口が、スッと画面にあらわれる。探し続けていた迷宮の入り口かもしれない? プレイヤーはおそるおそる、その洞窟に潜り込んでいく。

洞窟に潜り込んでいくその時――。
画面一転して黒くなり、「NOW LOADING」(データを読み込み中ですの意)の文字が表示される。ディスクシステムがデータを読み込んでいることを『ゼルダの伝説』は伝えているのだ。ディスクシステムの駆動装置に赤ランプが灯り、装置の内部ではディスクが動いている音が聞こえる。

アンチ・ディスク派の心配は無用だった。不思議なことに、この時プレイヤーは、データ読み込みの「間」にイラ立ちを感じたりはしなかった。それどころかプレイヤーは、うれしくてウズウズしているのだ。なぜなら、自分が探り当てたその入り口は、喉から手が出るほどに欲しいトライフォースに近づいていく正解ルートであることを、その「間」が教えてくれていたからである。『ゼルダの伝説』のトライフォースは、すべて地下迷宮で入手できるようになっていた。だから、ディスクシステムがデータを読み込んでいる「間」は、プレイヤーの推理が当たっている証明でもあったのである。

ゲームの遊び手は、「NOW LOADING」の文字を、「データを読み込み中です」とは読んでいない。それは頭の中で、「お見事! よくぞお前は入り口を見つけたな」と翻訳されて読まれていた。

『ゼルダの伝説』が高い評価を得たわけは、こんな工夫にもあった。データの読み込み時間という、ディスクシステムの技術的なウィークポイントでさえも、ゲームソフトならでは創造性で克服してしまったのである。

(つづく)
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