Hisakazu Hirabayashi * Official Blog2011年02月

ニンテンドー3DS、誕生おめでとう

2011年2月26日。
予約してあったニンテンドー3DSを入手しました。
雑感をアットランダムに書きます。



コスモブラックを購入したが、梱包された箱からして高級感があった。
大文字で書かれたCOSMO BLACKの白抜き文字が、選びぬかれたフォントを使って、絶妙の位置にレイアウトされている。ファミリーコンピュータの梱包とは隔世の感。ニンテンドー3DSは玩具ではないことを再認識する。

箱を開けると、取扱説明書が入っている。本文だけで126ページもある。任天堂の取扱説明書はわかりやすい。余白の使い方、図解と文章のバランス。ハイレベルな編集力。オールカラーで印刷仕様も豪華。

「かんたんスタートガイド」がついている。
この手法は多くの家電製品等が採用している。詳しい本編の説明書と、すぐに操作したい人のためのダイジェスト版が入っている。

目についたのは、緑色のもうひとつのリーフレットだ。表題は、
すぐに楽しめる すれちがい通信。
その下には、
すれちがい Mii広場の文字。
「す」の頭韻がなぜか目につく。

その冊子の裏面では、「本体の更新で、次のような内蔵ソフトや機能の追加が予定されています。」と告知されている。

ニンテンドー3DSの3月、5月、7月・平林久和「ゲームの未来を語る」第12回
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=3150

この稿で私は本体更新する5月は、ニンテンドー3DSの「第二の発売日」と書いている。

同時発売のソフトは1タイトルを除いて、すべて遊んだ。
どのソフトもやり込んではいない。
そのうえでの感想だが、ソフトの値段が総じて高く感じた。
これはソフトの内容やクオリティー問題ではない。サードパーティが高値をつけているという意味でもない。収益構造がそうさせているのだな、と察した。

プレイヤーではなく、消費者としての感覚。ハードの2万5千円は、まったく高く感じない。パッケージングだけではなく、実際のハードの質感もいい。高機能で内蔵ソフトは、やはり楽しい。それに比して、ソフトの値段が高く感じる。5000円を超えるかどうかは、プライシングの心理抵抗線になるような気がする。

『スーパーストリートファイターIV 3D EDITION』の4800円にいたく好印象を持つ。

細かいことだが、内蔵ソフト「思い出きろく帳」には歩数計がついているが、その精度はかなり高い気がした。

3Dの見え方には個人差があるのか、不満を述べている人がいるようだが、私が今日、会った人たちは「本当に3Dに見える」と、皆、喜んでいた。

購入した初日だから、まだわからないが、充電時間はどれくらいもつのだろうか。
我が家のニンテンドー3DSは、誕生初日の赤子のように、専用充電台の上でスヤスヤと眠っている。
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ニンテンドー3DSの3月、5月、7月

公開されました。
ニンテンドー3DSの3月、5月、7月・平林久和「ゲームの未来を語る」第12回
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=3150

まもなく、ニンテンドー3DSが発売されます。
ニンテンドー3DSの名が発表されたのは、昨年3月23日のことでした。

その後、6月に開催されたE3(Electronic Entertainment Expo)、9月に開催された「任天堂カンファレンス2010」、本年1月に開催された体験会。

インターネットの公式サイト、その他媒体でも大量の情報が流れています。
しかし、ニンテンドー3DSはまだまだベールに包まれたマシンではないか。
そんなことをつらつらと書いております。ご覧ください。

前回エントリーの「ゲームソフト流通物語(1)」。
(続く)で終わったあと、なかなか更新されません。

間隔が空いておりますが、もちろん続きます。
しばしお待ちください。

ゲームソフト流通物語(1)

■思わぬ飛び火

2月13日。
日曜日のことでした。
私は知人のゲーム専門店の閉店を知り、Twitterでゲームソフト流通事情を連投しました。
それを@s_ryuukiさんがトゥギャッター(togetter)でまとめてくださいました。

トゥギャッターの冒頭と最後の部分に書いてあるように、閉店を決断した社長兼店長の労をねぎらうツイートであり、現在のゲームソフト流通を解説する、批判する、肯定する……のいずれの意図もありませんでした。

ところが、ゲーム流通の構造を詳しく知らない方からは驚きの声が。ゲーム流通の現場で働いている事情通からは、現実はもっと厳しいなどのご意見が私に届くようになります。ページビューも3000を超えています。

そして16日水曜日には、何の因果か「ゲーム流通のNESTAGE、増資額水増しの疑いで捜索」の報。

さらに私のトゥギャッターを、『はちま起稿』が記事にする、そこで起きたことをロケットニュース24が記事にする……と予期せぬ波紋が広がっていきました。

であるならば、きちんと最初から紐解きましょう。
ゲーム流通のこと。

かつて私は、「ディスクシステム興亡史」と題して未発表の原稿をブログに掲載したことがあります。この原稿と同時期(1992年当時)に書いた原稿を蔵出しして、ファミリーコンピュータ時代の流通を振り返ってみます。

las-vegas-spa-tropicana.jpg


■異文化のビジネスマン、流通業界の話

 年開け早々の1月上旬、アメリカ・ネバタ州ラスベガスにある最高級ホテル「ホテル・トロピカーナ」の客室フロアの廊下を、思い思いの浴衣を着て歩く、中年男性の団体客を見かけたら、それはおそらく日本からやってきた玩具問屋の御一行様である。コンシューマ・エレクトロニクス・ショー(Consumer Electronics Show/略称CES)は、例年、夏期はシカゴで、冬期はラスベガスで行われる(当時)。

 このショーには、アメリカ市場向けのゲームソフトが多数出展されるので、この時期になると日本からソフトメーカー社員をはじめ、関係マスコミ、流通関係者が大挙して「視察」に訪れるのだ。

 浴衣でホテルを闊歩する彼らは、ゲームビジネスにあって、固有の文化を持って生きている。

 なにせ、彼らはほんの数年前までは、鯉のぼり、着せ替え人形にプラモデル、三輪車や、シンバルを叩く猿、赤ん坊のガラガラや、水鉄砲を売っていた。なのに、ファミコンが登場した以降は、コンピュータソフトなるものをあつかわなくてはいけなくなった。そして今では、日本のありとあらゆる家庭用ゲーム機とその対応ソフトのほとんどすべてを、彼ら「玩具流通」が市場に送り届けなくてはならない。

 本稿を通じて、私が心を込めて言いたいことは、ただひとつ。
 彼らにもっと同情を!

 1983年の頃。玩具流通業界は、気安い気持ちでファミコンとファミコンソフトをあつかい商品に加えた。何はなくともファミコンは、玩具流通業界とのつき合いは長い――老舗・任天堂の製品である。しかも近年は同社の「ゲーム&ウオッチ」(80年発売)で、流通各業社はずいぶん儲けさせてもらった。その任天堂の製品を、「扱えません」と彼らが断る理由は、どこにもないからだ。

 仮にこの時、「ファミリーコンピュータはコンピュータですから、玩具以外の流通を通してお売りになってはいかがですか? 任天堂さん」と彼らが言っていたなら、また今とは違うファミコン、また今とは違う任天堂、また今とは違う産業構造と文化が、この世に生まれていたはずだ。

 しかしながら、彼らは何の疑いもなく、ただ任天堂の製品という理由から、ファミリーコンピュータをあつかっていたのだ。ところが、そんな彼らの気軽な意志決定は、軽率ではなかった。軽率どころか、のちにかなりの幸運を招くことになるのだ。たとえればこの幸運は、生まれてはじめてパチンコ店に入った女子大生が、最初に買った300円の貸玉で「777」が出たようなもの。ファミコンはフィーバーするのだ。

 ファミコン本体は、発売初年にあたる83年、ほぼ5ヶ月半の間で45万台が売れている。ハードの上代を単純計算しただけでも、66億円相当になろう。これだけの金額が、それこそ目にも止まらないうちに、彼らの当座預金やレジスターを通り過ぎていった。彼らにとってファミコンは、円高不況のさなかの思わぬ天の恵みになったのだ。玩具流通は、ファミコンで潤う。

 だが、こんな儲けは序曲……いや、序曲の楽譜がオーケストラのメンバーに配られた程度にすぎない。翌年からファミコンは、さらに売れ出す。ハードが普及すれば、つられてソフトも稼ぎ出すようになった。初期のファミコンソフトは、何十万本単位で売れるのが当たり前だったから、ハード・ソフトが一体になって荒稼ぎをはじめたのだ。玩具流通では画期的なことである。ちなみに発売当初のファミコン本体の年別販売台数は、

 83年、45万台。
 84年、165万台。
 85年、374万台。
 86年、383万台。


 「倍々ゲーム」……とはよく言ったもので、この慣用句は当時のファミコンのためにあるようなものであった。

■ファミコンブームは去るはずだった

 ファミコンが発売された直後、玩具流通業のマネージメントの仕方は、きわめてシンプルだった。仕入担当者も、販売担当者も、在庫管理担者も、財務担当者も、ただ一点の指標のみを、正しく導いていけばいい。そうすれば彼らの経営は、すべてうまくいった。

 その指標とは、取り扱い商品の《ゲーム》対《非ゲーム》の比率を、上手にコントロールしていくこと。商売が人気商品ファミコンに偏りすぎてはいないか、彼らは常に慎重であろうとした。

 ファミコンははじめ、ルービックキューブのようなブームだと思われている。
 いくら今は飛ぶように売れているとはいっても、ファミコンブームなどはいつ終わるか、わかったものではない。彼らにとって発売初期のファミコンは、売れるのはうれしいが、警戒すべき商品でもあったのだ。「儲けを逃さず、かといってブームが終わった時に在庫を抱えすぎず」……彼らは惜しみなく、この一点に気を配った。

 流通業者が抱える10個の在庫は、100個の販売が生む利益を、ペロリと飲み込む狼である。彼らは、この世の春を謳歌しながらも、赤ずきんちゃんのように、狼がやってくるのを恐れた。彼らは、在庫という狼が牙をむくのにおびえながら、花を摘み、蜜を絞ったのである。この頃の玩具業界の業界紙(玩具通信)を読むと「貴店のゲームの売上比率が、40%を越えたら、それは赤信号のサインです」といった、《ゲーム》対《非ゲーム》の比率を論じた記事が、しばしば掲載されている。

 玩具流通では問屋も小売店も、懸命になって《ゲーム》を売っている。しかし、《非ゲーム》もおろそかにしない。単価が安くて悲しくなるような水鉄砲でも、場所をとって仕方のない三輪車でも、限られた季節にしか売れない五月人形でも、彼らはきまじめに売った。彼らはブームに浮かれることなく、従来のサービスも、けして怠らなかったのだ。

 ファミコン……という幸運が訪れた後の玩具流通は、いたって正常なバランス感覚を持っている。そう断言してもいいのだろう。ビジネスにはリスクヘッジがつきものだ。さすがに彼らは、流行りすたりが激しい玩具の世界の歴戦のビジネスマン。「777」を出したからといっても、手放しで単純に喜ぶようなヘマはしなかった。

 だが、同情すべきはここから先の話である。幸か不幸か、ファミコンブームは終わらないのだ。それどころか、サードパーティが加わって、発売されるファミコンソフトのタイトル数は増えるいっぽうになる。
 ちなみに1年間のファミコンソフト発売タイトル数は、

 83年、10タイトル。
 84年、19タイトル。
 85年、66タイトル。
 86年、115タイトル。


 ファミコンソフトは、異常なまでのペースでタイトル数を増やしていくのだった。この事態は、ある意味で玩具流通にとっては誤算であった。

(続く)

TOKYO FM「シナプス」に生出演します

tfm.jpg

2月17日。
木曜日。
TOKYO FM「シナプス」に生出演いたします。
どうやら、発売日が近くなってきたニンテンドー3DSのことと、ラジオの未来について質問される模様です。
出演予定時間は午後2時30分前後です。

パーソナリティーのやまだひさし様、よろしくお願いします。
主演時間はなんと10分間!
USTREAMのようにダラダラ話さないようにしなくては。

もちろん、radikoでも聞くことができます。
聞くお時間がありましたら、ぜひ!

NGP、誰も語らない第二のソフトの爆発力

PlayStation Meeting 2011が開催されました。
同発表会では、NGPの機能やコンセプトについて詳細に発表されました。

この発表から、かれこれ約2週間が経過しました。
新機能の解説や予測が多数のメディアで報道されています。

私が注目したのは、発表会の映像には映っているのだけれど、サラッと流されている部分です。それは、NGPは携帯用ゲーム機にソフトを差し込むだけの装置ではなく……じつは目に見えない存在があるのではないのか?

ということを書きました。

その片鱗は、すこぶる評判のいい『アンチャーテッド』ではなく、プレイステーション、定番ソフトのデモンストレーションに隠されていたのです。

公開されました。
NGP、誰も語らない第二のソフトの爆発力・平林久和「ゲームの未来を語る」第11回
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=3058

第二のソフトって何だよ?
定番ソフトって何だよ?

疑問を持ちつつご覧になってください。

なお、2月10現在。
PlayStation Meeting 2011の様子は、公式サイトでも見ることができます。

迷うNikonのカメラ

  • Day:2011.02.06 01:12
  • Cat:私…
一眼レフカメラを持っていて、サブのデジカメを買うつもりでした。
が、思わず迷う軽量一眼レフ。
どれにしようか迷う。
Nikonのどっちか?



Nikon デジタル一眼レフカメラ D3100 レンズキット D3100LKNikon デジタル一眼レフカメラ D3100 レンズキット D3100LK
(2010/09/16)
ニコン

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Nikon デジタル一眼レフカメラ D5100 18-55VR レンズキットNikon デジタル一眼レフカメラ D5100 18-55VR レンズキット
(2011/04/21)
ニコン

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LOIMOは使いにくいが使うことにした

  • Day:2011.02.03 13:40
  • Cat:働く
LOIMOというWebサービスがはじまった。




LOIMOはキーワードで世界をつなげるサービスです。
これがコンセプト、らしい。

キーワードを設定しましょう

 LOIMOはキーワードであなたと人をつなげます。
 あなたがおもしろいと思ったことを記事にしてみましょう

キーワードを決めて記事を投稿しましょう

 同じキーワードを設定している人に記事が届きます。
 届いた記事を評価しましょう
 評価出来るのはその記事が届いた人だけです。

LOIMOの使い方はあなた次第
 
 あなたがもしBloggerなら、Blogの日記をLOIMOを使って広めるのも良いでしょう。
 動画を投稿したなら、それをLOIMOで記事にするのも良いでしょう。


これが使い方、らしい。

で、実際にアカウント作成してみたら、とても使いにくい(笑)

たとえば、せっかく何かを書こうと思っても、そこでHTMLタグが使えるのか、使えないのかも書いていない。

http://loimo.jp/

のようにhttpの記述をすると自動リンクするのかと思うと、しない。
本当に未熟なサービスだ。

にもかかわらず、私がこのアカウントをつくったのは、運営者の熱意が伝わったからだ。

このサービスを使いませんか、というメールをいただいた。
文面に熱意があった。
熱意は伝わりましたが、説明がわかりません返信したら、お詫びがあった。そして、電話で説明してくださいとお願いしたら、時間をきっちり守って一生懸命に説明してくれた。

お尋ねしたら、このサービスは1月28日からはじまったのだという。
創業メンバーは、大手IT企業を退職した若者たちだという。
じつは前回のエントリーで、はじめて利用したら、すぐさま御礼のメールをいただいた。
彼らは律儀なのだ。礼儀正しいのだ。

今から20年まえ。
私が会社を辞めたのは、1月31日付けのことだった。
2月の初旬、必死になって人に会って、会社設立の説明をした。
日本中を駈けずり回った。
その間、給料は無かった。

ラーメン屋では一番値段の安いという理由で「ラーメン」を食べた。
隣で「チャーシューメン」を注文する人がいると、うらやましいと思った。

無我夢中とは、まさにこのことだった。
私が会社を辞めて創業した当初のことを思い出した。

その頃を自分自身が忘れないようにするためにLOIMOを使ってみた。

あ、今、見たらリンクタグの説明が加わった。
これは私がメールで書いた改善要求。
すぐに、反映させているんだ。

LOIMOの皆さん、頑張れ!
頑張って、使いやすくしてくれ!
株主優待