Hisakazu Hirabayashi * Official Blog2011年04月

ソーシャルゲーム論ノート・上

ソーシャルゲームについて書きました。
「論」になるまえの雑記です。

ソーシャルゲーム論ノート(上)・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第16回
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=3613

ソーシャルゲームとパッケージを比較した場合の明らかな長所。
意外と見落としがちなリスキーと思われること。
その他、思いつくままに書いてます。
以下は、BLOGOSファイナンスの業界地図です。
ご参考までに。

■ソーシャルゲーム業界マップ
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■ゲーム・玩具業界マップ
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プロジェクトリーダーの器量

原子力発電所事故について、政府・首相官邸の対応が批判されている。
震災が起きた直後から大事故が起きていたのに、隠していたのではないか、と。

誤解や非難を恐れずにいえば、私は政府・首相官邸の気持ちがわかる。
規模ははるかに違うが、ゲームづくりの現場でも似たことがあるからだ。
たとえば……100人の開発チームで2年かけてゲームソフトをつくった。
だが、発売元の判断で、そのソフトが世に出せなくなった、としよう。

こういう不幸なことは珍しくない。
ゲーム業界では、しばしば起きる現象だ。

こんな状況におかれたプロデューサー(開発会社の経営者)だとしたら、どうするだろう? 

「さあ、皆さん、集まって。私たちが2年間かけてつくったゲームがボツになりました」。
以上報告でーす。

と言ったら、バカだ。
自分で自分が無能だと言っているに等しい。

リーダーは方策を考える。つくったゲームに欠点があれば、修正して予定通りに発売しようとする。
プロモーションなど販売方法に問題があれば、良いプランはないかと知恵をしぼる。
発売元Aがダメならば、発売元Bに持ち込んで、プロジェクトを生き返らせる方法はないかと考える。

つまり、重大事が起きたとき、リーダーは「一斉に」「即時に」「同一の」情報を流すことは、けっして得策ではない、と咄嗟に判断するものだ。重大事をリカバーしようと、部下からは見えないところで、懸命にもがくのが、習性となっているのだ。

リーダーに悪気などまったくない。
事実を公開しないことがリーダーの職務だと思っている。

しかし、組織の構成員である部下も賢い。
開発現場の上層部が、ワサワサとしている雰囲気は、同じ社内にいれば、伝わるものである。

これを放っておくと、開発チーム内に悪い噂が流れることになる。
そして噂は多くの場合、現実よりも悲観的な憶測を含んだものになる。

たとえば、あるプロジェクトが失敗して発売中止の危機が訪れている。
……というのが起きていることの事実だが、「我が社はもうすぐ倒産する」「大量リストラがある」と、たいてい話に尾ひれがつくものである。この悪い噂は、悲観的であると同時に将来の自身の不安な気持ちとが重ね合っているケースが多い。

では、そういう悲観的すぎる噂が広まらないようにリーダーは何をするのか?
情報提供の階層分けをする。

本当のことを知っておいてもらいたい信用できるグループ。
周囲が悪い噂を言ったとしたら、それを食い止めるグループなど。
階層分けをして事実を話す。
情報を小出しにすると言い替えてもいい。

火中の栗を拾うような覚悟で、最も危険な噂の元になりそうな人物と1対1で事実を話す、こともある。
ある種、サシで勝負をするようなものだ。

あるいは、100人のチーム内で情報伝達ルートがしっかりとしていればリーダーはどしりとしているのがいい。
そのまわりで説明力があり、チームマネジメントがうまいスタッフの力を頼り、最悪の場合を事前に説明しておく。何も知らないメンバーに心の準備をしてもらうこともある。

だが、最悪の話をするだけではいけない。過去に働いたことへの敬意を十分に重んじ、その労をたたえなくてはいけない。そして、その最悪の向こうには、どんな希望があるかを伝達する必要もあるのだ。さもないと、スタッフは、やりきれない気持ちになるだけだ。

私はこういうプロジェクトの危機を何度か体験してきたので、政府・首相官邸の気持ちがわかる、と言っている。

通常のトラブルならば、そんなやり方でなんとか収まるところに収まる。
だが「命」がかかわると話は別だ。
起きたトラブルは通常ではない。

通常ではないからリーダーは通常のふるまいをしてはいけないのだ。

トラブルには「通常のトラブル」と「超常的トラブル」があることが、このたびの震災で思い知らされた。

いつもより、もう一段も二段も高いところにあるトラブルというのがあって、これは「通常のトラブル」に慣れている人がマネジメントをすると、かえっておかしくなる。冷静にプロジェクト・マネジメント、プロデュース、経営の観点からみると、そんな教訓を得た。

では、「超常的トラブル」が起きたらどう対処すればいいのだろう?
今の政治家が間違っていることはわかっているが、科学的な解決方法はわからない。

ただし、どういう人物ならばこの困難を克服するかは、経験上、わかる。

(1)底抜けに明るい人
(2)意外におとなしくて静かに話す人
(3)愛がにじみ出ている人
(4)情熱家
(5)運がいい人
(6)日頃から尊敬されている人
(7)美しいエピソードを持っている人

この天災のような人災は思考やアイデアや工程表よりも、リーダーの器量が解決してくれる。
では、リーダーの器量とは何かというと、禅問答のようだが上記(1)から(7)をなるべく多くそなえていることを指すのだろう。

無断転載を禁止しません

  • Day:2011.04.15 01:34
  • Cat:言葉


「ゲームの文章術」・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第15回
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=3501

で、上記のスライドを使いました。
基本中の基本しか書いてありません。
本当は、書きたいことがいっぱい、込み上げるものもいっぱいあるので、建てつけ(企画構成)を新入社員研修風にしたのですね。

slide shareのプレゼンテーションでは見にくいのですが、2ページ目以降のフッターには「無断転載を禁止しません」と書いてあります。皆さまがたのニーズに合わせてお使いください。

ゲームソフトの紹介文。
もとをたどれば、少年マンガ誌、児童誌の二人称をつかった威勢のいい表現文化。

「世界を救うのはキミだ!」

それとコンピュータ雑誌のカタカナ表現文化。

「セーブ」「マップ」「チャート」「プレイモード」「アーケード」

これらが混ざり合ったのが、80年代のゲーム専門誌の黎明期だったわけで、それを今でも少なからず引きずっているのでしょうね。

新しい言葉でゲームを語りたい。
そんなことを書いたら、私にブーメランが飛んできましてね。
さきほどまでソフトの紹介文を書いていました。

ちょっと強引に操作方法の説明で「艶めかしい」と書いてみましたが、果たしてそれで良かったのかどうか。取材したら外の物語に帝政ロシアのおもしろい話題があったのですが、これは難しすぎると判断してカットしました。果たしてそれで良かったのかどうか。

頭がボーッとしています。

あ、なんだかだらだら書いてますね。
締めます。
スライドには「無断転載を禁止しません」と書いてあります、ということをお伝えしたかったのでした。

ゲームの文章術

「ゲームの文章術」・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第15回
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=3501


公開されました。
ご覧ください。

4月上旬ということもあり、新人社員の研修風にまとめてみました。
リンク先には、スライドもあります。

今のゲームソフト紹介文は昔にテンプレート化されたものとあまり変わっていない。
もっといろんなパターンがあっていい。
など、と述べてみたかったのです。

パッケージソフト、ソーシャルゲーム。
紙媒体、Webサイト、映像のナレーション。
ゲーム業界の文章に変化を!

前半は遊びを入れたのですが、通じてくれてますよね。

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)
(1968/12)
芥川 龍之介

与謝野晶子歌集 (岩波文庫)与謝野晶子歌集 (岩波文庫)
(1985/11/18)
与謝野 晶子

彼岸過迄 (新潮文庫)彼岸過迄 (新潮文庫)
(1952/01)
夏目 漱石

夜明け前 第1部(上) (岩波文庫)夜明け前 第1部(上) (岩波文庫)
(2003/07/17)
島崎 藤村


政権交代が起きた日のエントリー

  • Day:2011.04.10 20:02
  • Cat:政治
2009年9月1日。
衆議院選挙が開票され、政権交代が起きた日の翌朝。
私は「政治なのに文学的になった夜だった」というエントリーをしています。
統一地方選挙、開票をまえに読み返してみました。

 政権交代!
 鳩山内閣誕生!
 自民党、大物議員、続々落選!

 漢字だ。
 我が家のテレビに流れるテロップは、どれも漢字だった。

 起きたことは戦後政治史において、画期的なのはわかる。
 でも、どの番組を観ても「感じ」が伝わってこなかった。
 漢字で書き、漢字を話をしている気がした。

 いつも、漢字好きな、つまり概念の中で生きるのが好きな私だが、こうみんなに漢字を使われると、かえって冷める。

 民主党の獲得議席も、激戦区の動向もどうでもよくなって、テレビ画面を眺めがら、まったく別のことを考えはじめた。

 「国民が主役の」と言っている人の、軽井沢の別荘の前を通ったことがある。
 あの広大な別荘を国民は持っていない。

 「子ども手当て、2万6千円のマニフェストは守るんですね」とその人に話をしているキャスターのギャラは、一晩で数百万だ。

 入閣が噂される民間人を、テレビ局の人たちは知っていて、あえてコメンテーターにしていない。

 バンザイにダルマも世間ズレしていると思うが、のぼりを持って自転車に乗るのもどうかと思う。
 こうした候補者を見て、『ドラゴンクエスト9』のサンディだったら、何て言うだろうか。
 参政権のない、ガングロの妖精の意見を聞いてみたい。

 心、ここにあらずの状態で、画面を眺めていると、そんなシニカルなことばかりを考えてしまう。

 現実に何か大きなことが起きているらしい。
 でも、ウソっぽい。

 私は、現実の中の虚構を私は見ている。
 ……ような、感じがする。
 いや、虚構という現実を見ているのだろうか。

 夢か現(うつつ)か、現か夢か。
 「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」。
 
 気分は『胡蝶の夢』だ。

 この空恐ろしいフィクションのようなノンフィクションを、バレないようにしているのはネクタイかもしれない。私は急に、政治家とキャスターとコメンテーターの服装が、気になりはじめる。

 だが、あまり意味はなかった。
 一緒だ。
 そこにもまた、虚と実が混ざっている。
 スタイリストがついている人物と、そうでない人物の見分けがついてしまう。

 幅広のレジメンタルストライプのネクタイをしている派と、それ以外の人という見方もできる。レジメンタルといえば、イギリスの連隊を示す柄。トラディショナル・ファッションのシンボルだ。

 「風が吹いた」。
 「逆風の中での苦戦した」。

 比喩は「風」がほとんどだった。
 風の話は聞き飽きた。

 「私の不徳の致すところ」。
 「敗軍の将、兵を語らず」。

 敗者の言葉も陳腐だ。
 私が落選候補者の参謀なら、名コピーを思いついてから選挙事務所入りすることをすすめるのに。

 テレビに映る誰の言葉も冴えていない。

 石原慎太郎だけは違った。
 「自民党は軽蔑されたから負けた」ときっぱり言い切った。

 蔑は漢字だが、「感じ」が伝わった。
 「首相が漢字を読めないとか、任期中の県知事に出馬を頼みに行くとか、国民から軽蔑されるようなことをするから負けるんだ。反対意見や怒りの感情を鎮めることができても、軽蔑された者は信用を取りもどすことができない」。

 蔑という字は下品すぎて、危険すぎて、他のテレビの登場人物たちが、無意識のうちに避けている文字だったが、それを使ってしまうところが、良くも悪くも石原慎太郎だ。

 それにひきかえ、ただただ、失礼な記者がいた。
 麻生太郎という、この日、最も惨めな思いをしている人に、こんなことを言った。

 「いわゆる“麻生おろし”があったときに辞めていればよかったとは思いませんか?」。
 そんなことを尋ねて、なんの意味があるのだろう。

 今、政治の話をしているが、明日、大地震があったら、どうするんだろう? みんな。
 その、みんなは誰を指すのかがわからない。
 わからないが、なんとなくみんなのことを考えている。

 地震、台風、インフルエンザ。
 比例東京ブロックの票数よりも、天変地異が気にかかる。

 心、ここにあらずの状態で、思いつくままに思考してはやめる行為にも飽きて、就寝。
 眠りについたのは、たぶん午前2時。

 睡眠不足の朝。
 街は驚くほど静か。

 電車に乗っている人は誰も口をきかない。
 昨夜の選挙の話すらしていない。
 そして、新聞を読んでいる人が少ないような気もした。

 政権交代なんて、まるで他人事で、遠い日の思い出のようだ。
 この景色が幸福なのか、不幸なのかもわからない。

 明らかに変わったのは気温だ。
 虫の声だ。
 9月1日。
 季節は夏から秋へと変わった。
 なう。

操觚者

【今日のWikipedia】……ジャーナリスト

ここ数日間、Twitterにログインしている時間が極端に短くなった。

理由はジャーナリストと呼ばれる人たちが、権力や大企業、具体的には政府と東京電力に言葉の力で挑もうとしている姿が痛々しい。私は批判をしていない。さりとて心底、敬意を払うこともできない。その労を見ては、ただただ、複雑な感情になるだけだからだ。

ジャーナリストの原動力は正義感だ。
だが、ときに正義感は行動するうちに高揚感に、執筆するうちに陶酔感へとすりかわる。
ひとつの稿を書き終えたあと、冷静な目に戻れるかどうかが問われる。

言葉は酒のように人を酔わせる。文脈もまたしかり。
Twitterの中にいると、書かれた文字よりも、書き手の終わりなき高揚と陶酔を眺めている気分になる。

その気分はけっして心地よいものではない。

ジャーナリストの昔の呼称は「操觚者(そうこしゃ)」だった。

とは、中国古代、儀式に用いられた大型の酒器。細い筒形の胴に朝顔状に開いた口縁と足とがつく……と辞書に書かれていた。

形而上学的にいうと、メディアが商業化された時点でジャーナリストはいなくなった、というのが持論だ。

だから、私はどんなに文章を書いても、ジャーナリストを名乗ったことはない。
いや、名乗りたくても名乗れない。
身が汚れた、ただの物書く芸人だと思っている。

デマの心理学

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この要請って何か気持ち悪いですね。
線引きが曖昧なんだもの。
命令ではなく要請です。

表現の自由に配慮しつつ適切に対応するよう……なる文言が何度も出てくるのも気になります。
最上位法。憲法で定めた表現の自由を侵すものではないというエクスキューズが透けて見えます。
私論なのですが、総務省がこういうことをしても、逆効果、または効果がないと思います。

デマはデマゴギー(demagoguery)には法則があります。
R=i×a
R:Rumor(流言の流布量)
i:importance(重要性)
a:ambiguity(曖昧さ)


●デマの法則は
デマ流布量=話の重要度×証拠の曖昧さ、です

これはアメリカの心理学者・G.W.オルポートL.ポストマンが著した「デマの心理学」で論述されています。
今、政治・行政のリーダーが行うべきは、ネットの書き込みをいちいち消すことではなく、「証拠の曖昧さ」を減らすことだと思います。

デマの心理学 (岩波モダンクラシックス)デマの心理学 (岩波モダンクラシックス)
(2008/10/03)
G.W.オルポート、L.ポストマン 他

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