Hisakazu Hirabayashi * Official Blog2011年05月

再掲載|「ゲームソフト流通物語(1)」

過去にエントリーした、「ゲームソフト流通物語」
私が1991年頃に書いた未公開原稿です。
(1)で中断しておりましたが、考えるところあって再開します。
以下、短いエントリーですが本文を再掲いたしました。




■異文化のビジネスマン、流通業界の話

 年開け早々の1月上旬、アメリカ・ネバタ州ラスベガスにある最高級ホテル「ホテル・トロピカーナ」の客室フロアの廊下を、思い思いの浴衣を着て歩く、中年男性の団体客を見かけたら、それはおそらく日本からやってきた玩具問屋の御一行様である。コンシューマ・エレクトロニクス・ショー(Consumer Electronics Show/略称CES)は、例年、夏期はシカゴで、冬期はラスベガスで行われる(当時)。

 このショーには、アメリカ市場向けのゲームソフトが多数出展されるので、この時期になると日本からソフトメーカー社員をはじめ、関係マスコミ、流通関係者が大挙して「視察」に訪れるのだ。

 浴衣でホテルを闊歩する彼らは、ゲームビジネスにあって、固有の文化を持って生きている。

 なにせ、彼らはほんの数年前までは、鯉のぼり、着せ替え人形にプラモデル、三輪車や、シンバルを叩く猿、赤ん坊のガラガラや、水鉄砲を売っていた。なのに、ファミコンが登場した以降は、コンピュータソフトなるものをあつかわなくてはいけなくなった。そして今では、日本のありとあらゆる家庭用ゲーム機とその対応ソフトのほとんどすべてを、彼ら「玩具流通」が市場に送り届けなくてはならない。

 本稿を通じて、私が心を込めて言いたいことは、ただひとつ。
 彼らにもっと同情を!

 1983年の頃。玩具流通業界は、気安い気持ちでファミコンとファミコンソフトをあつかい商品に加えた。何はなくともファミコンは、玩具流通業界とのつき合いは長い――老舗・任天堂の製品である。しかも近年は同社の「ゲーム&ウオッチ」(80年発売)で、流通各業社はずいぶん儲けさせてもらった。その任天堂の製品を、「扱えません」と彼らが断る理由は、どこにもないからだ。

 仮にこの時、「ファミリーコンピュータはコンピュータですから、玩具以外の流通を通してお売りになってはいかがですか? 任天堂さん」と彼らが言っていたなら、また今とは違うファミコン、また今とは違う任天堂、また今とは違う産業構造と文化が、この世に生まれていたはずだ。

 しかしながら、彼らは何の疑いもなく、ただ任天堂の製品という理由から、ファミリーコンピュータをあつかっていたのだ。ところが、そんな彼らの気軽な意志決定は、軽率ではなかった。軽率どころか、のちにかなりの幸運を招くことになるのだ。たとえればこの幸運は、生まれてはじめてパチンコ店に入った女子大生が、最初に買った300円の貸玉で「777」が出たようなもの。ファミコンはフィーバーするのだ。

 ファミコン本体は、発売初年にあたる83年、ほぼ5ヶ月半の間で45万台が売れている。ハードの上代を単純計算しただけでも、66億円相当になろう。これだけの金額が、それこそ目にも止まらないうちに、彼らの当座預金やレジスターを通り過ぎていった。彼らにとってファミコンは、円高不況のさなかの思わぬ天の恵みになったのだ。玩具流通は、ファミコンで潤う。

 だが、こんな儲けは序曲……いや、序曲の楽譜がオーケストラのメンバーに配られた程度にすぎない。翌年からファミコンは、さらに売れ出す。ハードが普及すれば、つられてソフトも稼ぎ出すようになった。初期のファミコンソフトは、何十万本単位で売れるのが当たり前だったから、ハード・ソフトが一体になって荒稼ぎをはじめたのだ。玩具流通では画期的なことである。ちなみに発売当初のファミコン本体の年別販売台数は、

 83年、45万台。
 84年、165万台。
 85年、374万台。
 86年、383万台。

 「倍々ゲーム」……とはよく言ったもので、この慣用句は当時のファミコンのためにあるようなものであった。

■ファミコンブームは去るはずだった

 ファミコンが発売された直後、玩具流通業のマネージメントの仕方は、きわめてシンプルだった。仕入担当者も、販売担当者も、在庫管理担者も、財務担当者も、ただ一点の指標のみを、正しく導いていけばいい。そうすれば彼らの経営は、すべてうまくいった。

 その指標とは、取り扱い商品の《ゲーム》対《非ゲーム》の比率を、上手にコントロールしていくこと。商売が人気商品ファミコンに偏りすぎてはいないか、彼らは常に慎重であろうとした。

 ファミコンははじめ、ルービックキューブのようなブームだと思われている。
 いくら今は飛ぶように売れているとはいっても、ファミコンブームなどはいつ終わるか、わかったものではない。彼らにとって発売初期のファミコンは、売れるのはうれしいが、警戒すべき商品でもあったのだ。「儲けを逃さず、かといってブームが終わった時に在庫を抱えすぎず」……彼らは惜しみなく、この一点に気を配った。

 流通業者が抱える10個の在庫は、100個の販売が生む利益を、ペロリと飲み込む狼である。彼らは、この世の春を謳歌しながらも、赤ずきんちゃんのように、狼がやってくるのを恐れた。彼らは、在庫という狼が牙をむくのにおびえながら、花を摘み、蜜を絞ったのである。この頃の玩具業界の業界紙(玩具通信)を読むと「貴店のゲームの売上比率が、40%を越えたら、それは赤信号のサインです」といった、《ゲーム》対《非ゲーム》の比率を論じた記事が、しばしば掲載されている。

 玩具流通では問屋も小売店も、懸命になって《ゲーム》を売っている。しかし、《非ゲーム》もおろそかにしない。単価が安くて悲しくなるような水鉄砲でも、場所をとって仕方のない三輪車でも、限られた季節にしか売れない五月人形でも、彼らはきまじめに売った。彼らはブームに浮かれることなく、従来のサービスも、けして怠らなかったのだ。

 ファミコン……という幸運が訪れた後の玩具流通は、いたって正常なバランス感覚を持っている。そう断言してもいいのだろう。ビジネスにはリスクヘッジがつきものだ。さすがに彼らは、流行りすたりが激しい玩具の世界の歴戦のビジネスマン。「777」を出したからといっても、手放しで単純に喜ぶようなヘマはしなかった。

 だが、同情すべきはここから先の話である。幸か不幸か、ファミコンブームは終わらないのだ。それどころか、サードパーティが加わって、発売されるファミコンソフトのタイトル数は増えるいっぽうになる。
 ちなみに1年間のファミコンソフト発売タイトル数は、

 83年、10タイトル。
 84年、19タイトル。
 85年、66タイトル。
 86年、115タイトル。

 ファミコンソフトは、異常なまでのペースでタイトル数を増やしていくのだった。この事態は、ある意味で玩具流通にとっては誤算であった。

(続く)
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赤ふぁぼをまとめました

先週末、「修羅場をくぐった経営者から教わったこと」というエントリー、大変な反響がありました。

GameBusiness.jpのエキスパートブログでは、600人以上の方にツイートされ、80人以上の方に「いいね!」と言われ、1200人以上の方が、はてなブックマークに登録してくださいました。

ブログでも、Twitterでも、本でも、テレビ番組でも「情報」は人気がある、売れる。だけれども、「考え方」はあまり人気者になれない。それが市場原理だと思っていました。ですが、「考え方」を喜んで読んでくれた人が多かったことがうれしかった。私は「情報」も書きますが、「考え方」を書くのが好きな人だからです。

これだけ多くの人に読まれると、続編をやってくれ! というリクエストをいただくことになります。ですが、そんなに特定の人物の語録を続けて書くことはできません。そこで考えました。新しいブログ読者、Twitterのフォロワーの方がいらっしゃると思うので、不肖、私の人気のあったツイートを再掲して、今日のブログにさせていただきます。

人気のあった‥‥RTされた数よりも、私が集計しやすいのは、Favの数。ふぁぼったーで赤字、5fav以上(通称・赤ふぁぼ)のものをいくつかピックアップいたしました。前後の脈絡のないツイートの集合体になりますが、ご覧ください。




クリエイティブな部署には管理能力が欠け、管理部門にはクリエイティブな感性が欠ける。日本企業と社員の「分化された文化」の特徴だと思うのです。

ところで、プラットフォームの原義はロシア語のPratforma(プラットフォルマ)=ソ連共産党の基本要綱のこともそう呼ぶ、という説があって、私はそのほうが「駅のホームみたいだから」という説よりも好きです。

喜怒哀楽って言いますね。「楽」(たのしい)の経験は、今の日本では手に入りやすい。ゲームソフトを買ってもいいし、カラオケに行ってもいい。「楽」はお金で買えるし、量も豊富にある。でも「喜」(よろこび)って、お金で買えないし、どこかに転がっているものでもない。

私はいわゆる会社勤めを6年間やった。その後もいろいろな会社員の方たちとつき合ってきた。会社で働くということに「不満」はつきもの、かと思う。逆にフリーランサーや会社経営者は「不満」は減るが、「不安」は増える。働くって、不満か不安か、どちらかとつき合うことなのだろう。

パソコンゲームソフトの黎明期、読者に作品の評価を伝えなくてはいけない。でも、いっぽうでソフトを貶しまくって成長途上の産業をつぶすわけにはいかない。このジレンマの中から生まれたのが、ログイン誌特有のユーモアだったと思うんです。

難しいことを難しく考えるのは、じつは簡単で。易しいことを易しく考えるのは、じつに簡単だ。だけど、難しいことを易しく考えるのは難しく、易しいことを難しく掘り下げて考えるのもまた難しい。

昔、某有名企業に行き、会議室に入ったら、大きな字で「やれない理由を考えるより、やり方をかんがえろ」と書かれていて、その通りだと思った。でも会議をしたら、リーダーである部長が私とメンバーに延々と「やれない理由」を説明した。

どんなにミステリー作家が工夫しても、本は厚さがある。残りページが少なくなると「そろそろ犯人が捕まぞ」と思えてしまう。この書籍の重大な欠陥に気づいたのは13歳の時だった。だが、23歳のとき『ポートピア連続殺人事件』をやってみて、残りの厚みがわからないミステリーが生まれると思った。

どなたのPOSTか失念したが、TL上で印象深いツイートが流れた。「東京の夜景は残業でできている」。なるほど、と思った。今日の東京の夜はどうなるのだろう。

『ウィザードリィ』も2年間デバッグしていたと、ロバート・ウッドヘッド氏からうかがったことがあります。デバッグというよりは、売るつもりがなくて仲間内で遊んでいた期間が2年間あまり……というのが真相のようですが。

告白しよう。クリス・アンダーソンも、『FREE』も偉大だが、あまりにも過剰に礼賛する人と出会うと、昭和のインテリの匂い、竹村健一や、大橋巨泉やミッキー安川を連想してしまうんだ。ものごとを説明するときに「アメリカでは~」というセリフが冒頭についた人々。

個人情報なので、お名前をいちいちあげないが、いわゆるゲーム企画をして活躍している人は驚くほど「ひとりっ子」が多い。幼児の頃から、身の回りでゲームデザインをしていたことが、のちの人生で役立ったのであろうことは容易に想像がつく。

当時を知らない方のために、書いておくと、NTTが発足した。これからのソフトは、ダウンロードして書き換えられるようにする。対価は任天堂にかわってNTTが代行徴収する。パッケージ制作や流通コストがかからないため、その料金は500円‥‥と25年前に宣言した企業が任天堂なのだ。

本当は分けるのはよくないと、思ってますが、分けます。いわゆるソーシャルアプリは、モラル(moral: 道徳)の問題が、今、そこにある危機です。ヒットするなら他社のものを真似してもいい、アイテム購入をフラグする、しかも高額‥‥こういうことを続けると市場は一気に冷えると思います。

かたやコンシューマゲームは、モラール(morale: 士気)の問題が、今、そこにある危機です。まさに俯瞰図がない。行き先が見えない。くどいですが、ですから私は「未来を語る」係を業界の隅っこではじめることにしました。

PCエンジンの発表記者会見でした。ハドソンが規格をつくってNECホームエレクトロニクス(当時)が発売。だけど、発表会では任天堂を刺激しないように煮えきらないことしか言わない。オープンプラットフォームのPCなのか、ライセンス契約が必要なのかもわからない。

ええい、面倒くさいと思って挙手をして質問しました。「アダルトソフトはでるんですか?」。「はい」ならばPC、「いいえ」ならば家庭用ゲーム機。わかりやすい境界線だと思いました。自分では深く考えたつもりでも、周囲は大爆笑。あの自分だけ浮いてしまった感じは、今でも忘れません。

オモチャ。ゲームと言い換えてもいいけど、それを発想したり考察したりするには「玩具」(もてあそぶ道具)と、モノから思考するよりも、「手遊」のように、人間の手から考えたほうが良いのではないか。私は玩具を手遊に戻してみたらと考える人です。

ファミコン版に移植した遠藤雅伸さんから伺ったのですが『ウィザードリィ』は、たとえば杖が壊れるとか、灰から復活するとか、偶然性を単なる乱数でプログラムしていないそうなんです。多面体のサイコロを何回振って‥‥という複雑なことをしています。こういうところが神を感じる要素なのでしょう。

「薄っぺらな奥深さならないほうがいい」(堀井雄二)

人間には、戸籍上の年齢、肉体の年齢、精神の年齢、スキルの年齢。4つの年齢があると思う。

ところが(日本のゲーム業界は)この10年は、外を向いているようで内向きだったのではないか。シナジーと言いながら経営統合し、日本市場が厳しければ海外市場という。規模の経済学&輸出による市場開拓。つまり、創発的ではないんだな。

ソニー・コンピュータエンタテインメントが発足した直後にね。ソフトを開発するセクションに0課というのがあった。数字のゼロ。これは何をするところかと言うと、従来型のゲームをつくらない課。部署名からして腹が座っていた。名前を聞いただけでワクワクした。

(ローカルネタですみません)もう、10年くらい前からだけど、東京あらゆる地下鉄が東武動物公園に行ってしまうようで怖かった。渋谷から半蔵門に行くにも東武動物公園行きがあり、恵比寿から六本木に行くにも東武動物公園行きがある。東武動物公園の底知れぬパワーを感じた。

ゲーム業界のことを誤解している他の業界の人を、20年来、見てきたけど、最近は違ってきたと思うんだ。他業種の賢い人は、ゲームの可能性を見出している。業界内の人が思いつかない発想を持っている。その中には誤解が含まれているけど、アバンギャルドな誤解。

富士フィルムの企業業績見てよ。フィルムなんかで儲けていないよ。光学デバイス、医療、高機能性材料、印刷、記録メディアライフ、サイエンス、産業用機材の会社になった。でも、どれもフィルムをつくる技術がベースになっている。

アメリカ生まれの彫刻家、インダストリアル・デザイナー。イサム・ノグチは言った。「シンプルがいい。だが、ピュアはいけない、罪だから」‥‥と担当編集者に言ったらしい。この言葉の真髄がわかっていないけど、たまらなく好きだ。

原初的な遊びも、現代のエンタテインメントの。人が考える以上に、効果音の果たす役割は大きい。ピンを倒しても音のしないボウリングが楽しいか? チンチロリンという遊技はフェルトの上でもできるが、どんぶりにサイコロを投げ入れるのは、音を楽しんでいるからだ。

『アウトラン』なんかが好例だけど、アーケードゲームで100円を入れたときに鳴る高音の電子音。あの音を気持ち良くしようなんて、よくぞ思いついた。お金払っている最中の人に、効果音で快楽を与えるとは。

ゲーム業界人が一番困るのは、「これからのゲームはどうですか?」のような質問。ゲームは宇宙や生命のように深くて大きいから。「これからの宇宙はどうですか?」という質問はありえない。ところがゲームになると、今晩のおかずのように気やすく尋ねる人がいる。

崇高なものと、邪悪なものと、包含してゲームを語ろうとしているときに、「ゲ」と聞いた瞬間に席を立たれるのはつらい。せめて、最後まで話を聞いて、卵をぶつけられるほうが本望だ。

みんなも十分に知っていると思うけど、ゲームは20世紀に生まれた総合芸術だ。将来はファインアートと呼ばれてもおかしくない。でも、いっぽうで負の部分もある。ゲームの魅力は麻薬っぽい。

質問されることの多い人生だから、わかるんだ。(1)自己主張のための質問文、(2)質問文のかたちをした言いがかり、(3)本当に何かを吸収したいと思いが伝わる質問文。

「おせちもいいけどカレーもね」。よくできた広告コピーだな。メーカーの本音は「おせちに飽きたらカレーだよ」なんだろうけど、おせちもいいけど‥‥と敬意を払っている。でも、受け手が脳内で「おせちに飽きた。カレーにしよう」と変換できるようになっているのだ。

文章書きなんて、いくつになっても、何年キャリアを積んでも、職員室に呼ばれた小学校低学年生のよう。褒められるとうれしくて、怒られはしないかとドキドキしている。怒られたら泣き出すかもしれない。どんなに勢いのある、国家を論じるような偉そうなことを書いていても、心は子どもと一緒です。

昔、口コミ。今、ソーシャルメディア。言い方は変わっても、人間は「誰が何を考えているか」を気にする動物であることは、永遠に変わらないのだと思う。

これはもう30回くらいツイートしているけれど、堀井雄二さんは、言葉を翻訳をしたのではなく、概念を理解させるために言葉を創案した人。Freedomをそのまま訳すと「我儘」になってしまうので、「自由」というそれまでになかった語を創作した、福沢諭吉のような存在だ。

よく政治家の発言が違うと、「ブレた」と言う。私はあの論議が愚かしいと思う。言葉はブレていいんだ、根っこがブレない人は表層に出る言葉はかえってブレやすいんだ。逆に言葉だけをブレないようにすると、思考の根っこがブレてしまうことが起きる。

遠藤周作は、「なぜ小説を書くのですか?」と尋ねられたら、「楽苦しい(たのくるしい)から」と答えたらしい。楽苦しい。すごい造語だ。そうだ、楽苦しいんだ。

日本のゲーム市場は世界の中でシェアが下がっている。理由は? という質間をされた。世界市場全国の分母が大きくなったから、と答えた。これ、平凡な答えだけど、意外に語られてない気がして。

『BREAK OUT』の仕様書。たった一枚でどういうものをつくろうとしているのかが、わかる。
BREAKOUT_20110530230053.jpg

「おやすみなさい」はタカラトミー、小林製薬、アサヒビールの登録商標になってますが、「おはようございます」は登録商標が取れないようです。ともあれ、このサイトを見ていると際限なく時が過ぎます。
商標出願・登録情報

『つっぱり大相撲』の記事を書く際に、日本相撲協会に電話をしたことがある。力士絵を誌面に使いたかった。ファミコン雑誌に力士絵、説明は困難だから企画書をつくって送ろうと交渉したが、広報担当者が「企画書」の意味がわからなかった。ああ、この組織はダメだ、と思ったのは24年まえのこと。

拡張現実をゲームに取り入れる、というのは、ちょっとした言語矛盾で、「ゲームが拡張すると現実を取り入れる技法が生まれる」、もう少し強く言うと「ゲームが拡張するためには現実を取り入れざるをえない」というのが最近の考えになってきた。

ゲーム業界って、予兆のヒットってあるんです。うーん、たとえば『スーパードンキーコング』。キャラクターをレンダリングして「すごい!」と思っていたけど、そのうちに画面全体をリアルタイムレンダリングするようになってしまった。今のソーシャルゲームは予兆のヒットかもしれない。

1989年のことだった。Atari Lynxの発表記者会見が行われた。場所は赤羽橋のホテルだったと記憶している。型通りの製品発表が行われ、ソフトも発表され、ニュースリリースが入ったプレスキットが渡された。その中に茶封筒。茶封筒の中味は1万円札だった。

私は机の上に封筒ごと置いて会場をあとにした。ゲーム業界外の方に誤解なきように申し上げたいが、ゲーム機、ゲームソフトの発表記者会見で現金が配られたのは、Atari Lynxのみである。

会見や解説でよく使われる言葉、「ただちに人体に影響を及ぼすものではない」は二重否定は紛らわしくなるので使わないほうがよい、の典型だ。「人体に影響を及ばさない。だだしそれには条件があって……と説明するのがコミュニケーションの常道。

私、20歳代の時に何を身につけたらいいのか。いろいろ考えました。行き着くところは「ああ、この人を成功させたいと周囲に思わせる何か?」にたどり着いたんです。その「何か?」が何だかわからないのですが、それは動物としての人間が社会のために庇護したいという欲求にかかわる気がしています。

良いインタビューワーは、訊く力、聴く力は大事だけど、自分が何者かを示し、相手との関係を瞬時につくる力を持っているものだ。

名は明かさない。著名なゲームクリエイターが(旧)科学技術庁に呼ばれたことがあった。担当技官は『シムシティ』を遊んだことがあるらしく、これは絶好の原子力発電所のメリットを伝えるソフトだ、と思った。ぜひ、日本版『シムシティ』をつくってくれと依頼した。彼はその仕事を断った。

『シムシティ』には原子力発電所をつくるメリットとデメリットまで、きちんとシミュレーションされている。しかもメリットは短期的メリット、長期的に見るとデメリットになる。「道路を建設しても渋滞は解消されない」も、彼が学んだ都市工学(交通論)をシミュレートしていた。

ゲーム業界で生きる以上、つくる人も、書く人も、「私たちは感覚的なもの言語化する商売をする」という自覚を持たなくてはいけないと思うんですよ。

(長男へ)理不尽な世の中では、自分が納得がいかないことをばかりが気にさわる。自分は被害者だと思い込む。だが、実際は自分が加害者で、他人に納得がいかないことを自分で平然と侵している場合もある。誰が悪いと人を攻めるより、自分を責めるより、世の中の理(ことわり)を受容してほしい。

冗談ではありません。人間は人間を尊敬する権利があるのです。これは忘れがちな真理です。そして、ここから先は自分のストイシズムが入り込みますが、自分よりも年齢の若い者を尊敬することは、自分の成長の糧になると思って生きてきました。

「時間」「空間」「人間」。3つの「間」のうちのどれか、または2つが使われた遊びはおもしろい。こんなことをかれこれ1年半前から主張しているのだけど、これはゲーム論ではなく、人間の欲求を説明しているにすぎないんだ。

関係者がいらしたら失礼だけど、大企業には社史編纂室っていう部署がある。第一線の営業でも開発でもなく、左遷された人の部署みたいだけど、今、ゲーム業界・ゲーム会社に必要なのは社史編纂室。前のめりに走ってきて、忘れっぽい業界だから、なおのこと過去をおろそかにしてはいけない。

『テトリス』を出したBPSという会社の社長、ヘンク・B・ロジャースさんは、ハワイ大学出身でテーブルトークRPGのクラブに所属していた。お父様は日本で宝石商をなさっていた。それでつくったゲームが『ブラックオニキス』という話しを新車を運転する感覚で直接聞けたんだ。

レノボのゲーム機

連載中の@niftyビジネス「ゲームビジネス最新動向」が公開されました。
これはゲーム業界・外のビジネスパーソンを想定読者としたビジネスコラムです。

「侮れない中国のゲーム事情」
http://business.nifty.com/articles/game/110526/

数日前、レノボ(Lenovo)の業績発表がありました。(ご参考/ITpro記事原文
2011年1~3月の決算を発表しました。売上高は48億8000万ドル。
通期(2010年4月~2011年3月)では215億9000万ドルです。

売上の大きさだけではなく、レノボは中国政府が国策で成長の後押しをしているので、他国の企業とは競争条件が違うという優位性を持っています。

ゲーム機に限って言っても、日本の家庭用ゲーム機、携帯ゲーム機は中国では販売に規制がかかってます。事実上の禁輸といってもいいでしょう。

日本のゲーム機メーカーにとっても、中国ではPCオンライン・ゲームを遊ぶ文化が定着し、パッケージソフトの違法コピーを懸念し、進出を踏みとどまってきた、という事情があります。

したがって、中国では日本では1996年に発売された「NINTENDO64」をベースにした、現地名「神遊機」が唯一のゲーム機となります。しかも同機は海賊版対策のため店頭でソフトをダウンロードする、という特殊方法で販売されました。

ゲーム機市場、未開の地。
中国で中国企業が発売する、仮称「iSec」は今までの地図には書いていない‥‥未知の道を歩もうとしています。

shinyuki.jpg
ダウンロードしたソフトをコントローラ型の本体に差し込む。
NINTENDO64をベースにした「神遊機」(ご指摘により訂正しました)

修羅場をくぐった経営者から教わったこと

今週のある日、師と仰ぐ某社社長と会いました。
私はブログでもTwitterでも、いつ、誰と会って、何を話したかは、書かないようにしています。今回は例外です。

氏の言葉は、P・ドラッカーの著書よりも、松下幸之助や本田宗一郎の語録よりも、スーっと私の心に入ってきます。
のちのちまで、胸に刻まれています。

そして何より、私をつかまえては、苦言を述べてくれることがうれしいのです。
20年を越えるおつき合いで、たくさんのことを教わりました。

現実にすべてができているかというと、そんなことはありません。
しかし、心がけていることです。
以下は、教わったことのごく一部ですが、紹介させていただきます。




35歳までに人よりも伸びるのが早かった奴は武器がある。35歳を過ぎるとその武器が自分に向かうから注意しろ。

男の色気は「危険」があるかないか、だ。「危険」を感じさせない男に色気はない。

世の中に「正しい」はない。何にとって正しいかによって定義は変わるからだ。

宇宙にとって、地球にとって、日本にとって、企業にとって、自分にとって……「正しい」は異なる。地球温暖化は「悪い」ことか? 熱帯魚にとっては「良い」ことかもしれない。

おまえは悩みが多いだろう。それは原理追求型人間は、現実との矛盾に苦しむからだ。

世の中は、必要悪で動いている。

技術は人間工学だ。人間を知らないと、すぐれた技術者にはなれない。

アマチュアは株、相場に手を出すな。出来レースに参加して負けにいくようなものだ。

侮るな。先入観を持つな。「男子三日会わざれば刮目して見よ」だ。

相手の地位の高さで人とつきあうな。肩書きという位置エネルギーで人を見るな。成長している人間とつきあえ。その人間のベクトルが上向きになっていれば、無名の若者ともつきあえ。

社員に自由に仕事しろというのは愚鈍な命令だ。それまで鳥かごの中に入っていた人間の鳥かごを外す。そうすれば飛ぶと思うのは大間違いだ。今まで鳥かごに入っていたことを自分で認めることになってしまう。飛ばない鳥にもプライドがある。言って聞かせても鳥は飛ばない。

自然の力は偉大だ。突風が吹けば鳥は飛ぶ。大雨が降れば鳥は飛ぶ。この時にプライドは関係ない。

だから、もし人を動かしたければ饒舌に話すな。雰囲気を変えろ。自然を使え。

自分で仕事を抱え込むな。手分けをしろ。自分の能力を過信するな。線引きをしろ。

人はとかく、「やっていること」を見る。なぜ、それをやっているのか、心の中にある原資を見ないものだ。

ストレス? 俺は毎日、胃潰瘍になっているが一晩寝るごとに自力で治している。

守りに入るな。実験をしろ。でも、ただの実験をするな。開発過程で金になる実験をしろ。

(タクシーに乗りながら)人に考える力があると期待するな。あの交番のお巡りさんを見てみろ。彼が考えて、正当防衛だといって逮捕しなかったら、世の中どうなる? 考えないから成り立つ仕事もある。

金庫番なんて言っている経営者は時代がわかっていない。金庫の中の現金がカラッポになるよりも情報がダダ漏れになるほうが、企業はよほど危険だ。パスワード番に一番信用できる人物を置け。

ハードウェアはソフトウェアの集合体だ。

人間、誰しも弱みがある。恵みを与えるときでも、強く交渉事をするときでも、相手の弱みを知っておけ。

相手が強い。自分が弱い。パンチが出せない。ダウンしたくない。そんな時のためにクリンチという作戦がある。

いつでも、自分は加害者だと思え。大企業で働いている人間は、取引先に一本の電話をかけることだけでも、相手は怯えていると心得ろ。個人で偉くなったら、大手の人間だって怯えることもある。何をしても、自分は人に加害を与えると思っているくらいでちょうどいい。

安全は危険をつくる。危険は安全をつくる。今度の震災で学んだことだ。

これから伸びる業界? 伸びる会社? そんなことはわからない。鍛えられた者だけが生き残る時代がやってくる。

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地デジ化まであと2か月

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5月24日になった。
2か月後、7月24日正午にアナログ方式の電波が停波される。

電波法が改正されたのは、2001年7月25日のこと。
2003年から主要都市の放送から地デジ放送がはじまった。以降、2011年7月24日には完全地デジ化されることを、総務省は周知につとめてきた。

総務省デジタルテレビサポートセンター(通称・デジサポ)や社団法人デジタル放送推進協会も問い合わせ窓口を設けるなどして、地デジへの完全移行をサポートしてきた。デジサポのホームページ、でんわ急げ! のキャッチフレーズはかなり痛いが……。

間近にせまった完全地デジ化。
心もとないのはデータ放送である。

今、どこの放送局でもいいので選択して番組を見る。
リモコンのdのマークがついたボタンを押す。
ほとんどの番組が「天気予報」「ニュース」「自局の番組宣伝」、そして「災害情報」がコンテンツになっている。レイアウト、ゲーム用語でいうとUIが異なっているくらいで、個性がない。まるで示し合わせたかのようだ。

デジタル放送だからできる双方向性、言い換えればゲームのように使う用途とは別次元の情報が流れている。

ゲーム業界にいる人で、「データ放送を使った企画に本腰を入れている」という話を私はほとんど聞かない。逆からのアプローチ。テレビ局がデータ放送の機能を使った企画を考えるため、ゲーム開発者(会社)とコンタクトをとっているという話も聞かない。

このままでは、画面がきれいで、電子番組表(EPG)がついた放送に切り替わるだけの完全地デジ化になってしまう。

テレビとインターネット接続がされていると、双方向放送の用途は広がる。
視聴者が番組出演者とともにクイズ番組に参加したり、スポーツの勝敗予想をしたりすることなどができる。

私はかつて、この記事で、

「テニスをゲームにする」「レースをゲームにする」「射撃をゲームにする」「犯人探しをゲームにする」「野球をゲームにする」「剣と魔法の戦いをゲームにする」「都市計画をゲームにする」「太鼓を叩く行為をゲームにする」……。何かの題材が一定の手順によって、ゲームにされてきました。この創造プロセスのことを私は「『を・にする』の工程」と名づけました。

未来はどうなるのでしょう? 「『が・になる』の時代」がやってくるでしょう。また、そうなってくれることを望みます。「○○がゲームになる」のです。空欄部分○○には、創造力豊かな次世代のゲームクリエイターが、いろいろな言葉を入れてくれるでしょう。

と書いた。

執筆時にイメージした一番手が「放送がゲームになる」だったが、今の気配では2か月には、その未来は現実のものになっていないだろう。

今のままの地デジでは、番組表を見て、ハードディスクに録画する視聴スタイルが定着してしまう。

放送をリアルタイムで見るためのしかけとしても、データ通信・双方向放送に力を注ぐことは自然なビジネス戦略だろう。この自然を妨げる法律、行政、不文律の壁は、想像以上に高いのだろうか。

以上、2011年5月24日に記す。

Wiiの後継機がそうであってほしい姿

公開されました。

「ゲームにも押し寄せるクラウド」‥‥@nifty ビジネス
http://business.nifty.com/articles/game/110519/

じつは、本稿にはウソともとれることが書いてあります。
結びの部分、Wiiの後継機のこと。
「クラウドコンピューティングのコンセプトを取り入れたものになるのか」なんて、ゲーム業界の人は全然注目していないと思います。少なくとも、私の周囲では「Wiiの後継機は、クラウドコンピューティングとかかわりありますかね?」などと言っている人はいません。

例の。
リークされた? ガセネタ?
タブレットの話題はあっても、ハードとソフト、両面の機能をクラウド上で処理することを予測している人はいません。

でも、私は考えました。
任天堂、Wiiと限定せずに、2011年初夏に発表される2012年後半発売のハードが、クラウドコンピューティングに関係ないほうが不自然だと思って書きました。あえて、勇み足を踏んだのです。

Wii後継機はカジェットの方向で進化するのではなく(するだけではなく)、ネットワーク社会の中でどの立ち位置を選ぶのか。今年のE3、私の大きな関心事です。
株主優待
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