Hisakazu Hirabayashi * Official Blog2011年07月

ニンテンドー3DSは1万5000円でなくてはいけなかった

ニンテンドー3DSが値下げした。
2011年8月11日から、現行の2万5000円(税込)から1万5000円(税込)に改定する。
発表サイトはこちら。
PDFでもリリース文を読むことができる。

私はこの報を移動中の電車内で知った。
考えた。
この任天堂の判断は是か非か、ついて。

まず、考えたのはソフトの価格(メーカー希望小売価格/以下価格と表記)だ。

ニンテンドー3DSのサードパーティ製のソフトを買うたびに思うことだが、価格が高く感じる。ニンテンドーDSが爆発的なヒットの足掛けとなった『脳を鍛える大人のDSトレーニング』。価格は2800円だった。2800円を要求はしない。

ニンテンドー3DSのソフトの心の中で思う適正価格は4800円が上限。
どうやら5000円に心理抵抗線があるのではないか、というのが私の仮説だった。

余談かもしれないが『スーパーストリートファイターIV 3D EDITION』と『バイオハザード ザ・マーセナリーズ3D』を4800円で発売したカプコンは、この5000円=心理抵抗線を理解して価格決定をしている。
良心的かつ優良なプライシングだと思っていた。

したがって、2万5000円から1万5000円ではなく、ハードの価格は1万9800円にする。そのかわりに、サードパーティが任天堂に支払う製造委託費を下げる施策はなかったのか? という思考が真っ先に頭に浮かんだ。

大幅値下げの弊害は、販売店にもしわ寄せが来る。
当然ながら、1台販売した時の利益は減る。

Twitterをのぞいて見ると、「だったらニンテンドー3DSを買うかな」とつぶやいている人がいた。

そうじゃない。ユーザーが購入するハードの値段が下がっても、サードパーティのソフト、販売店の売る気、さらに開発環境の整備など、多数の要因が結びつき合って、ゲームプラットフォームの繁栄がもたらされる……と言いたい心境になった。

それ以外にもバカなことを考えた。
いっそのこと「ニンテンドー3DS」という名称を改めて、「ニンテンドーDS3」にすると、数千万人いるニンテンドーDSユーザーが乗り換えるのではないか、など。

いや、待て。
PlayStation VITAを仮想敵とした場合に、Wi-Fiのみモデルと比べて1万円の差、Wi-Fi+3Gモデルと比べて約半額になる。やはりインパクトがある値下げだったのではないか。頭の中で、この判断は「是」という考えも湧き出してくる。

移動先からまた電車に乗って帰ってきた。

電車には多数の中吊り広告がある。
駅には売店がある。
オフィスに戻るまえにコンビニエンス・ストアに立ち寄った。
私はふっと目が覚めた気がした。

サードパーティのソフトの価格。
販売店の売る気。
製品のネーミング。
PlayStation VITAとの比較。

これらはすべてゲーム業界に軸足を置いた思考ではないか、と。

視線をもっと引こう。
マクロに見よう。

ニンテンドー3DSを、裸眼立体視できる任天堂の携帯ゲーム機と見ることをせずに、駅の売店で売っている栄養ドリンクや、コンビニエンス・ストアにおいてあるヨーグルトと同じように、「商品」のひとつと考え直すことにした。

ニンテンドー3DSは5月あたりから「値崩れを起こしている」と言われるようになった。
中古品も出回り、オークションサイトにも出品されていた。その価格帯はすでに1万円台だった。
新型ゲーム機としては異例の現象である。
(*注/時間により流動性のある価格の記述は削除しました。7月29日5:20修正)

経済用語の使い方としては、正確ではないが、話をわかりやすくするためにあえて使う。
「神の見えざる手」という言葉がある。
もともとはアダム・スミスが『国富論』で書いて、有名になった言葉だ。

経済活動をしていると、市場は生き物のように動き、人間の力ではどうしようもない神の力が、売上や利潤や価格を決定する。

ニンテンドー3DSは、神の見えざる手によって本来の価格から実勢価格に操作された。
ということは現行の実勢価格より、価格を落とさないと、事実上、値下げしたことにならないのだ。

sd.gif

上図。
需要がD2ではなくD1ならば、P2はP1になる。
供給量(supply)に比して、需要(demand)が少なければ、価格(price)が下がる市場原理のもとで、われわれは生活している。

ゲーム業界の頭では考えない。
日々いとなまれていれる経済活動の頭で考えたら、この時期に任天堂が2万5000円のものを1万5000円にしたことは、「是」なのである。

だから、ニンテンドー3DSはこれからよく売れるとも、売れないだろうとも言っていない。
サードパーティが喜ぶとも、喜ばないとも言っていない。
ゲーム業界思考を頭から取り払った。

その結果、他者から「値崩れが起きている」と言われる期間が続くよりは、任天堂自らが「値下げしました」と言ったほうが得策だ。そして、その価格は1万5000円でなくてはいけなかった、という部分の結論にたどりついた。

【ご参考】
上記の文章を簡単に書きました。

クリックしてください
http://ameblo.jp/hirabayashihisakazu/entry-10968733426.html
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Facebookあるある

今度は、

#ゲーム業界あるある

が流行っているようですね。
これ、書くネタがいっぱいあるけど、シャレにならないから書きません!

そのかわりにFacebookあるある……
というか、雑感を書きますよ。

Facebook、私は好き。
本当によくできたしくみだと思う。
カワイイ感じはしないけど、機能的。
超便利。

今、学生時代のサークルの会報誌を編集している。
その原稿のやり取りをFacebook上で行うことにした。
グループに投稿したら、それをコピペして入稿できてしまう。

グループのウォールを見たら、誰が何を書いたがわかる。
10人の寄稿者がいたら、ネタが重複しないように、皆が考えてくれるし、「あ、もう5人書いてる。そろそろオレも書かなきゃ」というプレッシャーにもなる。

秋に予定しているイベントの打ち合わせはメールだと面倒だから、そのメンバーもグループ化。話し合ったことがログに残るし、誰かがメールでやり取りしたこともコピペで共有できる。

絶対に信頼できるメンバーだけ集まって、愚痴だけを言い合うグループもある。

あるゲームクリエイターの方とふたりで、終わりのない対談もやっている。
別に雑誌に載るわけではないから、どんなに話が飛んでもいいの。
締切りもテーマの制限もない。楽しい。

あと、チャットとメッセージがシームレスになっているところや、誰か友人の名前を入力すると自動リンクを生成するなんて、気がきいている。

姪がシンガポールにいるんだけど、その様子がわかるし。
昨日だった、ある有名なフランス人の写真家とFacebookで友達になれたのだけど、その写真って、ジュゼッペ・アルチンボルドみたいだという意味のことを書いたら、YESのあとに!!!!!!!!をいっぱいつけてくれた。うれしかった。

外国の人とつながっているっていいことだ。

でも、Facebookに慣れない、好きじゃないという人がいるのも事実。
それはね、言葉のせいだと思うんだ。

たとえば、さっき使ったけど、グループとページとノートがあって、その違いって何?
で、立ち止まる人、多いと思う。
ノートは自分の書きたいことを書くノート。
ページというとノートのページかと思うとそうではない。
自分のホームページのようなものだったりする。

ニュースフィードと突然言われても戸惑う。
朝日新聞のニュースを購読しているみたい。じつはこれは友達の近況が流れている。

ウォールというのは、自分の書いたことや撮った写真を載せる場所だけど、日本的にいうと壁よりも板のほうがしっくりするかも。
掲示板の板のようなものだから。

で、こうした混乱しそうなカタカナが並ぶいっぽうで、英語を無理に日本語訳して、かえってややこしくしているところもある。

たとえば、英語ならば「info」なのに「基本データ」と訳しているから、住民基本台帳のような堅苦しいものを連想してしまう。

あと、これから書くけど「承認」「あいさつ」ね。
私がFacebookの運営者だったら、真っ先になおしたい。

Facebookが日本で普及するために必要なのは、コテコテに難しいRole-Playing Gameを『ドラゴンクエスト』にした堀井雄二さんのような言葉のセンスを持った人だと思う。

というわけで私が感じる
Facebookのあるある

あいさつさんがいる

Facebookに「あいさつ」のボタンがある。
それを押すと相手には、「あいさつを返す」の表示がされる。
「あいさつ」されたら、ちゃんと「あいさつ」を返しなさいと教わった善良な日本人は「あいさつ」を返しますよ。それはいい。
けれど、面識もない。自分のコメントや写真に「いいね!」とも言ってくれない。
メッセージのやりとりもないのに「あいさつ」だけ熱心な人がいる。
しかも「この人は24時間、PCの前でFacebookを開いているのではないか」と思えるくらいに、いつどんな時間に「あいさつ」を返しても、即座にまた「あいさつ」が来る。
ちょっと恐い。
いや、悪気はないので友達から削除はしたくないんだけど。
そういう人にだけ、「あいさつ」ボタンを表示させない、「あいさつ」のみブロックってできないのかなぁ。
Facebookの基本言語を英語にするとPoke。
豚肉はPork。
Pokeは軽くつつく、みたいな意味で「あいさつ」のような重々しさはない。
昔のmixiの足あとがつかないのがFacebookだから、あえて能動的に、あなたの様子を見たよ、というのがうまい使い方じゃないかな。

承認さんがいる

これも言葉の問題。英語でフレンドのリクエストがあったら、Confirm。
確認だ。
リクエストがあった。確認した。友達になった。終わり。
だけどそれが「承認」と訳されているから、上司の決裁印をもらったような重大事に思えてくる。
そこで自分のウォールに「早速のご承認をいただきまして、誠にありがとうございます」などと書かれる。
これも悪気がないのはわかるけど、困ることがある。
自分のウォールだからね。
好きな音楽を並べよう、好きな写真を並べようなどと、配列を考えている。
ちょっとだけど。
そこに「早速のご承認をいただきまして……」が入ると、なんか調子が狂う。
ウォールはブログと同じで最新のものが上に来る。
このブログは自分の意志でエントリーしているけど、他人が急に「3日で1億儲かる先物取引」とか書かれたらイヤでしょ。
極端だけど、そんな感じがしないでもない(と弱々しく言っておく)

押しつけさんがいる

承認をするといきなり、
これが私のページです。「いいね!」を押してください。
ひとつならまだいいけど、5個くらいリンクを貼って来る人がいる。
ページ、つまり個人のホームページは「いいね!」を25個集めると独自ドメインがとれるから、それを目指しているのだろう。
あと、最近困ったのは、原発問題かな。
あなたにいかに原発が危険かをお教えしましょうって、すんごい長い論文みたいなメッセージが来て、だから東京から脱出しないって説教された。
これにはまいった。

学歴自慢がいる

Facebookでは自分の名前のほかにスクリーンネーム(この名前もどうかと思うけど)といって、別名のようなものも書き込める。
そこにわざわざ「東京大学」と書いている人がいる。
『ゲームの大學』の共著者である赤尾晃一さんは、同志社大学ご出身だけど静岡大学と書いてある。
なぜならば、静岡大学の先生だから。
私は静岡大学の人ですよと示すのは、とても良心的。
どこの誰かがわかりやすい。
そうじゃなくて、出身校をわざわざ書くのはちょっと。
デザイナーの人が美大、作曲家の人が音大は……キャラをわかりやすくするためだから私の心の中ではOK!
なのだけど、まじめな話、私は学歴よりも学習歴が大事だと思う人なんで、18歳の時に入学した学校にそんなにこだわる必要あるのかな、と思ってしまう。



招待さんがいる

Facebookではよく、イベントのお知らせが来る。
それが九州で行われるオフ会だったりする。
オフ会のために、そんな遠くまで行けないよー。こういう招待は困る。

当て字さんがいる

じつは、コレ。個人的趣味が入るけど、すごく苦手。
仕事のことを志事。
成功のことを成幸。
転職のことを天職。
うー、やる気だったり、心意気があって、これまた悪気なんてこれっぽっちもないんだろうけど、個人で空回りしている感じが、なんか暑苦しい。
というわけで、どうか私を「志事を天職にして、成幸者になるセミナー in 熊本」などに招待しないでください。

男はスケベである

女性、それも美人に映っている写真の女性に男は群がる。
ただのペットの写真でも「いいね!」が即座に50個ついたりする。
カフェで食べたケーキが、ちょっときれいに写っていたら100個。
あとプロフィールの写真に「笑顔がステキですね」なんて臆面もなく書く男もいる。
「それでは、みなさん、おやすみなさい」でも、50個だ。
それにひきかえ、男はかわいそう。
人生をともに歩いていきたくなるような含蓄のある言葉が書かれていても、「いいね!」が2個だったりする。
そして、誕生日。
Facebookではその日誕生日を迎えた人がわかるシステムになっているが、美人に映っている写真の女性(けして美人と言っていないところがポイント)には、「お誕生日、おめでとう」「Happy Birthday」がズラズラと並ぶ。
誰かが「お誕生日、おめでとう」と言ったら、
それに負けじと「お誕生日、おめでとうございます。○◯さんにとって今年が良き一年になりますように、そして……」と長く書いたほうがいいと思っている人もいる。
今の日本のFacebookって、自分の高校がそうだったけど、元男子校の女子、理科系のクラス、ひと昔まえのゲーム開発会社、男性が多い集団なんだな、と思う。

YAKUZAがいる
私もスケベである。ほんのついさっき、若い女性から友達のリクエストがあった。迷わず承認した。その人の勤務先にYAKUZAと書いてあって、興味津々である。ブログを書くのをとっとと止めて、あなたはどんなYAKUZAですか? と早くメッセージを送りたい。

prof.jpg
↑実話

私のFacebookのウォールは
http://www.facebook.com/hisakazu.hirabayashi
です。

良記事を書いたのはイラッとしてるからなのでは? の件

原稿を書きながら、料理をしているのですが、ちょっと時間があいたのでブログを書きます。Twitterの長い日本語ハッシュタグ、今、流行っているのは、

#歴史用語に夜のをつけるとエロくなる

#ゲームタイトルの中に栃木を入れると地味になる


ですね。
この現象については、またじっくりと書くとして、私がTwitterで(日常でもかな?)使わない言葉、あまり使われたくない言葉についてのエントリーです。

~の件。
件で止める方がいますが、なんか勇気がない気がします。
「さっきスーパーマーケットで買ったバナナが傷んでいた件」。
だから、スーパーマーケットに抗議したのか。
人には間違いがある。寛容な心で食べたのか。
寸止めしないで、最後まで言ってよ、という思いがあります。

~良記事
「今のソーシャルゲームの動向がわかる良記事」。
等の文のあとに、記事のURLが続きます。
良い記事と良記事。
かなり印象が違うと思いませんか?
いくら140字の制限があっても「い」を省くことはないんじゃないかなぁ。
私、自分で書いた記事が良記事と書かれても、ちょっとイラッとするんです。

~イラッとする
今、わざと使いました。「イラッとする」はイライラするがつまった表現でしょうが、自分がイライラしているという心の活写ではなく、他者にそのイライラを強要しているかのような印象を与えます。

~なのでは
これも、字数制限があるからしかたないのも、わかるのですが、「なのではありませんか?」と主張と疑問をはっきりとしてほしい、との思いがあります。いわゆる非公式RTのあとで、短い字数でつくケースが多いですね。私とTwitterでおつきあいがある方はご存知かと思いますが、いただいた質問は、なるべくお答えするようにしています。ですが「なのでは」は、ご質問をいただいたというよりも、突っかかってこられた……という印象を持つので、お答えすることは、めったにないですね。

という、良記事を書いたのはイラッとしてるからなのでは? の件。
でした。

平林がブログを更新した件。
Twitterの細かな言葉づかいを指摘した良記事。
平林の文章、読んでイラッとした。
Twitterはどう使ってもいいのでは?
……と自分で先に書いておこうっと。

オフィス移転のお知らせ

私が代表取締役をつとめます、株式会社インターラクトは8月1日より事務所移転をすることになりましたので、お知らせ申し上げます。平素、お世話になっている皆様には別途、新所在地をご案内いたします。

オフィス移転のお知らせは、「このたび業務拡張のため」とか、「より顧客の皆様のご期待に応えますため」とか、決まり文句があるようです。

次の一文はアメブロなら絵文字をいっぱいつけたいところですが……

当社の場合は、私の気分で決めました!

自分が集中して仕事できる環境。
家族も大切にできる環境。
業務効率をよくする環境。

いろいろと考えたところ、「職住接近がいい!」という気分になりました。
いままで、スープが冷めない距離に私の仕事場はあったのですが、これからは自宅の無線LANが弱電波ならば届いてもおかしくない距離で活動いたします。

以下は決まり文句となりますが、皆様の信頼にお応えできるよう倍旧の努力をしてまいる所存でございます。

まずは、このブログエントリーをもってご案内をさせていただきます。
なお、新オフィスの所在地をお知りになりたい方は、大変お手数をおかけいたしますが、私へのメールか、上記メールフォームよりお問い合わせいただきますよう、お願い申し上げます。

ソフトのソフト、 ソフトのハード、 ハードのソフト、 ハードのハード

尊敬できる年下の人の話しを続ける。
クリエイティブ・ディレクターの渋谷城太郎氏だ。

彼とはBIT GENERATION展(水戸芸術館)テレビゲーム展(せんだいメディアテーク)の開催の際に一緒に仕事をした。

今は2006年に設立した都市開発(タウンマネジメント)をするタウンコムという会社で、ともに取締役をつとめている。現在、大きな建造物をつくる作業に着手しているが、彼は建築・設計の上位概念をデザインするマスターアーキテクトをつとめている。京都造形芸術大学准教授でもある。

このプロジェクトは巨大なので、大量の資料が必要となる。渋谷城太郎氏が作成したコンセプトシート、設計図はA3の紙にして数千枚におよぶ。その膨大な資料の中に以下の図がある。

soft_hard.jpg

当たり前のことのようだが、われわれが日頃、考えていることを単純な図にしたものだ。
「建築」というと、常識人はハードと考える。

しかし、渋谷城太郎氏の主張。「ぬくもりを感じる造形」や「会話がはずむ空間」といった、ハードのソフト面が重要であることを示すため、イントロダクション部分で使われた図だ。

彼は自らの思考、他者の思考をビジュアル化する天才である。
ところでこの図は、私たちに身近なゲームビジネスにも応用できる。

ソフトのソフトは、さしずめダウンロード型のコンテンツ。
ソフトのハードは、パッケージ型のコンテンツ。
ハードのソフトは、ファームウェアなど。
ハードのハードは、各種のゲームが遊べる機器を示す。

PlayStation VITAがある。Wi-Fiと3G、通信機能がついている。
私は、この記事で書いたように、ソフトのハード(パッケージ型のコンテンツ)とソフトのソフト(ダウンロード型のコンテンツ)がひとつの画面に共存する点に強烈の魅力を感じる。だが、ソフトのハード(パッケージ型のコンテンツ)が供給されただけでは、PSP2になってしまう。VITA=イタリア語で生活の意味がうすれてしまう。

アメリカではじまり、日本にも上陸するか、と噂されているOnLiveがある。これは究極のハードのソフトで、家庭にゲームをするための機器はいらない。その役割はすべて、クラウドで処理をしてしまう。次世代機という概念もない。このハードのソフトは、定期的にバージョンアップを繰り返して、性能を上げていくからだ。

キラーコンテンツというソフトがあると、ハードが売れるというのは真理である。
しかし、それは万能の法則ではなくなってきている。

ソフトのソフト。
ソフトのハード。
ハードのソフト。
ハードのハード。

レイヤー(層)をもう一段階下げることによって、自らの思考と分析を深くすることができる。

私の夢を断った男

  • Day:2011.07.12 14:00
  • Cat:私…
「学ぶ」には、新しい知識や知恵を得ることの裏側に自分の限界を知る、という効用がある。イチローになりたい少年は、野球を学ぶことによって、自分がイチローになれないことを知る。

私は小学生時代、プロの将棋棋士になるのが夢だった。当時、アマチュア初段だった。だが、同じ歳の棋士に天才少年とうたわれた谷川浩司がいることを知った。

父に言った。
「学校のクラスでは強くても、谷川浩司には絶対勝てないよ。棋譜を見ればわかるんだ」。

ソファで横座りしていた父は、私の正面に身体の向きを変えて、
「久和、オトナになると同じ歳どころではない、年下の人間に負けることだらけだ。将棋で負けるより、もっと悔しいことがある。覚えておきなさい」。

父の言葉はわかったが、意味はわからなかった。

中学生になると、やんちゃ坊主は一転、部屋にこもって本ばかり読んでいる文学少年になっていた。『人間失格』という一冊に出会ってから、太宰治という病にかかった。日本文学、海外文学、手当たり次第に読書をした。わかりもしないのに、ドストエフスキーなども読んだ。プロ棋士になりたかった少年は、小説家になりたくなった。

いかにもダメな学生が考えそうなことだが、小説家にすぐにはなれないから出版社で働くことにした。しかし、配属されたのはゲーム専門誌の編集部だった。

ゲームは好きだったが、専門誌の編集できるほどの知識はなかった。
学んだ。そのなかには当時、高校生や大学生もいた。彼らにゲームはただのゲームではなく、そこから作者の意図を読み込んだり、単体として遊ぶのではなく、過去のゲームと系譜を考えながら遊ぶものであることを知った。当時の若手スタッフ、皆が尊敬の対象だった。

父の言葉の意味が、身にしみてわかった。
ゲームがわかってきた。

『ウィザードリィ』というゲームを見たとき、これは小説にできる、と思った。
企画が通り、連載を開始した。書いたのは、ベニー松山のペンネームを持つ当時、大学生だった。

初回の原稿を受け取ったとき、頭がクラクラとした。
「。」で区切らない長い文の連続が、心地良いメロディを奏でている。それでいて意味がわかりやすい。とてつもない語彙群の中から、最適な言葉を選んだことも一読してわかる。谷川浩司だ。彼には勝てないと思った。皮肉なことに、小説が好きで小説の企画を考えたら、それが自分が小説家になれないことを知るパンチを浴びた結果となった。

編集者として、誇りをいつも感じながら彼とは仕事をした。
のちにこの連載は書籍『隣り合わせの灰と青春』になった。

時は過ぎる。
これは、Wikiepediaの平林久和の項にも載っているが『DT』というゲームボーイソフトの開発にかかわった。昔から師と仰ぐ遠藤雅伸さん率いるゲームスタジオとの仕事だった。このソフトは、今から振り返ってみれば、出す時代が早すぎた。カードゲームの体裁をとっているが、そのカードの説明がハイパーテキストのように読めるという、文学を目指していた。それこそ、今なら電子書籍で出版したい内容だ。

ゼビウス、ドルアーガの塔を作った遠藤雅伸監修ソフト
基本的にはカードゲームだが、
カード毎に記述された詳細なテキストがすごいです。
テキスト量だけで「ファイナル・ファンタジー6」程度の容量を費やしているそうです。
単なるカードゲームでは無く、DTの世界にはまれる一本です。

*Amazonレビューより引用

このシナリオを書いたのが、一圓光太郎@k_ichien)だ。
彼と初めて会った瞬間に、有り余る知識と文才があり、どんな大作も軽々と書ける人物だと直感した。この直感は当たった。さらに、(1)重厚な内容を重厚に書く。(2)重厚な内容を軽妙に書く。(3)軽妙な内容を重厚に書く。(4)軽妙な内容を軽妙に書く。この4パターンを使いこなす術を、完全に我がものにしている。

カードの説明文と物語の背景に、作者ならではのトリヴィア(trivia)的な付加要素が書かれているが、書きすぎることなく、書き足りぬこともなく。天賦の才が、その配合バランスをつかさどっている。

『DT』の登場人物が多いが、印象に残る「文字」を刻むことによって、プレイヤー=読者のイメージが広がる“しかけ”が凝らされている。言葉のマジックを見ているようだった。彼もまた谷川浩司だ。

将来、小説家になりたいと思っていた少年は、オトナになって、ふたりの才能に打ちのめされた。
自分の才能を斬って捨てられたと言ってもいいくらいだ。

斬って捨てられて心地よい。
それが「学び」だからだ。

私は執念深いが、嫉妬深くない。
息子を、他人の才能に嫉妬する性格にさせなかった父、ときに感謝する。

   
株主優待
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