Hisakazu Hirabayashi * Official Blog「ゲームソフト流通物語(2)」

「ゲームソフト流通物語(2)」

■うれしい誤算

 ファミコンが発売された直後、玩具流通業のマネージメントの仕方は、きわめてシンプルだった。仕入担当者も、販売担当者も、在庫管理担者も、財務経理担当者も、ただ一点の指標のみを、正しく導いていけばいい。そうすれば彼らの経営は、すべてうまくいくはずだったからだ。

 その指標とは、あつかい商品のゲーム対その他玩具の比率を、うまくコントロールしていくこと。商売が人気商品ファミコンに片寄りすぎてはいないか、彼らは常に慎重であろうとした。

 ファミコンははじめ、打ち上げ花火のようなブームだと思われている。
 いくら今は飛ぶように売れているとはいっても、ファミコンブームなどはいつ終わるか、わかったものではない。彼らにとって発売初期のファミコンは、売れるのはうれしいが、警戒すべき商品でもあったのだ。「儲けを逃さず、かといってブームが終わった時に在庫を抱えすぎず」……彼らは惜しみなく、この一点に気を配った。

 流通業者が抱える10個の在庫は、100個の販売が生む利益を、ペロリと飲み込む狼である。彼らは、この世の春を謳歌しながらも、赤ずきんちゃんのように、狼がやってくるのを恐れた。彼らは、在庫という狼が牙をむくのにおびえながら、花を摘み、蜜を絞ったのである。

 そのせいだろうか。85年頃の玩具業界の業界紙を見ると「おたくのお店のゲームの売上比率が、40%を越えたら、それは赤信号のサインです」といった、ゲーム対その他玩具の比率を論じた啓蒙記事が、しばしば掲載されている。

 玩具流通では問屋も小売店も、懸命になってゲームを売っている。しかし、非ゲームもおろそかにしない。単価が安くて悲しくなるような水鉄砲でも、場所をとって仕方のない三輪車でも、限られた季節にしか売れない五月人形でも、彼らはきまじめに売った。彼らはブームに浮かれることなく、従来のサービスも、けして怠らなかったのだ。
 
 ファミコンという幸運が訪れた後の玩具流通は、いたって正常なバランス感覚を持っている。そう断言してもいいのだろう。ビジネスにはリスクヘッジがつきものだ。さすがに彼らは、流行りすたりが激しい玩具の世界の歴戦のビジネスマン。「777」を出したからといっても、手放しで単純に喜ぶようなヘマはしなかった。

 だが、同情すべきはここから先の話である。幸か不幸か、ファミコンブームは終わらないのだ。それどころか、サードパーティが加わって、発売されるファミコンソフトのタイトル数は増えるいっぽうになる。
 ちなみに1年間のファミコンソフト発売タイトル数は、
 83年、10タイトル。
 84年、19タイトル。
 85年、66タイトル。
 86年、115タイトル。

 ファミコンソフトは、異常なまでのペースでタイトル数を増やしていくのだった。この事態は、ある意味で玩具流通にとっては誤算である。ハードとしてのファミコンの寿命は、思っていたよりも長い。彼らが恐れた「一瞬にして市場が消え去る」ことはなかったのだ。けれど、ソフトはこれだけの種類が発売されると、どうしても売れ行きのバラつきが出てくる。

 ブームの終わりはまだら模様にやってきていて、そのかわり全体の市場規模は大きくなりながら定着していく。そんな予想外 の方向に、ファミコンソフトの市場は動いていくのだった。
 
 となれば当然、赤ずきんちゃんが恐れる狼も、予想外の行動をとる。在庫という名の狼は、ファミコンブーム全体を襲わず、狙った獲物だけを選ぶような、乙な真似をするのだ。狼は、ハードと優良ソフトの前は素通りし、おもしろくない何割かのソフトだけをパクついた。こうして玩具流通の敵は、ブーム全体の終わりから在庫ソフト問題に移り変わっていくのであった。
 
■ファミコンソフト、選別の時代へ

 狼は、つまらないゲームが、何よりの好物だった。
 ファミコンソフトのユーザーとは、「ゲームソフトなら何でもいい」などとは死んでも思わない消費者たちのことである。そんな消費者たちは、数あるゲームの中で、特に自分がほしいと思うソフトだけを選んで買っていく。A社のシューティングゲーム、B社のパズルゲーム、C社のスポーツゲーム……ユーザーは個々のゲームを比較検討して購入する。在庫になるかならないかは、ひとつひとつのゲームソフトの種類と品質の問題だった。

 ようするに発売タイトル数が増え、ユーザーが選別するようになると、玩具流通が神経をとがらせてきたあの指標は、万能ではなくなってきている。もうゲーム対その他玩具ばかりを論じる場合ではなくなり、個々のゲームソフトの種類と品質をジャッジすべき時代が、訪れているのだった。言い替えれば、ゲーム対その他玩具みたいに、ゲームを十束ひとからげにする考え方は、通用しない時代が来ている。その転換点は、ファミコンソフトが前年に比べて約3倍強に増えた、85年あたりだったように思える。

 けれども、玩具流通に身を置く彼らは、時代の転換点が訪れたことを、あまり意識していなかったようだ。「ソフトはやはり水ものだなあ」。この程度の危機意識しかなかったのではないか。
 その証拠に彼らは、自分たちの考える十束ひとからげのゲームソフトを、本当は選別したがっているユーザーに、無理矢理押しつけるような真似をする。彼らはゲームソフトであれば、たいした違いはないと相変わらず考えている。そこで、人気商品ファミコンに、やたらめったら在庫ソフトをつけて販売するようなことをはじめてしまったのだ。世にいうところの「抱き合わせ販売」である。

 抱き合わせ販売=品薄のファミコン本体を購入する際、客は少なくて1本、多くて5本のソフトを同時に買わなくていけないと、店主が独自に定めた販売方法のことだ。タイトルを任意に選べる場合と、強制的にソフトがついてくる場合があった。どちらにせよ、独占禁止法「公正な競争を除外するおそれがあるもの」に該当し、違反となる。さすがに彼らも、まさかこの販売方法が「すぐに遊べて親切……」だとは思っていないだろう。けど、ゲームソフトを十束ひとからげに考える人にとって、「どうせ必要なんだから、ついでにソフトも買って」と思いつくのは、不自然な発想ではない。
 
 のちに公正取引委員会の排除勧告を受けるこの販売方法は、ゲームソフトは皆同じと考える彼らの、かなり効果的な在庫一掃キャンペーンとなった。

 これではせっかくのすぐれた商品・ファミコンも、おそろしく顧客満足度の低い商品になってしまう。ファミコンの流通業界は、選別して商品を買いたがっているユーザーの要望に、まったく対応できていないことを、抱き合わせ販売で示してしまうのだった。

 抱き合わせ販売は、恒常的に行われるようになった。しかし、彼らの不良在庫はいっこうに減る気配も見せない。むしろ、ファミコンソフトの発売タイトルが増えれば増えるほど、在庫ソフトはたまっていく。
 
 後になって在庫という名の狼に襲われないためには、はじめから良くないソフトは仕入れなければよいのだが、どうもそうはいかないらしい。かと思えば、人気ソフトに限って、いつも売り切れているのも解せない。

 問題の解決方法は簡単なのに、彼らは肝心なところに手をつけない。ユーザーと同じように、商品をシビアに選べば事は解決するのに、彼らはそれをしないのだった。

 玩具流通というところは、自らファミコンソフトを扱っていながら、良いソフトと、悪いソフトを判断するのが不得手なのではないか? だから彼らは、いつまでたっても狼にうなされる。……ファミコンソフトの種類が増えれば増えるほど、彼らの商品の選別眼は疑いの目で見られた。

 ここまで読み進めたあなたは、「流通業者があつかう商品を選別するのは当たり前だろうが!」と、こぶしを握りしめているのかもしれない。だが、もう少し私の話を聞いていただいて、ぜひ彼らを同情してほしい。

 玩具流通業者、というとややこしい。ここではコンピュータにはうとい、ごく普通の罪無きオジサンを思い浮かべてもらうとわかりやすいかもしれない。そんな彼らに、「ゲームの良し悪しを正確に判断しろ」と言うことの方が、酷な要求なのだ。

 そもそもゲームソフト、というモノ自体が80年代になって生まれた新しい商材である。加えてオジサンなら誰でも苦手とするコンピュータ、ときている。電子音も、ドット絵も、正常なオジサンなら拒否反応を起こして当然だ。それに言葉の壁もある。

 MODE SELECT、GAME OVER、2 PLAYERS LEFT、NOW LOADING、THANK YOU MARIO.BUT OUR PRINCES IN ANOTHER CASTLE……これら英語を読んで幼稚園児がゲームをするのが、彼らは不思議でしかたない。

 ワープ、スクロール、ロールプレイングゲーム、アイテム、パラメータ、グラフィック、キャラクター、ゲームバランス……字は読めても、その概念をつかむのは容易ではない。一商売人が覚えるには、ゲーム用語の数の多さと複雑さは、許容範囲を越えていた。

 なにせ彼らはつい数年前まで、鯉のぼりを売ってつつがなく生計を立ててきた。その人たちに、ほぼ三日に一本のペースで発売される(86年の場合)新作ゲームソフトを見て、「適性仕入・適性販売をして適性利潤を生みなさい」というのは、むごいことなのである。

 「玩具」というひとくくりで、くくれなくもないが、ふたつを同列にあつかうには、やはり無理があったのかもしれない。鯉のぼりとゲームソフトは、あまりにも性格が違いすぎている。

 鯉のぼりの中味は変わらない。ゲームソフトは全ソフトの内容が違う。
 鯉のぼりには品質の差がそれほどない。ゲームソフトには品質の差がかなりある。
 鯉のぼりは大きいわりには単価が安い。ゲームソフトは小さいわりには単価が高い。
 鯉のぼりは今年在庫になっても、新品ならば、翌年は新製品として売れる。ゲームソフトの商品寿命は、早いモノでは1週間である。

 鯉のぼりを売る時のサービスは、孫思いのおじいちゃんかおばあちゃんに、「お孫さんによろしく」と優しい言葉をかけてやることである。ゲームソフトを売る時のサービスは、「ボク、このゲームがおもしろいよ」と言ってあげることである。
 鯉のぼりは風で動く。ゲームソフトはコンピュータの上で動く。
 こんなに性格が異なる商材を急に扱うようになったのに、誰がユーザーと同じようなシビアな選択眼を求められようか。

(つづく)

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