Hisakazu Hirabayashi * Official Blog「ゲームソフト流通物語(5)」

「ゲームソフト流通物語(5)」

■見込み発注とカバン師

 話は、唐突に飛ぶ。
 阿佐田哲也著の小説「麻雀狂時代」に、こんなくだりがあった。
 少々長くなるが、引用したい。
 文中の「空野」とは、小説の主人公で、無頼の博打打ちの名前である。

――空野は、押入れや戸棚を開けっ放しにして、ぎっしりつまった生のままの札束を、しばらく眺めていた。不安をそれで押さえつけようとした。博打打ちは例外なく、臆病である。空野のような怪物でさえ、そうである。いや、強い博打打ちほど、臆病だといえよう。(中略)博打打ちという人種は、自分の財を、銀行に預けたり、不動産などに変えたりしない、たとえ何億貯まろうとも、現金のままで、自分のそばにおいておく。それにはいろいろの理由があるが、まず第一に、現金がいつも必要であるということ。現金こそ彼等の武器であり、仕事道具であるわけで、その量は多いほど威力を増す。(中略)べつのいい方をすれば、金というものは、博打打ちにとって、常に流動している不確かなものにすぎないのだ。何千万、何億あろうと、部屋じゅうが札束で埋まろうと、明日、スッカラカンになるかもしれぬ。明後日、また復活して倍になるかも知れぬ。金とはそんなものにすぎない。彼等は、ギャングがピストルの手入れを怠らないように、現金を愛蔵する。しかし同時に現金に固執もしない。金は、ひとつまちがえば、鼻っ紙である。ところが、(博打打ち=空野は)その金を占領するために、命を賭けて戦うのだ――



 なぜこんな文章を引用するのか。私はその職業について知った時、まっさきに思いだしたのが、この小説の、まさしくこのくだりだったからだ。

 ゲームソフト流通の業界には、小説の登場人物――空野――のような生き方をしていた人間がいた。
 一時期ではあるけれど、数十人は生息していただろうと推測される。
 彼らは鶏群、つまりゲームソフトの乱作傾向が目立ってきた八七年ごろから、さまざまな圧力がかかりはじめた90年、91年までが、活躍のピークだった。
 彼らのような職種を、人はカバン師またはカバン屋と呼んだ。

 カバン師の仕事は、ゲームソフト発売元がつくりすぎたゲームを、安く買いたたいてはサヤを乗せ、ディスカウント店などに売りさばくことだった。

 カバン師のような稼業が生まれたのも、ゲームソフト流通の歪んだ構造が原因だ。
 彼らの生態を見てみようか。カバン師はたいてい、こんな風にしてやってくる。
 
 たとえば、あなたが中堅ゲームソフト発売元の営業責任者であるとしよう。ゲームが完成に近づくと、あなたはいつものように新製品案内資料を持って、一次問屋各社にセールスをする。「ぜひ、このゲームを仕入れてください」と注文を集める。
 
 しかしあなたの予想よりも、受注本数が集まらないことはまま起こる。売れない理由はいろいろあるだろう。多くの場合、あなたの会社とあなたの会社のゲームは、例の1から10のどれかに引っかかっている。そのため、思うように注文が集まらない。
 
 だがあなたは、有能で仕事熱心である。さらにあなたは、かなりすぐれたゲームを売ろうとしている。社内の評判も高い。

 こんな場面で、あなたは次のような考えに取り憑かれる。
 「良くできたゲームなのに、問屋はこのゲームの良さをわかってくれない。だから注文が来ないのだ。なにせ彼らの品を見る目は甘い」……と。

 ちなみに今、集まっている注文は5万本としようか。ここであなたは頭の中で計算をはじめる。「実際に市場に出れば、ユーザーの間では評判になり、すぐに追加注文が入るだろう。こんなに良いゲームが5五万本で終わるわけがない。

 もしかしたら発売前にも追加注文が取れるかも……。完成版のソフトを持って、もう少し粘って営業をかければ、1、2週間で注文は増えるさ。その数は、2万本ほどか」。売り時を逃がしたくないあなたは、任天堂にマスターロムを持ち込み、製造委託を申し込む際、こう決断し契約を交わした。
 7万本!
 あなたはあえて、a=問屋の発注本数に水増しをして、c=任天堂への製造委託本数を決めた。業界用語で俗に言う見込み発注(発売元が問屋の追加を見込んで、任天堂に発注するの意)だ。さて、ここからがあなたにとって勝負の時だ。買い取り販売が原則のゲームソフトの商売で、あなたは発売元在庫を背負う覚悟をしている。

 追加注文がくれば、「すぐに用意できますよ」と答えて、吉。
 こなければ、利益を丸ごと吐き出して、凶である。

 すみやかに吉、と出れば問題ない。
 しかし、ぐずぐずしていると……。言い替えるとあなたの手元に、現物の在庫があることが噂になると、不良在庫をハイエナのようにあさって生きるカバン師は、あなたをつけ狙う。

 残念だが、あなたは凶の気配が濃厚だ。カバン師があなたの会社を訪れる。あなたは迷う。
 会おうか、会うのをやめようか。だが、ここでは話を進めるため、あなたは面会することにしたとしようか。

 カバン師が応接室のソファーに腰掛けた。
 カバン師というからには、彼らはカバンを持ってきていた。どんなカバンか? それはあなたが抱えている在庫の量によって違うはずだ。なぜなら彼らのカバンには、在庫を買い取るための現金が入っているからだ。アタッシュケースの時もあれば、ボストンバッグの時もある。無頼の博打打ちのような彼らは、現金を持ち歩き、その現金で商売をしている。

 カバン師は、あなたに申し入れている。通常なら65%前後の掛け率で一次問屋に卸した商品を、30%から40%の掛け率で仕入れたいと。

 あなたは、追加注文がいっこうに集まらないのにイラだっている。ついにカバン師の条件を飲むことにした。
 足元を見た人間と、背に腹は変えられない人間の同志の交渉は、意外とあっさりと決まるものだ。
 あなたの場合も、そうだったのだ。ここで仮に、定価6000円のソフトの2万本すべてを40%で売ったとしよう。

 するとカバンの中身の現金、6000円×40%×20000本=4800万円は、その場であなたの会社のものになる。
 そしてカバン師は風のように去り、一次問屋を通した正規ルートからはモノが流れにくい、ディスカウント店などに飛ぶのだった。

 あるいは度胸のあるカバン師なら、露天商(ファミコンソフトはテキ屋も仕入れている)の元締めの門でもくぐるのかもしれない。

 今度は彼らが現金をもらう番になった。
 ここで彼らは、たった今、あなたが卸したゲームに、サヤを乗せて商売をする。5%としようか。6000円×0.45%×20000本=5400万円の現金が、彼らの空っぽのカバンに入る。これだけのことを、腕と運が良ければカバン師たちは、半日でやってのけるのだった。

 ところで、古めかしい俗称で呼ばれていたが、カバン師たちの年齢は若い。
 当時の年の頃で、20代後半か、30代前半の若者がほとんどである。
 彼らの多くは、ゲームソフトの二次問屋、零細な流通業者をスピンアウトした経歴の持ち主が多かった。

 彼らは若い。若いからゲームの良し悪しをまっとうに判断できる。
 なのに、彼らの元上司ときたらどうだ。流通業のボスたちは、甘い判断をする。若い彼らにしてみれば、上司の的外れな商品選択は、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」に思えてしかたなかったのである。
 
 そこで彼らのうちの誰かが、独立して自分の商売をはじめた。ゲームソフト流通の盲点をついて、発売元在庫の直取引をはじめることにしたのだ。在庫専門の流通業という呼び方もできるかもしれない。

 だが、若くて組織に属さない彼には信用がない。だから彼らは、カバンにはち切れんばかりの現金を詰め込むことにした。
 仕事に不満を持った若者たちは、
 不自然な流通機構を疑問に思った若者たちは、
 おかしな判断基準を鼻で笑った若者たちは、カバン師となったのだ。
 
 カバン師たちは、引用した小説の主人公・空野のように、現金を愛蔵している。
 その理由もまた同じで、「現金こそ彼らの武器であり、仕事道具」だからだ。
 カバン師はいつ仕事がはじまってもいいように、押入れや戸棚に現金をしまった。ただ、彼らは阿佐田哲也が描く昭和中期の博打打ちと違って、情報戦にそなえたハイテク武装を怠らなかった。取引先を入力した電子手帳、ノートパソコンなどは当たり前で、当時は、まだめったに見かけなかった携帯電話や、高価な無線機まで持って盗聴まで行う輩もいた。

 彼らにとって現金同様、情報もまた命だった。どこに、どれだけ、在庫があるか。誰よりも早く知らないことには、商機すら訪れない。受注初期の一次問屋の評判、マスター入れの時期、発売元の資金繰り、未発売ソフトのディスカウント店での買い取り価格……。あらゆる情報を彼らはリアルタイムで入手しようとした。

 もちろんカバン師の評判は芳しくなかった。
 カバン師たちは皆、ハイテク機器を愛用するのと同じように、高級車に乗り回した。

 彼らのもとには、客が訪ねるわけでもないので、軽事務所すら借りていない場合が多い。自宅を転々と移っていれば、税務申告をも逃れられる――という思わぬ利点もあった。
 これでは彼らの武器、すなわち金は貯まるいっぽうだ。余った金は、毎日のように発売元とディスカウント店を往復する、高級車ぐらいにしか使い道がなかったのである。そんな彼らの乗るクルマを、真っ当なゲーム業界の人々は「ファミコンベンツ」と呼んで蔑(さげす)んだ。

 ファミコンは任天堂の商標である。ベンツはダイムラー社の商標だ。
 だがなぜか、このふたつの商品名が結びつくと、えもいわれる下品な響きがあった。

 事情を知っているゲームソフト発売元の社員は、自社の玄関に「ファミコンベンツ」が駐車されるのを見ると、嫌な顔を彼らに向けた。それでもカバン師は、生来の博打打ち、空野のように図太く生きた。右手で「ファミコンベンツ」のハンドルを握り、左手で次の在庫の連絡を受ける携帯電話を握りしめて、彼らは野放図に生きた。
 
 しかし彼らの命は、そう長くは続かなかった。
 見込み発注が盛んだった時期もまた、短かったからだ。ファミコンソフト市場が飽和点に近づくにつれて、もう誰も問屋の追加を見込んだりはしなくなる。その結果、発売元在庫はめっきり数を減らし、彼らの食い扶持は無くなっていくのだった。

 それに彼らのような職業が減った原因は、あなたが一番よく知っている。もう一度あなたが、中堅ゲームソフト発売元の営業責任者だとしよう。新作ソフトを発売するたびに、何度もカバン師の顔を見たら、もう見込み発注をやめようと思うのは当然ではないか。

 「ゲームソフトの流通の意識は遅れている」と言われて久しい。またある人は、「流通機構の抜本的な改革を」とも指摘する。だが、ゲーム業界をテーマにした、にわか評論家が書いたビジネス書や、短期間で走り書きしたかのような証券会社のアナリストレポートの常套句を、私が軽々しく書けないのは、カバン師たちを見たからである。

 自分たちの知識や情熱を、所属する業界や組織の改革に力を向けず、その構造の盲点を突いて甘い汁を吸って反逆した、若きカバン師たち。こんな若者を輩出してしまった業界に、自己改革を促しても無理だと思えるからである。

 だから今シリーズで、私が言いたいことは、ただひとつだけである。
 ゲームソフトの流通問屋。
 彼らにもっと同情を!

(完)

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  • 2011/06/03 04:40
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