Hisakazu Hirabayashi * Official Blog日記論

日記論

BLOG同様に「日記」。
「日記」にも、それでいいのか?
という、わだかまりがあります。

BLOG用語で使われる「日記」。
毎日起きたことを綴るが日記なのか?

ついつい頼ってしまう『ウィキペディア(Wikipedia)』では……

日記(にっき)とは、日々の出来事を記した記録で、今日では文学の一ジャンルに数えられており、文学の最も初期のかたちのひとつである。あるいは、初期のかたちという以上に、人がものを書くという行為の原初的なもので、文学という概念以前のものといってよいかもしれない。英語では、Diaryという表現の他にPersonal journalという表現も使われる。

と興味深いことが書いてある。

日記はいかなる状況の下に作成されるのか。この点については、西欧の日記について独創的な日記論を展開されているベアトリス・デュディエの『日記論』に幾つかの指摘が成されている。「監獄的な状況」(獄中日記など)とそれと正反対の未知の旅へ出た時(旅日記)、さらに「病にとらわれ、自分自身の危機的状況を旅する人」を含めて、特殊な体験をしている時、またはした時(自分自身や時代・社会全体に大きな変化が起こりつつある時、例えば恋愛・革命・戦争など)などを挙げている。「人間の歴史の中で日記の時代があったとすれば、個人の一生においても日記表現にむいた時期がある」として「青春の危機の数年間」をあげ、ひとの一生の中にも変化を見出だしている点も参考になる。

次に、日記は、それを記す人に対して以下なる役割・機能を果たしているのか。逆に言えば人々は日記を記すことによって何を得ようとしているのか。この点についてもデュディエが分析している。まず、「日記は手紙と同様、久しい間、他の表現手段を奪われた女性の創作力の避難場所であった」とするように、時代によってもその役割が異なること、また芸術家にとって「日記は、自分の経験や計画を報告する場所として、あるいは芸術理論を表明する場所」として存在することを指摘し、作成者の地位や性別・職業によってもその役割に違いがあることなど明らかにしながら、「なぜこのように多種多様な人々が日記をつける気になったのだろうか」と疑問を発し、これに対して、「ひとつの記憶装置」「一種の倫理的習練」「自己監視」「有益な練習」(ピアニストにとっての音階練習のようなもの)「古典的な『相談相手』」などの例を挙げている。

……と、さらにこんなことも。

ベアトリス・デュディエっていう人物に興味が出てきました。
『日記論』(松らい社)から出ています。
Amazonでは買えないようです。
どこかの図書館で見つけるしかないのでしょうか。

DSC01424.jpg

Comment

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  • 2008/08/01 17:01
感謝します
コメント、ありがとうございます。そうまでなさってお待ちいただきましたことを知り、目頭が熱くなるような思いがしました。今までの失礼をお詫び申し上げます。いつ、どのように復活するか考えあぐねてましたが、本日再開できよかったと思います。日記に対してのご意見もユニークでためになりました。
  • 2008/08/01 23:07
  • 平林久和
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