Hisakazu Hirabayashi * Official Blog繊細と大胆を行ったり来たり……物書きの心理学

繊細と大胆を行ったり来たり……物書きの心理学

夕べ?
今朝方?

私、原稿をアップさせて某編集部の者の方に、送稿いたしました。
すると、朝には以下のようなお返事をいただきました。



原稿拝見しました。大変にエキサイティングで素晴らしいものでした。こういう原稿を頂くことは編集者冥利に尽きます。有難うこざいました。本稿は(かなり異例のことですが)××××××××××にぶつけることになりました。一番インパクトが大きくなると思います。




うれしかったですね。
こういうご評価をいただけることこそ、物書きの冥利につきます。
……とお電話で御礼申し上げました。ありがとうございます。

私が編集者時代、誰に教わることもなく、原稿が編集部に届いたら、「着いたことの御礼」「中味の良いところに関してのほめ言葉」なんかを言うものだと、思っておりました。先輩たちが皆、そうしてましたから。そういう信頼関係がースにあって、「ここは書き直していただけませんか?」と言うべきは言う。編集者と物書きは、そういった「仁」と「義」を重ねていく世界だったんです。

でも、誰が悪いとか、どの編集部が悪いではありません。

時代のせいか。
世代のせいか。
電子メールのせいかもしれません。
編集者と物書きの関係は変わりました。

原稿を送っても梨の礫
今日のエントリーは、出版社勤務の編集者の方に読んで欲しいので漢字が難しいです。
梨の礫は「なしのつぶて」と読みます。
なしは「無しの意味」。
つぶては「小石の意味」。
「無し」を投げるのはおかしいので、語呂合わせで「梨」。
気のある相手に小石を投げて気を引こうとしたが、相手に無視されて知らんふりされた、の故事にちなむ。

まあ、梨の礫の講釈はどうでもいいのですが、梨の礫はさみしいのです。

物書きというのは、心の揺れが激しい。
繊細と大胆を行ったり来たりするのが商売なのです。

ある風景を見る。記者会見に出る。インタビューする。
その瞬間は、繊細きわまりない神経が体内を駆けめぐるわけです。
言語化されていない言語は何か?
この会場を包み込む空気は何か?
顔色は? 声色は? 雰囲気は?

で、書く。

書く時間帯とは、自己の繊細さとの決別の訪れです。
大胆に発想し、大胆に言い切らないと良い原稿は書けない。
なので、体内から湧き出る怯えを封じ込め、失敗ではなく成功だけをイメージし大胆に書く。

そうして、書いたなら、今度はまた繊細な自分を連れ戻します。

「そうして、書いたなら」よりも「そうして書いたなら」。
途中の句点はいらないんじゃないか、とまあ、よくぞそこまで人間性が変われるのかと思うくらいに大胆人間は、繊細人間に変身してしまうわけです。

そして、何度も読みかえして送稿。
この時の心理は、超・繊細人間です。

編集者の方は、満足してくれているだろうか?
依頼の意図を汲んでいないと落胆してはいまいか?
もう、心配で心配でならない。

でも、その時になんか言ってくれたら、それだけで救われるんです。

「梨の礫」じゃなければいいんです。

ましてや、冒頭のように喜んでもらえたら、最高。

冥利。
冥利は、仏教用語で仏様が知らず知らずのうちに与えるご利益のこと。
その冥利に尽きるとは、ご利益が限度にまで達し、きわまる。最高にありがたいと思う、の意味です。

そうして、過度なまでに繊細と大胆を行ったり来たりして、疲れ果てた物書きは元気と次に書くパワーを、またみなぎらせる。

だから、「梨の礫」はやめたいですね。

そして、「冥利に尽きる」なんて、言ったり言われたりして仕事をやっていたいものです。


FC2 Blog Ranking

Comment

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2008/10/26 16:48
Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
株主優待
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。