Hisakazu Hirabayashi * Official Blog半ズボンをはいていた小学生、今も友人

半ズボンをはいていた小学生、今も友人

今日は変わった友人を紹介します。
私が社会人になったのは1985年。

まったく予想もしなかったテレビゲームの創刊編集部に配属され、雑誌は翌86年に創刊。
当時は、小学生の間では「ファミコンブーム」の真っ盛りでした。

どこの出版社でもそうでしたが、ゲーム雑誌編集部では攻略法の問い合わせ電話がひっきりなしに鳴っていました。

雑誌の最終ページに、どんなに「ゲームソフトの攻略法についてはお教えできません」と書いてあっても、ゲームキッズたちは、そんなことお構いなしです。

一日中鳴り響く電話のなかで、声を聞いただけで礼儀正しさが伝わり、妙に大人びた考えを持っていそうな少年がいました。この少年(仮にI君といいましょう)の「編集部に遊びに行ってもいいですか?」という申し出だけが、許可されることになりました。

少年は東京の江東区に住む小学校4年生でした。
小学生ながら、純粋な記事とタイアップ記事を即座に見分けてしまうような明敏な頭脳の持ち主で、ゲームソフトの批評も鋭く、メディアビジネスについてこんなに知識が豊富な小学生がいるのか、と周囲のオトナたちを驚かせていました。私もそのひとり。

聞けば、お父様がコピーライターとして広告の世界では活躍なさっている方で、その影響か、かくも早熟な少年が育ったのでありましょう。

読者としての感想も言ってくれるのですが、これがまたいちいち的確でした。少年は専門誌のあるべき姿を「心臓」という比喩を使って説明しました。業界は「身体の全体」。専門誌はその一部である「身体の部位」、どうせその部位の一部ならば「心臓」、つまり止まると全体が死ぬような存在でなくてはいけないと言うのです。けだし正論、そして巧みな比喩力!

若干10歳の少年の助言は重く私にのしかかり、その思考のために、多くの時間をさいたものでした。その結果、「心臓」になるためには、対象物への「愛」と「命を削る覚悟」が必要なのだ、という、ずいぶんと構えの大きな見解へと行きつくのであります。

やっと学生生活と別れを告げ、社会人になったのに半ズボンをはいた年頃の友人ができるとは、これまた予想もしなかった「運命」でした。その後も少年とは交友関係が続きました。それはまさに編集者と読者、社会人と小学生というよりは交友と呼ぶにふさわしい関係です。私は少年を子供と思ったことは一度たりともありません。いわゆる、「タメ」の感覚です。

のちに彼は、頭が良くて多感な少年らしく悩める青春時代を過ごすことになります。
学校に行かなくなったり、学校を辞めたり、あるいは学校に再入学したり……学校をめぐるさまざまな問題に直面するようになります。

これは想像なのですが、十分に世間を知ってしまった少年の知性に、世の中の世間知らずの先生方は、ついていけなかったのでしょう。そして少年は、果たしてそんな先生たちに教わる意味があるのか、と疑問に思ったのでしょう。

紆余曲折があったものの大学を卒業。少年はいつしか社会人となり、某大手メーカーの社員になりました。その後、そのメーカーも退職して、現在は教員免許を持ち、高校教師の経験もある著述業という、ふたつの職業についています。メディアビジネスと教育。どこか私の関心と職業分野に、通じるところがあります。

はじめて会ったとき、小学4年生だった少年は、もう30歳を過ぎて父親になっています。
そのから、近著の献本を頂戴しましたのでご紹介させていただきます。
長くつき合ってくれて、ありがとう。
本を送ってくれてありがとう。

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(2008/11/05)
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