Hisakazu Hirabayashi * Official Blog叔父の死

叔父の死

下の記事。
文明がどうした……の原稿はいつか書こうと暖めていたものですが、あわてて仕上げてアップしました。ようは、私の転換点、というお話をしたかったのです。

今朝、叔父が亡くなりました。
その訃報が先ほど届きました。
東京・荻窪に住んでおり、ユーモアを重んじ、ゴルフが好きな快活な叔父でした。

同じく下の記事で出てくる「早いもので、もう、23年もやってきたことになります」。
その時の私の年齢は23歳でした。

1986年、その年はディスクシステムの発売どころではない衝撃的な事件が私には起きています。
父が亡くなりました。

今でも覚えています。
3月8日の出来事です。

昼間の暖かさが嘘のように冷え込んでいた、夜中の2時過ぎ、当時住んでいた世田谷の上北沢のワンルームマンションに帰宅すると、この時間、この場所 には絶対にいるはずのない、伯母が自室のドアの前に立っていました。

暗がりで私の顔を見つけるなり言いました。
「父が倒れたからすぐに実家に帰るように」と。

私が社会人になって約1年が過ぎようとしていました。
この日は入社してすぐにとりかかることになったゲーム専門誌が、晴れて創刊できた日でした。
社長以下、編集部員一同で豊川稲荷にお参りに行き、麹町と六本木で、打ち上げの1次会、2次会に参加。帰宅してみると起きていた、突然の出来事でした。

深夜の東名高速を約1時間、伯母のクルマに乗って実家に帰ると、車中で覚悟した通りのことが起きていました。人があわただしく出入りしています。母が泣いています。父は、すでに亡くなっていました。

私が、半年以上まえから一生懸命に目標としていた雑誌の創刊日。
それがくしくも私の父の命日と重なりました。
その日が3月8日であります。

それまで「運命」なんて言葉は使ったことさえありませんでした。
ただの偶然の人との出会いを「運命的」なんて言う人は、芝居がかった人……くらいにしか思っていませんでした。

ですが、雑誌創刊日と父の死が同じ日に起きたことに直面すると、さすがに「運命」を感じないわけにはいきません。私は必死に解釈をしようとします。とても「偶然」ではすまされない「運命」について。

とりあえず、こう解釈しました。
父はきっと言いたかったのでしょう。
自分の死と同じ日に生まれた雑誌を大切にしろよと。今の仕事をマジメにやれと。父は文字通り、命を賭して、人生の落伍者になってもおかしくないような学生時代を過ごしていた息子に、強烈な教訓を残したのではないか。
そう考えるようになったのです。

その後、私は周囲の人から見て変わったのか、変わらなかったのか、聞いたことはありません。でも、自分の心の中では一本筋が通った気がしています。

おわかりですね?
それから、また23年の歳月が過ぎたのです。

23年前に父が、そして私が新たな志しを持ち、新しい道を進もうとする今日、叔父が死んだのです。
23歳の時に父は亡くなり、満46歳になる今年に叔父が亡くなりました。

悲しい。
悲しい。

母から携帯電話に知らせがあった以来、目には涙がにじんでいるのに、バカなことを考えています。

世界のナベアツです。
「3の倍数と3が付く数字だけアホになり……」。

私の場合は23の倍数の年齢になると、人生の大きな節目がやってきて、父からの戒めの言葉が届くようです。

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  • 2008/08/06 16:54
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  • 2008/08/06 20:49
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