Hisakazu Hirabayashi * Official Blog産業に希望、業界に憂鬱

産業に希望、業界に憂鬱

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同じことを言って、使い回しているという批判もあろう。
主張がブレない、という評価をいただけるのかもしれない。
どう受けとってくださるかは、皆さん次第だが、私の言ってきたことに、昔も今も変わりはない。

私は今から15年前に、こう言っているのだ。
「産業に希望、業界に憂鬱」。

上の写真は拙著、『ゲームの大學』の第1章に書かれた最初の見出しである。
同書は、当時の紙名で日刊工業新聞に連載した原稿を、現・静岡大学情報学部准教授・赤尾晃一先生とともに単行本化した書籍だ。

すなわち、「さあ、新聞連載をはじめるぞ」と意気込んでいたときに、最初に書いた記念すべき1行が、写真の文だった、ということになる。

いうまでもなく、産業は広い意味で、業界は狭い意味である。
産業には長期的視点が含まれており、業界は今、ここにある問題点が含まれている。
簡単に数式風にすると、産業>業界となる。

当時は業界に問題は山積していた。
特にゲームソフトは、明治時代からつづく玩具問屋の流通網を使うしかなく、そのため無駄なマージンが生じたり、適正仕入れができずに不良在庫を抱えたり、逆に人気ソフトが品切れを起こすようなことは、日常茶飯事だった。ちなみに、この詳細を解説するくだりで「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と、若かった私は、人様の生業(なりわい)を、バカとまで呼んで痛烈に批判している。

で、あるが。

そんなことは業界という、ムラ社会の問題なのであって、広く産業としてみれば希望がある。いや、希望しか見えてこない。コンピュータはますます進化する。アナログメディアはデジタルメディアに変わる。人は普遍的に遊びを求める。市場は世界に広がる。

なので、私は同連載記事ならびに拙著で、それは「産業」の思索をしているのか、「業界」の思索をしているのか。それは「産業」の議論をしているのか、「業界」の議論をしているのか。

そこをしっかりと区別しないと、せっかくの思索も議論も、あらぬ方向に突き進んでしまうという、警告にも似たメッセージを、冒頭で挨拶がわりに述べることにしたのだ。

さて、昨日のエントリーもまさにそうで、不安を訴える方のほとんどが「業界の憂鬱」を並べ立てている。それはおっしゃる通りなので、何も否定できない。

だが、「業界の憂鬱」発見コンテストで優勝を目指すことが、皆さんの学習目標や職業の目的ではない。「産業に希望」を見いだすのが、若き学生や新入社員や入社3年未満の若手社員の方たちの仕事だ。

そのためには視野を広くするべきだ……という、悲しいくらいに紋切り型の結びになるが、この助言は避けて通れない。

業界の今を見ない。
産業の未来を見る。
どちらを見るかで景色は違ったものとなる。
これが、15年間変わらぬ私の見解だ。

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