Hisakazu Hirabayashi * Official Blog写経ならぬ写『山月記』

写経ならぬ写『山月記』

実際に小説を著している、若き我が師(O.M)さんから、昔、教わったこと。
文章がうまくなりたいなら、中島敦の『山月記』を書き写すに限る。
私は昔、中学の時の国語教師に、志賀直哉の短編をとか、朝日新聞の「天声人語」をとか、いろんなものを書き写せと言われました。

……ある手本があって、それを書き写すことにより文章を書くコツをしみ込ませる、というのは昔からある文章教育の伝統なのでしょうか。

で、いろいろ試したわけですが、「最も効果的」と私が思うのは『山月記』」。
書くのは面倒だ、という人は、それこそ声に出して読むだけでも、何か文章道を精進している気分が味わえるはずです。

隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、※(「埒のつくり+虎」)略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。李徴は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。この頃(ころ)からその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい)として、曾(かつ)て進士に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の美少年の俤(おもかげ)は、何処(どこ)に求めようもない。数年の後、貧窮に堪(た)えず、妻子の衣食のために遂(つい)に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己(おのれ)の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥(はる)か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙(しが)にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何(いか)に傷(きずつ)けたかは、想像に難(かた)くない。

李陵・山月記 (新潮文庫)李陵・山月記 (新潮文庫)
(1969/05)
中島 敦

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