Hisakazu Hirabayashi * Official Blogゲームソフト配信、四半世紀の物語(1)

ゲームソフト配信、四半世紀の物語(1)

任天堂というのは不思議な企業で、新しいものが好きで、進取の気性に富む体質と、古きしきたりを重んじる保守的な体質との、両方を合わせ持つ。

○○人……という言い方が、私はあまり好きではない。
好きではないが、話を早くするために、あえて使うとすれば、「京都人」の世評と同様だと思えばいい。

あれは、阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝を果たした年の秋だったので、85年のこと。世はファミコンブームに沸いていた。同年の9月に、あの超人気ソフト『スーパーマリオブラザーズ』が発売された。ソフト、ハードともに需要過多で、「ファミリーコンピュータ」は一時期、入手困難になった。

そんなファミコンブームの絶頂期。
『スーパーマリオブラザーズ』が発売されてから、約2週間後に、任天堂は驚天動地の構想を発表した。

ファミコン本体にフロッピーディスクのような磁気メディアを接続。それは電話回線を通して書き換えが可能。通信でダウンロードしたソフトは500円とする、というものであった。ファミコンに接続する外付け装置の製品名は「ディスクシステム」といい、翌86年2月に発売するという。

当時、インターネットという言葉は日本に入ってきていない。誰も知らない、と言っても過言ではない。そんな時代に、電話回線を使ってゲームソフトウェアを配信する構想を持っていたのが、新しいものが好きで、進取の気性に富む体質の任天堂である。

阪神タイガースの優勝はどうでもいい。
当時の中曽根内閣「民活路線」のスローガンのもと、85年は、日本電電公社が民営化されてNTTになった年として記憶されるべきである。

民営化にともなう規制緩和によって、音声以外のデータ通信が可能になり、また、NTTは通話料だけではなく、情報利用料を徴収できるようになった。

任天堂はこの時代の変化に目をつけてNTTと提携。
つまり、人気の絶頂期に、さらなる大革新を企てたのである。

任天堂=山内溥社長(当時)は「ディスクシステム」こそが、次世代のテレビゲームの標準型になると信じていた。「ディスクシステム」は新しい産業構造を目指した、聖戦でもあったのである。

画期的な構想だったが、既得権を持った流通から任天堂は総スカンを食らった。
当たり前のことだが、ソフトを電話回線で売られては問屋と販売店は売上にも利益にもならない。
完全なる中抜きである。

ソフト会社もディスクシステムを歓迎しない企業が圧倒的に多かった。
4000円~5000円で販売するソフトが、飛ぶように売れているのに、1ダウンロード500円では儲けが減ると考えたのである。

そこで、妥協案として採用されたのが「ディスクライター」である。(*下記動画で見られます)
ソフトの書き換え制度は予定通りに実施するが、NTTとの提携、電話配信については白紙撤回。かわって、全国約3000店の玩具店、百貨店玩具売場にディスク書き換え機「ディスクライター」を設置することになったのだ。

「ディスクライター」での書き換えは、(1)ユーザーは玩具店や百貨店の玩具売り場にソフトを持って行く。(2)そこで500円を支払えば、(3)設置店の店員がディスクソフトを書き換えてくれる。こんな手順で行われる。任天堂は、ディスク利用のメリットを何とか保った。しかし、この妥協の瞬間に、ディスクシステムの先進的なコンセプトは、大きくそぎ落とされてしまった。

案の定、ディスクシステムは失敗した。

当時のディスクシステムの年間販売台数のメモがたまたま残っていた。

1986年、224万台。
1987年、75万台。
1988年、29万台。
1989年、11万台。

(つづく)

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