振り向けば景色は変わっていた
- Day:2009.07.27 11:24
- Cat:ゲーム
さらに、いつもは叩かれ、いじめられている2ちゃんねる掲示板だが、「珍しく平林さんの文章が誉められてますよw」とのメールを後輩からもらった。
見てみると、それは「ゲームと景色とニュータウン」という、なんかほのぼのとした良いスレッドで、後輩からの知らせの通り、ここでも同じ文章のことが触れられていた。

その文章は、99年末に発行した『ゲームの時事問題』の第1章の冒頭に書かれている。
自分としては珍しい韻文風の文章で、難しい漢字を多用し、あえてフリガナをつける試みをしている。

なぜ、この時期に、この文章なのかは考えずに、ともかく、そういうニーズがあるようなので、当ブログに再録させていただく。
以下、()内がふりがなだ。
はじめて我が家にゲーム機がやって来たのはいつの日だろう。
ドキドキしながら箱を開けた。
ちょっと戸惑いながらも剥(む)き出しになった銅色の線をテレビの裏にくっつけた。
画面に映った映像を手で動かすことができる。
あの時の迸(ほとばし)るような興奮は今でも忘れない。
テレビゲームとは「観客」と「主役」を手で結んでしまう人類がはじめて見た物語(ドラマ)。
見渡せばゲームはよく売れた。
ゲームは麻薬のように邪悪で、宗教のように崇高だったから。
「もう一度」と熱中してリプレイボタンを押す指は禁断の薬物をつまむ指のよう。
真剣にコントローラを握るその掌(たなごころ)は神のまえで真摯な祈りを捧げるよう。
麻薬か? 宗教か?
どちらにせよゲームは人間の精神を激しく揺さぶった。
そして夥(おびただ)しい数の中毒患者ないしは信者を生んだ。
さらに麻薬と宗教がそうであるように、それを「売る者」たちには莫大な富みを齎(もたらし)した。
ゲームは貧乏な若者を豊かにし、金持ちをもっと裕福にさせた。
しかしゲームは走らないと死ぬ、豹に追いかけられるシマウマのような運命にあった。
中毒患者と信者たちは従順だが、また当時に我侭(わがまま)でもあった。
彼らはもっと強い刺激をせがみ、新しい救いを天に求めた。
彼らは死よりつらい運命、それは退屈だと思っている。
彼らはサバンナに棲まう豹より敏感で獰猛(どうもう)だった。
ゲームはシマウマのように走った、走った、走った、猛スピードで走った。
走ることが唯一の生きる道で、またそれが本能だったから。
ゲームはタフに躍動し、よく疾駆した。
悩み、激しい運動に疲れ果てそうなこともあったが幸せなことも多かった。
仲間内で馬鹿げた喧嘩も多かったけど、空腹は満たされていた。
長い間、夢のような時代を生きてきた。
だが今、ゲームは言いようのない不安に襲われている。
猛獣に食われて夢から醒めるなら悔いはない。
生と死が隣り合わせであることを彼らは経験で知っている。
だがゲームという名のシマウマは環境の変化に驚いている。
一頭、二頭……が死んでいくから不安なのではない。
いつの間にか群れごと見慣れぬ大地に立たされている不安。
生きたままであることの不安。
これから生きていかなくていけない不安が彼らを襲っている。
かつてのような豊潤な牧草はそこにはない。
振り向けば景色は変わっていた。
それはたぶん極限まで走りすぎたせいだろう。
振り向けば景色は変わっていた。
夢のようだったゲームの時代が終わろうとしている。
この文章を書いたのは99年の秋だった。
翌年には、プレイステーション2の発売を控えていた。
ゲーム業界は、次の儲けのチャンスがやってくると、浮き足だっているようだったが、私はそこに警句を発したかったのだ。
手前ミソになるが、ここで書かれたことは、のちのソフト市場の低迷を予見していたと思う。(詳しくはこのエントリーのグラフをご参照ください)
また、ニンテンドーDSが軽視できないハードであると語ることができたのは、「振り向けば景色は変わっていた。それはたぶん極限まで走りすぎたせいだろう」という価値観が、99年のうちから宿っていたからかもしれない。
ともあれ、10年前の書いた拙稿を、記憶していただき、また、読みたいと思っていただけることは、とにかくうれしい。感謝申し上げたい。
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