Hisakazu Hirabayashi * Official Blogプレイステーション3という立候補者はどんな選挙戦をするのだろう?

プレイステーション3という立候補者はどんな選挙戦をするのだろう?

まず、いきなりお詫びをしますが、今日のエントリーは難しい。

政治とゲーム機を並べて論じることが、私の頭の中では当たり前のことなのだが、一般社会でまとも生きている人は、そんなことを考えたこともないだろう。考えたこともないから、理解しにくいことが予想される。

さらに、平易に書いているつもりでいるが、政治とゲーム(=コンピュータ、ゲーム業界)について、ある程度の基礎知識がないと、わからない内容になってしまっている。

誠に勝手なことを申し上げるが、以上のことをご容赦いただいたうえで、お読みいただきたい。



8月18日は衆議院選挙の公示日。
今日から本格的な選挙戦がはじまる。

今回の選挙戦のひとつのキーワードは「ばらまき」。
高速道路無料化、子ども手当の民主党の政策は「ばらまき」と自民党は批判する。
いいや、今までの「ばらまき」体質をつくってきたのは自民党、と民主党は反論する。

だが、両者が共通していることがあって、それは「小泉構造改革の見直し」である。
いきすぎた規制緩和・自由競争路線が、不必要な格差や貧困を生んだ……という考えは自民・民主両党の共通した主張になっている。

さて、もしかしたら、その告示日にドイツで発表されるかもしれない、プレイステーション3の新型モデルと値下げ。

私は昨日、それが巻き起こす現象は「本質ではない」と言い放った。
では、何が本質かというと、衆議院選挙と同じで、プレイステーション3は「構造改革路線」を見直すのかどうか……が今後の焦点ではないかと私は考えている。

つまり、こういうことだ。

プレイステーション3が薄くなりました。
軽量になりました。
値段も下がりました。
WiiやXbox360と比べたら、圧倒的に性能がすぐれたゲーム機ですよ。
……と発表されたら、「構造改革路線」を見直したことを意味する。

週内に行われるであろう発表は、「薄い」「安い」にコミュニケーションが絞られるのは、しかたのないことだ。だが、いつまでもこれをやっていたら、プレイステーション3は、ただのゲーム機になってしまう。政治の比喩に戻すと、大衆に迎合したポピュリズムに屈したことになってしまう。

薄さや安さではなく本質は、プレイステーション3とは何か?
かつて、同機が初公開されたとき、久多良木前社長は信念を込めて「スーパーコンピューティング・フォー・エンタテインメント」(Super Computing for Entertainment)と言っている。

Capture-3.jpg

私は、これはWiiとは異なる、もうひとつの「構造改革路線」で、このコンセプトこそプレイステーション3の捨ててはいけない存在意義だと思ってきた。そして私は、この考えに共感をしている。

昨年の11月だった。
ある読者の方から、「プレイステーション3が復権するためにはどうしたらよいですか?」とリクエストをいただき、こんな記事を書いたことがある。

Super Computing for Entertainment.

それは何かと言われたら、
(1)かつては手つけることができなかったアナログなものをデジタルデータに変換する
(2)そのデータは膨大になるが、スーパーコンピュータであればリアルタイムな情報処理が可能になる
(3)こうしてできた膨大なデータを利用者は、インタラクティブな操作をすることによって、今まで見えなかったものを見ることができたり、今まで手で操作できなかったものを操作したりできる

単純に言ってしまうと、プレイステーション3は「未知体験機」であるべきなのだ。
この「構造改革路線」は、ぜひともこれから、突き進んでほしいと願う。

他のゲーム機と比べられ、レースやシューティングなどをするための「既知ゲーム機」と認知されたら、あまりにももったいない。さらに、「値下げしたのに、まだ他機より高い」だったら最悪だ。

かといって、Super Computing for Entertainmentに固執するのは、あまりにも原理主義的で、私が冒頭でお詫びをしたくなるくらいに、難解な概念を振りかざすことになる。

適度なポピュリズムとブレない原理主義の共存が必要なのだろう。
もちろん、対立候補のネガティブキャンペーンも。
そんなところも、政治、あるいは選挙戦と似ている。

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