「業者」と呼ばれてうれしいですか?
- Day:2009.08.27 00:13
- Cat:働く
大きい組織に属する人が、小さな組織に属する人を見下した感じ。
高度な作業している人が、単純労働をしている人を見下した感じ。
そういう感じがしてしまう。
虫酸が走るというか、うーん、そうだ! お里が知れるという形容がピタリとはまる。それまで、流暢に敬語で話していたのに、「承知いたしました。それは業者に発注しておきますので……」なんて会話で締められると、ああ、やっちゃった、聞きたくなかった、という思いがする。
たった業者のひとことで、その人への印象は一気に悪くなる。
私が些細な言葉づかいに、過敏すぎるほどに過敏であることは認めるが。
かつて私は、非常勤取締役に就いていた会社で「業者の方は右手のドアに回ってください」と貼り紙をした社員がいたので、注意をさせてもらったことがある。「業者はやめて、お取引先の方に書き換えなさい」と。
書き換えたからといって、業績が伸びることはないのだが、その会社の品位を下げることを防げたと思っている。また、素直に指示に従ってくれた社員は、その後、言葉づかいが丁寧になってくれたのも、無形の収穫だと思えてうれしかった。
今回の気象庁と、ソフトウェアを開発した明星電気の問題とは別次元で、私は訴えたい。
業者というのは、そこで働く人の蔑視であり、働くことの尊厳を傷つける用語ではないかと。
感情的・感覚的なことを書いているようだが、論理的にもおかしい。
非常に理屈っぽい書き方をすると、発注=受注の関係は、支払う金銭と、享受する財やサービスが、等価であると双方がみなした際に発生する、上下のない交換行為のための関係である。
だが、発注者が優位的な立場にあると思い込むことが多く、罪の意識も疑問視もすることなく、業者、業者が常用されている会社は数知れない。また、業者は業者で業者扱いされることの抵抗感をなくしてしまっている。
ところで、この記事における業者だが、本文には気象庁の職員のコメントとして業者の文字は、一切載っていない。だとすると、朝日新聞の記者、または整理部が、つけた見出しなのだろうか?
それはそれで、言葉のプロフェッショナル集団として、いかがなものかと思うが、推論を重ねてもしかたないので、このへんでやめておく。
「業者」と呼ばれてうれしいですか?
「業者」と呼んで恥ずかしくないですか?
と問いかけたい。