Hisakazu Hirabayashi * Official Blog昨日書いた文章は

昨日書いた文章は

昨日書いた、文学もどきのおかしな文章は、じつは私なりの試みだった。

日曜日の衆議院選挙・開票速報を観ているうちに、フーッと意識がさめていって、画面に食い入るどころか、冷静になっていく自分がいた。

で、Twitterで何か語ろうかな、と思ったが、踏みとどまった。
いちいち「つぶやく」ことをしないで、まとめて文章にしたら、どんなものが書けるのか、試してみたくなったのだ。であるからして、私のエントリーでは珍しく[続きを読む]を使って、「なう」と2文字だけ書き、Twitter風に締めてみた。

いちおう小技を使い、今日の伏線を張っておいたつもりだ。
よって、昨日の文章は私のつぶやきの集合体であって、詩でもエッセイでもなんでもなく、あえて言うなら、実験小説もどきの駄文、なのである。

最初の動機はTwitterだったが、卓上でメモをしていくうちに、Twitterと同様にニコニコ動画にコメントをつけているような気分に近いかも、と感じるようになった。

たとえば、鳩山代表が「国民が主役」と言ったら、手元のメモ用紙に「軽井沢の別荘」と書きとめたくなる心の動きやその行為。

これって、ニコニコ動画でのコメント書き、そのものではないか、というような自分発見があった。

私の祖父も父も政治好きだったから、子どものから、選挙速報というのは、特別なテレビ番組という意識が、たぶん、他の若者や同世代の人よりも強い。

そんな私であっても、厳粛な国民の審判を受けとめる……などという意識は薄れ、ちゃちゃ(茶々)を入れたくなってしまうのだった。そして時には、冷やかす言葉だけではなく、マジメな発言もしたくなる。

「いわゆる“麻生おろし”があったときに辞めていればよかったとは思いませんか?」。
との質問があったときには、“武士の情け”とメモをしている。

とにかく、一方的に情報を受け取るだけではなく、発信したい。
番組のつくり手のレールの上を走りたくない。
視聴者、とひと言でいうが、視聴者の頭脳は、マルチタスクで同時処理されていることを、改めて実感したのだった。この実験によって。

2011年7月24日。
地上アナログ放送が終わる。

アナログ放送が終わるということは、完全にデジタルになる、ということである。
デジタルになるということは、視聴者は発信者にもなれ、放送は双方向になる、ということだ。

自慢じゃないが、いや、謙遜するのはやめよう、自慢だが、こんな時代が来ることを予見して私は、独立するときに、自分の会社名を「双方向に作用する」の意から、株式会社インターラクトにした。28歳、1991年の時。

超簡単なメディアの将来展望。
受け身の時代は先細るのだ。
逆に発信する大地は広がるのだ。

そのさきがけとして、未来の萌芽として、Twitterとニコニコ動画は、存在している。

技術論や概念の世界で語られている、双方向放送は、必ずやその一部にTwitterとニコニコ動画のエッセンスが盛り込まれているだろう。

そのままではダメだ。
エッセンスをどうやって抽出するか、だ。

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