Hisakazu Hirabayashi * Official Blog青春のはしかと涙

青春のはしかと涙

  • Day:2009.10.11 00:03
  • Cat:私…
『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』を観てきた。
公開初日、最初の上映回を渋谷にて。
なぜか、コースターを配っていたのでいただいてきたのがコレ↓

villon.jpg

劇場に入るなり、思わず、Twitterで「頭が光っている! なるほど!」と私はつぶやいてしまった。後部のドアを開けて入るなり、私の目には異様な景色が飛び込んできた。観客はお年を召した男性が多く、はっきりと言わせていただくと、頭部に頭髪がない方が多かったのだ。冗談抜きで、あんなに明るい映画館を見たのははじめてで、吹き出しそうになった。

『ヴィヨンの妻』は、戦中と戦後にかかる昭和初期の時代を描いており、かつて太宰治を愛好した文学少年たちは、これほどお歳を召したということか? と自分で自分に説明をして、その場の状況を理解させていた。

映画本編がはじまった。前半は原作を忠実に再現している。
些細なセリフも原作と変わらない。お金の話がでてくるが、その金額も。
夫と妻の年齢の設定も原作通りだ。
冷静に見ていた。

だが、映画がはじまってから30分後くらいだろうだろうか。
原作にもあるセリフ、
妻■「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」
夫■「女には、幸福も不幸も無いものです」
妻■「そうなの? そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
夫■「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」

と、浅野忠信が語った瞬間に私の心のスイッチは入ってしまった。

さっきまでの吹き出しそうな笑いや、冷静なセリフの分析も吹き飛んで、苦しかった文学少年の時代に戻ってしまった。

私は少年時代、仮面をかぶって生きていた。
本当の自分を知られることに対して怯えていた。
太宰治、別の代表作、『人間失格』で語られるところの道化をしていた少年だった。

その仮面を見事に剥ぎ取ったのが太宰治で、私が中学2年生の時だった。
ひとりの小説家、文学にはそんな力があるものなのかと恐怖と尊敬の念を抱くようになった。
以来、私にとって、太宰治は別格中の別格の作家となって我が心を支配するのである。

だが、太宰治、あるいは彼をモデルにしたかのような裕福な少年の生活は、私のまえから突然に過ぎ去っていった。高校1年生の時である。父の会社が倒産した。私の生活は一変した。生活が変わると、文学という空想の世界は縁遠いものとなり、あれほど夢中になっていた太宰治とは、自然と距離を置くようになっていった。

昨日まで「生まれてすみません」という破滅的なセリフに共鳴していた少年は、部屋の中から外に出るようになり、体育会気質の集団に属し、高校内を「押忍」と叫びながら走る少年に変化していったのである。

ところで、果たしてこれは本当の変化なのだろうか?
いや、それは再び仮面……別の仮面をつけているに過ぎないということを、当の本人が自覚していた。素顔のままの文学少年であることは、許されなかった。そういう状況と心境になったのだ。

しかも、である。
オトナになるということは、私にとって父の会社のことがあろうとなかろうと、多くの仮面を用意しては、身につけることでもあった。良い顔をした仮面なんて少ない。戦いのために油断ならない顔をした仮面、人の企みを暴く仮面、オトナの人生なんて仮面だらけの人生である。

だから、予感があったのだ。
この映画はきっと特別な映画なのだと。
『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』は、観賞する映画ではなく、私のカラダの中に流れ込んでくるような映画ではないか。その予感は的中し、私の人生のなかで、たった数年間だけあった、素顔の自分を思い出して、上映中に涙が止まらなくなった。

シナリオやセリフなど関係ない。ただのインサートカットで汽車が走る。汽笛が鳴っただけで、泣けてしまう。昔の銀座を再現したセットを見ただけで泣けてしまう。極端なことを言えば、スクリーンに映像が映っているだけで泣けてしまうのだった。

太宰治の作品らしく、愛するのも愛されるのも得意だが、生きるのも死ぬのも苦手な登場人物ばかりが出てくる。このコントラストが、なんとも美しい。そんな描写をするシーンがやってくると、涙はさらに大粒になる。

この作品を普通の映画のように評価するなんて、無意味だし、私には不可能なことだ。
観賞者が、どのような太宰治体験をしていたかによって、感動の深さは変わってくるのだろう。
鏡像のような映画だ。
回顧と内省のあり方によって感動の種類が変わる映画だ。

ともあれ私は、甘くて苦い昔を思い出して泣いた。
今までを振り返り、今を見つめなおして、泣きに泣いた。

映画が終わった。
劇場を明るくしていた「先輩」たちからも、すすり泣きが聞こえた。
あらかじめ用意していたのか、映画が終わったら急にサングラスをかけた人もいた。

太宰治といえば、誰もがかかる病にたとえて“青春のはしか”と呼ばれることもある。
公開初日の午前中は、昔、かなり重度のはしかにかかった人たちの集いのようであった。

ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~オリジナル・サウンドトラックヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~オリジナル・サウンドトラック
(2009/10/07)
吉松隆

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  • 2009/10/11 18:44
上記コメントをいただいた方へ
コメントありがとうございます。
いつも見てくださり、ありがとうございます。
もちろん、覚えていますとも!
お元気でいらっしゃいますか?
私はご覧の通りでございます。
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