Hisakazu Hirabayashi * Official Blog働くことの幸福や夢は書かれていない

働くことの幸福や夢は書かれていない

  • Day:2009.11.23 16:51
  • Cat:働く
勤労感謝の日なので、勤労感謝の日、らしいことを書く。

労働基準法という法律があるが、もし時間があれば、この条文を読んでほしい。熟読しなくても、文章の全体を目で追っているだけで、何だか暗い気持ちになりはしないだろうか? 強制貯金、解雇、年少者の使用、危険有害業務、葬祭料のことなどが書かれていて、それぞれの条文は大切なことなのだろうが、「働くことは尊いことだ」といった、夢のある話が出てこない。

日本の法律の第一条ってやつは、その法律ができた「目的」などが書かれていて、いちおう、前向きなことが書かれている。

●教育基本法
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

●建築基準法
(目的)
第一条  この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。

「心身ともに」とか、「公共の福祉の増進」とか、条文の常套句でそれは具体的に何を指すかはともかく、これらは私が言う、前向きな感じが盛り込まれている。

さらに、法律によっては第一条のまえに「前文」という、まえがきがあってさらに高邁な理想論が書かれているものもある。

ところが、労働基準法ったら、

(労働条件の原則)
第1条 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。

……であり、労働者は虐げられるものであることを前提しているようで、素っ気ない。
そして、条文すべてに通じて言えることなのだが、労働=労苦。働くことは苦しいもの、ということを前提にして、つくられているようなのである。

働くことは幸福なこと、というメッセージがどこにも書かれていない。
労働基準法の労働観は、資本家は労働者を虐待していた頃の名残りのようだ。

Comment

ふと思ったのですが、平林さんの世代だと、「右翼」として片付けられるのかなと思い、産経新聞の記事を転載します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091123-00000055-san-soci
【風の間に間に】

 終戦直後、日本人は戦争に負けるとはどういうことかを嫌というほど知らされた。GHQ(連合国軍総司令部)から新憲法を一方的に押しつけられたことはその最たるものだったが、「祝日」が全面改定されたこともそうだ。

 戦前の日本には、国の祝日と大祭日とからなる12の「祝祭日」があった。そのほとんどは紀元節、天長節など皇室の祭祀(さいし)を国民がともに祝う性質のものだった。

 しかし昭和20年12月、GHQはいわゆる「神道指令」で、そうした祭祀を皇室の「私的な行事」として祝日から排除した。代わりに昭和23年7月に制定されたのが、9つの「国民の祝日」である。このうち「春分の日」「文化の日」など6つの祝日は、それまでの祝祭日とおなじ日で、名称や意義を変えたものだった。

 「国民主権」の国家となったのだから一見、当たり前のように思える。だがその結果、新しい祝日が何を、何のために祝うのか極めてわかりにくくなった。

 例えば明治天皇の誕生日だった明治節の11月3日がなぜ「文化の日」なのか、皇室の祖霊を祭る春季皇霊祭がなぜ「自然をたたえ、生物をいつくしむ」(国民の祝日に関する法律)「春分の日」となったのか、理解は難しい。

 今日、11月23日の「勤労感謝の日」もわかりづらい。祝日法には「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日とある。だが実際には、年に1回親の肩たたきをする日ぐらいにしか受け取られていないようだ。

 祝祭日の時代には「新嘗祭(にいなめさい)」の日であった。23日の深夜から翌日未明にかけ、天皇陛下が天照大神をはじめとする神々に新しくとれた米や粟(あわ)のご飯や酒などをお供えし、自らも召し上がりになる祭祀である。

 7世紀の大化の改新の時代から11月の「下卯(げのう)の日」、つまり2回目の卯の日に行うよう決まっていたが、改暦が行われた明治5年の「下卯の日」が23日だったことから、この日に固定された。

 収穫を感謝するだけではなく、天皇ご自身も神々と「会食」されることで、翌年の豊穣(ほうじょう)に向けて力を得る意味もあるという。天皇陛下にとって、最も重要な祭祀とされてきたのだ。

 GHQがそうした祭祀と国民とを引き離そうとしたのは、日本の皇室に対する大いなる誤解からだった。天皇の最大の仕事は一時期を除けば政治ではなかった。日本古来の文化を体現、継承することだったという事実だ。

 今でも奥能登地方の「アエノコト」のように、神に新穀をささげ会食することで新たな力をいただく行事が日本中に残っているという。「新嘗祭」はそうした稲作にまつわる民間の伝承を取り入れたものだといっていい。

 天皇陛下が毎年「お田植え」や「稲刈り」をされるのも、そうした稲作文化を引き継いでいこうというご意志なのである。

 かつての日本人はその意味や素晴らしさを十分に理解していた。だから、新しい祝日が制定される前、政府が行った「どんな祝日がいいか」という世論調査で「新穀に感謝する日」が約64%の支持を集めた。

 その稲作の危機が叫ばれて久しい。日本の食料自給率は4割まで落ち込んだ。立て直すには、稲作を中心に社会を築いてきた歴史をもう一度学ぶ必要がある。

 そのためにも、今日はやはり「新嘗祭」の日として祝いたい、と思っている。
  • 2009/11/24 21:53
  • ザナドゥ
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  • Edit
ザナドゥさん、コメント、ありがとうございます
>平林さんの世代だと、「右翼」として片付けられるのかなと思い

いや、世代というか私自身は「右翼」であれ「左翼」であれ、片づけません。私、右翼も左翼も嫌いなんです。逆の言い方もできて右翼も左翼も支持します。私が避けたいのは、二者択一です。右翼、左翼に関係なくオプション選択できる社会がいい、という考えを持っています。

たとえば、靖国神社を参拝するが、護憲論者。日の丸掲揚は賛成するが、君が代は反対論者。総論として自虐史観を否定するが、従軍慰安婦はいなかったと記述した教科書には反対する……のような意見があってもいいと思います。

ところで産経新聞の上記記事ですが、感想は賛同も反対もしません。
ただ筆者の苦悩が伝わります。

筆者が一番言いたいことは、「よくも祝日を変えやがったな、GHQ」のはずで、それだけではコラムにならないので、食料自給率の話まで引っぱり出して、文字数をかせいでいるように読めました。

本来はきちんと意見をうかがい、きちんと述べる内容ですが、以上が私のコメントです。
  • 2009/11/25 15:03
  • 平林久和
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