Hisakazu Hirabayashi * Official Blogおめー!

おめー!

  • Day:2010.01.01 00:01
  • Cat:言葉
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。


と、新年のご挨拶をいたしました。
でも、現実の会話の世界や携帯メールでは「あけおめ・ことよろ」が使われ、もっと短くすれば「おめー」になります。

「そういうのは新年の挨拶になっていない!」と反射的に考えたのは平林久和Aでした。
Aとは何かというと、数年前までの私です。

確かに場面に応じては失礼な発言ですから、お節介にもそれを直してもらうスキルを身につけるのに、必死だった時期があります。でも、このお節介は恐いもので、正しくあってほしいという、相手を思っての発言ではなく、自分の見解を言わないと気がすまない、という欲望がそうさせていたのかもしれないのですね。「あー、こわ」です。

正すのはいいが、糺すのはよくない。
正すのは思いやりがあるけれど、糺すのは自己満足なんです。

では、反射的に糺さずに「なぜ『おめー』と言うのだろう?」と考えるようにすると、他者の考えを知ろうとする自分になれるし、「おめー」は、表面上は失敬に聞こえますが、発言者は私と親密であることを表現してくれているかもしれないという、また別の見方もできるんですね。

『日本語と日本人』(司馬遼太郎対談集)の中で、国語学者の大野晋氏はこんなことを語っています。

大野「ヨーロッパには、人間というのは都市なら都市に、知らない場所に人が集まってきて、人間とがぶつかったときに初の社会ができる。遊牧民ですね。知らない人同士ぶつかって、そこから物事がはじまるわけです。人間の出会いから。ところが日本人は土着から始まるわけです。あそこの嫁さんはどこから来たとか何とかはみんなわかっているから言葉はいらない」。

「おめー」への反応ひとつで、糺して終わりの人から、改めて日本語を考える人にもなれます。
今年は平林久和Bの比重を高めることが、私の目標であります。

でも、ひとこと言わせてください。
紅白歌合戦、Twitterで森光子のリアクションを嗤う人が多いのには辟易しました。
これは平林久和Aが叫んでおります。

「ことよろ!」

日本語と日本人―対談集 (中公文庫)日本語と日本人―対談集 (中公文庫)
(1997/02)
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