Hisakazu Hirabayashi * Official Blogふたりの恩人から教わったこと

ふたりの恩人から教わったこと

昨日のエントリーについて、反省しています。
本当は「未来」のことを語っているのに、過去を掘り下げすぎました。

GameBusiness.jpにて掲載されています。
「悲観論よ、さようなら」・平林久和「ゲームの未来を語る」第1回。
本日は文章の後半部分について、思うところを述べさせていただき、当ブログでの補足説明は、今回で最終回とします。

さて、その文章の後半部分ですが、私は尊敬するふたりの方の影響を強く受けています。
異なる職業のお二方ですが、私の「財産」といえるくらいに貴重なことを教わりました。ここで、私が授かったお知恵をご紹介することは、読んでくださる皆さまの何かのお役に立つかと思い、紹介させていただきます。

さて、2010年も夏が過ぎて、ゲーム業界では何が論じられているのでしょう。悲観論ばかり、そう思いませんか。

戦争を比喩にするのは不謹慎かと思いますが、自分の頭の中に思い浮かぶことなので素直に書かせていただきます。私が悲観論を述べたのは10年前のことです。真珠湾攻撃をするまえに「日本はアメリカと戦争をやったら負ける」と予測をしたつもりです。ですが、今ごろになって「ゲーム業界はますます厳しくなった」などと述べても、読む価値がない。


私が尊敬する人のひとりは、かつて『月刊アミューズメント産業』を発行していた、アミューズメント産業出版の取締役だったA氏です。(わけあってイニシャル表記にさせていただきます)

A氏は、テレビゲーム登場以前、アミューズメント産業といえば遊園地のことを意味した時代からの業界ウォッチャーで、まさに生き字引のような方でした。大手ゲームメーカーの役員の方たちの自宅の電話番号までご存知で、とてつもない人望と人脈を持った方でした。

A氏はアミューズメント業界=ゲームセンターの運営やゲームセンター用のマシンについて精通していましたが、「新しく登場したコンシューマ業界=家庭用ゲーム業界のことは、よく知らない」。そうご謙遜なさって、家庭用ゲーム業界のことについては、私をよく取材してくださり、『月刊アミューズメント産業』誌に寄稿の場をいただいておりました。

アミューズメント産業が成長する過程で、通過しなくてはいけなかったダークサイドな部分をよくご存知で、知る人ぞ知る「中日スタヂアム事件」の真相を教えてくださったのはA氏でした。しかし、氏はゴシップライターではありません。巨大な山のように持っている“影”の知識があるからこそ、逆に“光”ある理想を求める出版社役員兼編集記者でした。

A氏とお話をすると、この方は自分が属す業界を真剣に想っていることが、一瞬でわかります。A氏は「アミューズメント業界」とも、「ゲーム業界」とも言わないのです。必ず「ウチの業界」と言います。

場所は東京・渋谷、道玄坂交番近くの割烹でした。
ある夜、A氏が私に諭してくださいました。

A氏「平林くんも、モノ書きをやっているんだったら、『消しゴムで書く』って教わったことがあるだろう」
私「消しゴム? ですか?」
A氏「ほら、記事を書くときに、まず、『これはニュースだ』と原稿に書く。その後に、誰がどこで何をしたかを書く。書き終えて、ああ、本当にニュースになっているなと思えば、その記事は良し。『これはニュースだ』の部分を消しゴムで削ればいい。でも、その記事が『これはニュースだ』の続きにそぐわないようであればボツにする……」
私「あ、本で読んだことがあります。自分でも意識しています」
A氏「では、批判記事を書くとき、『これはニュースだ』のかわりに冒頭に何と書く?」
私「…………(沈黙)…………」
A氏「『ウチの業界のために言えば』と冒頭に書くんだよ。その後に、業界に警鐘を鳴らす記事や、企業の姿勢を批判する記事を書く。マシンの不出来を指摘してもいい。で、それが本当に業界のためだと思えば良し、そうなっていなければ自分でボツにすることだな」

これがA氏からたくさん頂戴した財産のうちのひとつです。

かつては業界に警鐘を鳴らす記事を書いていた私ですが、「ウチの業界のために言えば」、今になって危機感を煽るようなことを書くのは意味のないことです。にもかかわらず、そういう記事をよく見かけた今年の夏、いくばくかの怒りが私の体内を駆けめぐります。

そんな感情があるので……上記引用部分……「読む価値がない」の文末のみ、あえて統一性を崩して、文章の全体のうち、唯一「です・ます調」を使っていません。

次です。

この10年間、いや、この産業が誕生したときから、ゲームデザインとは「を・にする」の道を歩んできました。

「テニスをゲームにする」「レースをゲームにする」「射撃をゲームにする」「犯人探しをゲームにする」「野球をゲームにする」「剣と魔法の戦いをゲームにする」「都市計画をゲームにする」「太鼓を叩く行為をゲームにする」……。何かの題材が一定の手順によって、ゲームにされてきました。この創造プロセスのことを私は「『を・にする』の工程」と名づけました。

未来はどうなるのでしょう? 「『が・になる』の時代」がやってくるでしょう。また、そうなってくれることを望みます。「○○がゲームになる」のです。空欄部分○○には、創造力豊かな次世代のゲームクリエイターが、いろいろな言葉を入れてくれるでしょう。「放送がゲームになる」「CO2削減がゲームになる」「住宅がゲームになる」「映画館がゲームになる」……。

プラットフォームの中に閉じ込められたものがゲームではありません。情報・通信・技術が、爆発的な進化をするであろう2011年以降、「社会のいろいろなものがゲームになりたがっている」「日常生活がゲーム化していく」とはいえないでしょうか。


もうひとりは、『ポケットモンスター』シリーズの作者であり、株式会社ゲームフリーク社長の田尻智氏です。

私が出版社の編集者時代、彼とはよく仕事をしました。彼の連載コーナーを担当し、単行本の担当者もやらせてもらいました。こうした日常の仕事のなかで、テレビゲームなるものの真髄を教わりました。ゆっくりと、丁寧に言葉選びをしながら、わかりやすいうえに、含みもある……田尻智氏の言葉は、心にジンジンと響きます。

ある時、彼と話をしていて、天界には「ゲームの神」がいて、その神の使徒として、この人は私に何かを訴えているのではないか? とさえ思ったことがあります。

A氏が「ウチの業界」と言うのと同じように、田尻智氏とゲームをしていると、彼が抱いている尋常ではないテレビゲームへの愛情がすぐに伝わります。

ゲーム機のコントローラを持つときも、遊び終えて机に置くときも、両手で静かに上げ下げするのです。その時のコントローラは、テレビモニターに対して平行になっています。まるで、茶道の達人が、茶器を扱うがごとく、田尻智氏はゲーム機のコントローラを扱うのです。

その彼に教わりました。「ゲームは動詞である」と。
『パックマン』は食べるゲーム、『ディグタグ』は掘るゲーム……。
という着眼点を持った彼は、学生時代、授業中に辞書を開き、動詞を選び、その動詞からゲームを発想する訓練をしていたそうです。

こうして生まれたのが、彼のデビュー作、床を“めくる”『クインティ』であり、その延長線上にモンスターを“集める”“交換する”『ポケットモンスター』があるといえます。

田尻智氏から教わったことなくして、私は「『を・にする』の工程」という発想を持ちえなかったでしょう。

ところが、「ゲームは動詞である」と言っていた彼のオフィスを訪ねると、風景が変わっていてビックリしたことがあります。社内のいたるところに小型テレビが置かれていて、受信できる全チャンネルが放映されていました。

時は『ポケットモンスター』(赤・緑)が発売された後なので、まだ90年代のことです。
このときすでに彼は、「今、ボクはテレビに興味があるんですよ。テレビ、放送ってもっとおもしろくできると思って、会社にテレビを置きまくりました」と説明してくれました。

まだ、デジタル放送が騒がれてもいない時代から、彼はそんな慧眼を持っていたのです。「『を・にする』の工程」のヒントをもらったのと同様に、「『が・になる』の時代」を、今、私が予見するのも、田尻智氏から学んだことだと思っています。

今回、私が書いた文章は、いや、私が文章を書けたのは、ふたりの恩人と巡り合えたお陰です。

最後に、恩人などと言いながら、A氏と田尻智氏には何のお断りもなく、本稿を書かせていただきました。
失敬をお詫びするとともに、私の記憶違いなどございましたらご指摘ください。

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  • 2010/09/10 12:52
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