Hisakazu Hirabayashi * Official Blogディスクシステム興亡史(1)

ディスクシステム興亡史(1)

漠然とではありますが、明日からは東京ゲームショウのことを書くのかな、と思っていました。ところが、昨日、Twitterでこんなことこんなことこんなことをツイートしたら、予想外の反響がありまして、気が変わりました。

そうだ、ディスクシステムの話をしよう。
当たり前のことですが、25年前のできごとを実体験として見てきた人は、ゲーム業界でも少なくなりました。

東京ゲームショウの情報は、他のサイトでも大量に報じられるでしょう。
私は、あえてこの時期に、ディスクシステムのことを書くことにしました。

ひねくれ者の思考かもしれませんが、今、ディスクシステムとは何だったのか? について整理しておくことは、案外と大事なことかもしれない。今年の出展で注目される「プレイステーション・ムーブ」や「キネクト」……。家庭用ゲーム機の周辺機器ビジネスについて、間接的ではありますが、何かのヒントにしていただければ幸いです。

また、読み方によっては、今、しきりに論じられている電子書籍と流通の問題などに、相通じるものもあるかと思います。

既存のゲーム企業が、ネットワーク・ビジネスで出遅れてしまい、ソーシャル・アプリの台頭を予想できなかった一因として、家庭用ゲーム機と「通信」が断絶してしまった、ディスクシステムのトラウマがあるかもしれない、と深読みすることもできるでしょう。

以下、ご紹介するのは、92年頃に私的につづった未発表の原稿です。
面白半分で、ディスクシステムの登場を「聖戦」と呼び、気取って「興亡史」のまねごとのようなことを書いております。

長文が続きますが、おつきあいください。
なお、東京ゲームショウのレビューについては、平林久和「ゲームの未来を語る」の第2回として9月21日の公開を予定しております。(2010年9月15日現在)

では、行きます。
ディスクシステム興亡史(1)




■ドライブではなくシステム

ディスクシステムは、大まかにいってふたつの部品からなる。
まずは、アダプター。ファミコン本体のロムカートリッジ差し込み口に、カセットと同じ形をした黒い接続部品をはめ込んで、ディスクソフトをファミコンを通して読み書きできるようにする装置。言ってみれば、ファミコンとのつなぎ役をするのが、このアダプターの仕事である。

そして、赤と黒のコンビカラーの箱が駆動装置。どこの家庭でも、たいていはファミコンの下に置かれた。特大の弁当箱のような形をしている。この箱にディスクカードを入れると、内部で磁気ディスクは回転し、プログラム・データはアダプターを経由してファミコン本体へと届く。

ディスクシステムは装着すると、前後左右の本体寸法がファミコンとピタリと合い、まるでファミコンをサンドイッチのようにはさみ込むスタイルになる。

これらふたつの部品からなるディスクシステム。このような装置は、パソコンの用語では「ディスクドライブ」と呼ばれる。だが、任天堂はこの機器のことをディスクドライブとは呼ばずに、……ディスクシステムと呼んだ。もし、任天堂がコンピュータ用語の慣例にならって「ファミコン・ディスクドライブ」とでも命名していたなら、世間はあれほど騒がなかっただろう。

けれど、任天堂はどうしてもこの装置を、ただのディスクドライブに終わらせたくなかった。ファミコンの地位を揺るぎないものとする、システムにしたかった。

以下述べることは、ドラマティックにデビューし、静かに消えていったディスクシステムの興亡史である。

■1985年9月……[聖戦の開始]

任天堂がディスクシステムの構想を発表したのは、『スーパーマリオブラザーズ』が発売された直後の1985年9月のことだった。任天堂は店頭で品切れするほど順調に売れているファミコンであったが、ディスクシステムによって、その地位をさらに強固なものにしようとしていた。

任天堂はとてつもなく斬新、かつ急進的なビジョンを、まだ「業界」として固まりきっていないゲーム業界にむけて告げたのだった。

当時、隆盛をきわめていた任天堂は、守勢にまわることを何よりも嫌った。「攻撃こそ最大の防御」だと考えている。ファミコン帝国繁栄のすべての源である――ゲームのおもしろさ――を拡大するために、任天堂はディスクシステムによって聖戦をしかけたのだった。

任天堂はこの聖戦の勝利を確信していた。
ディスクシステムは、以下述べる4つの魅力を持っていた。

◇第一の魅力〔ライタブル/セーブ機能〕
磁気ディスクを使ったディスクシステムなら、プログラムデータの書き込みができるという利点があった。

ロムカートリッジの「ROM」は、Read Only Memolyの略。ロムカートリッジは、ソフト内部の情報を一方的にハード→モニター→プレイヤーへと流すことができても、プレイヤーからの書き込みはできない。これがファミコンソフトの弱点だった。だが、ディスクシステムがあれば「ソフトに書く」ことができる。

具体的には、プレイヤーが途中まで進めたゲーム経過のデータを保存することなどが簡単にできる。ゲームプレイヤーはもう『スーパーマリオブラザーズ』の前半のステージを、ワープで飛んでプレイを省略する必要はなくなり、「昨日の続きから」ゲームを始めることもできる。

ゲーム経過を保存の効用は『スーパーマリオブラザーズ』だけにとどまらない。それ以上に、長い物語がある思考型ゲームには、セーブ機能が不可欠だとされていた。言い換えれば、ストーリーがあり、何日間もかけて解くような思考型ゲーム(ロールプレイングゲーム・アドベンチャーゲームなど)がないファミコンは、当時のパソコンに決定的に劣る点でもあったわけだ。このウィークポイントは、ディスクシステムがあれば克服できた。

◇第二の魅力〔書き換え〕
磁気ディスクなら書き込みができる――という原理を考えれば、ゲーム途中の記憶ばかりか、ゲームソフトを丸ごと書き換えてしまうことも可能、ということだ。

もちろん任天堂は、それを可能にしようとした。任天堂はディスクソフトに飽きたなら、ゲームの全データを書き換えて、また別のゲームを楽しめる書き換え制度を導入するとも発表。さらに、一回の書き換え利用料金は、500円という破格ともいえる低価格に設定されていた。

◇第三の魅力〔製造コスト〕
磁気ディスクはロムカートリッジに比べて、はるかにローコストで製造できる。また需給バランスが不安定な半導体とは違って、磁気ディスクは市況によって価格が変動することがない。さらにロムカートリッジの場合だと、数カ月かかる製造期間が、ディスクソフトなら約一カ月前後でできてしまう。……などのように、ディスクシステムは供給者側のメリットも多かった。

製造コストダウンの結果、ゲームソフトの市販価格は当時のロムカートリッジの、ほぼ半額の2500円程度で販売できるようになる。もちろんユーザーにもメリットがある。

◇第四の魅力〔メモリー容量〕
もうひとつディスクシステムが魅力的だったのは、メモリー容量の違いである。そのソフト容量が、かの傑作ソフトを引き合いに出して「その容量はなんとスーパーマリオの3倍!」と喧伝されることになった。

▽  ▽  ▽

任天堂は、ディスクシステムによって、当時のファミコン帝国のもろい点をすべて補おうとした。そして今後起きるであろう諸問題を、この聖戦で一気に解決してしまおうとした。

そのために任天堂は、ディスクシステムの魅力を動かしがたいものにする、さらなる決め手を用意していた。

■1985年9月……[将来もたらされる三つの未来像]

決め手とは通信である。
ディスクシステムの背後には壮大な計画があった。

任天堂は、NTTという大軍との同盟(提携)によって、全国にあるファミコンを電話回線とつなごうとしていたのだ。ちなみにNTTは、ディスクシステムの構想を発表する約半年前の1985年4月から民営化されている。

ファミコンと電話回線とがつながると、ディスクシステムが切りひらく新天地では、どんなことが起きるのか?

◇第一の未来像〔電話で書き換え〕
電話回線は、声ばかりではなくデジタルデータを送信できる。そのためディスクシステムは、ホストコンピュータと結ばれた瞬間から、端末としての機能を持つことになる。ディスクシステムは、ゲームソフトであれ何であれ、ホストにあるプログラムの受信装置になれるのだ。

任天堂はこの機能を使って、「書き換え」をやろうとした。新しいゲームは電話回線を通して届けられる。ディスクシステムは、データを受信し、古いソフトを書き換えてくれるのだ。すなわち、ディスクシステムのユーザーは、家にいながらにして、しかも500円という格安料金(通信料を除く)で、次々と新しいゲームソフトが遊べるというわけだ。

◇第二の未来像〔通信ゲーム〕
端末同志が同時にゲームに参加するようなこともできる。いわゆる通信ゲーム、ネットワークゲームの楽しみが、ファミコンでも現実のものになるとされていた。

たとえば野球なら投手と野手、将棋や囲碁なら先手と後手に分かれて、見知らぬ者同志が対戦できる。あるいは、ハイスコアを競うコンテストや、複数の主人公が登場するロールプレイングゲームなども、通信ゲームの世界では夢ではない。ファミコンが電話とつながると、ゲームのおもしろさがまったく新しい次元に広がるとPRされた。

◇第三の未来像〔他の用途への応用〕
さらにディスクシステムが電話回線でつながれば、ファミコンはゲーム以外の用途にも使われるようになる可能性がある。株の在宅取引、ホームバンキング、オンラインショッピング、在宅チケット予約……当時、しきりに実現が望まれていたニューメディアが、ディスクシステムによって一気に普及・実用化するかもしれないともいわれた。これは任天堂が積極的に発表したものではなく、当時の経済誌などは、そう予測した。

■1985年9月……[退路を断つ]

現状を改革する魅力的なスペック、将来楽しみなネットワーク端末としての機能……。ディスクシステムには、明るい光が差していた。

新天地を目指す任天堂は、決死の覚悟でのぞんでいる。任天堂は、ディスクシステムの構想とあわせて今後の自社のソフトの戦略についても明らかにしたのだが、その意気込みは真剣そのものだった。

「85年11月に発売される『マッハライダー』をロムカートリッジの最後の作品とし、以後のソフトは、すべてディスクソフトに切り替える」と宣言したのだ。しかもディスクソフトは、「ほぼ一月に一本のペース」でリリースするとも。

ファミコン帝国のリーダーは、全構成員に態度で示したのだった。
「ウチは本気でディスクシステムに取り組むんだよ。ディスクとロムカートリッジの二股かけるような中途半端なマネはしないのだ」――と。

(つづく)

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