Hisakazu Hirabayashi * Official Blog広報する側も、取材する側も

広報する側も、取材する側も

Kotaku Japanで、このブログで書いたことやTwitterで語ったことが、記事になることが続いておりまして、最近はこんなことが取り上げられました。

文中にある、吉田味庵(旧ジャンクハンター吉田)さんは、私が出版社の新入社員だった時に、編集部に遊びに来ていた中学生! 以来の仲で、指折り数えれば四半世紀のつき合いです。確かmixiがサービスインしたときに、最初にマイミクになってくれたような。そんな気軽さもあって、つい、横入りしていて、この記事のような流れになったのでした。
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ええ、ここで私がツイートしているように、広報ではなく狭報というのは、ずいぶんと昔から訴えてきてことなのです。

ですが、広報の方が一方的に悪いという話ではなくて、取材する人、編集者側にも改善すべきことはあると思っていて、つまり、双方の問題。そんなことを書いた、昔の原稿を蔵出しします。本の企画に合わせたこと、私も若かったこと、そのせいか、文体も論の運びもトゲトゲしいです。1995年に発行された、別冊宝島『雑誌のウラ側すべて見せます』に寄稿した原稿の一部です。

冒頭にありますように、「攻略法の記事をつくるのは大変そう。そのウラ側を書いて。仮タイトルは『ゲーム雑誌残酷物語』」というお題だったのですが、自分で内容を変えてしまったところから記述がはじまります。




 ゲーム雑誌のウラ側を書いてくれ、と編集部は私に言う。
「攻略法の記事とかをつくるのって、徹夜の連続で大変なんじゃないですか? そういう場面を具体的に」とリクエストされる。
 
 うーん、と考え込む。ここは素直にリクエストに応じようか。それは簡単なこと。けどやめることにした。まだ自分の心の中には良心のかけらは残っている。

 ホンネを言えせてもらば、申し訳ないけど「ゲーム攻略に悪戦苦闘!」なんて、ゲーム雑誌の舞台裏じゃないと思ってる。むしろ表舞台である。

 ゲーム雑誌で働く多くの若い人々は普通の人では考えられないレベルでゲームが好きだ。そのゲームが寝ないでできて、お金になって、しかも自分のプレイのしかたを全国の読者に見てもらうことができるのだから、悲しい舞台裏でもなんでもない。

 一般の人から見れば、攻略記事をつくる職業ゲーマーたちの生活は常軌を逸している。
月曜日に出社するときにリュックサックを持って会社に来る少年がいる。泊まり込んでゲームを解くための週末までの着替えが、そのリュックサックには詰まっている。
 
 ドラッグ(?)を頼りにする若者もいる。やたら刺激の強い目薬、ユンケルに代表される滋養強壮剤、それにエスタロン・モカのような薬用カフェインが、さしづめ彼らの三種の神器だろうか。これらを常用して彼らはゲームと格闘している。
そういえば、自分の結婚式にゲームが解けなくて出席できなかった奴もいたっけ……。

 はたから見れば悲惨そうな話はいっぱいある。
 けれど、彼らはそういう暮らしが楽しそうである。それを安易に残酷物語とは呼びたくはない。むしろこういったエピソードを残せることは、彼らの喜びでもあり、ある種の武勇伝ともいえるのだから。

では、何が残酷物語なのか? 本当の舞台裏を知らないで、ゲーム雑誌を真剣に読んでいるのがあなただとしたら、それこそあなたが残酷物語の主人公だ。

 ゲーム雑誌の表紙には大きな文字で書いてある。「スクープ!」「独占情報!」「徹底攻略!」と。だが本当にそれらを額面通りに受け取っていいものなのかどうか? 否である。表紙を踊る、こんなあおり文句の餌食になってはならない。ゲーム雑誌の特集記事は、どうやってできているのだろう? 舞台裏で起きていることは何? それは「談合」の二文字に集約される。

 およそ日本にある「業界」というやつは、すべからく談合的体質を持っている。ゆえにことさらゲーム雑誌の業界を悪く言うつもりはない。だがスタッフの平均年齢は二〇代後半、業界も若くて、新しくて、デジタルで。しかも子供たちが読むゲーム雑誌が、臆面もなく談合体質によってつくられているところに、やり場のない憤懣がつのるのである。そして少しばかりのおかしさも感じる。どうしてこんなことになったのだろう?

 しかたない。この原稿を書きはじめた以上、自分自身の矛盾多き人生を振り返ることにしよう。

今から13年前のことである。当時はファミコンブームと言われ、任天堂のファミリーコンピュータのソフトが軒並みミリオンセラーを記録している時代があった。この頃にゲームソフトの攻略法を載せる出版物が出現した。
 
 テレビゲームを一度でもやったことがある人ならばわかると思うが、思うようにゲームが進行しないというのは、イライラして神経を逆なでするものである。そんな人々を対象にすっきりとゲームを進めてもらおうと、解法のヒントやデータをぎっしりと詰め込んだのが攻略本である。

 つまりゲームの攻略本は人間の本能を満足させるために考案された。この手合いの本はよく売れる、と相場は決まっている。

 85年の2月に出た「『ドルアーガの塔』のすべてがわかる本」(アスキー刊)が、商業出版におけるゲーム攻略本のすべてのはじまりだった。この書籍がたちまち30万部売れてベストセラーとなると、それから続々とゲームの攻略本が出版されるようになった。

 同年9月には、のちに500万本以上も売れることになるファミコンソフト『スーパーマリオブラザーズ』が発売された。この超ヒットゲームの攻略本は、出版関係者も驚くほど売れ、その年に発刊されたすべての書籍のなかでも売上部数第1位に輝いている。

 確か、同年の一般書部門では、アメリカ自動車業界の巨人の評伝『アイアコッカ』がベストセラーだったが、スーパーマリオの攻略本は、その10倍近く売れていたはずである。こうしてゲーム出版市場が、中華鍋の底のように熱かった時代に約10社の出版社がゲームの専門誌を創刊させている。

 この頃にしてすでに、ゲーム雑誌の談合体質は生まれるべくして生まれた。
 たとえば、あるソフトの攻略法を目一杯載せたいのは出版社サイドである。そうすることによって、ゲームが解けずにいらだつ読者を獲得できると計算している。

 対するゲームソフト会社は、ある程度までなら攻略法を書かれることを歓迎する。それが「ページを取る」ための早道だからだ。されど、すべてを書かれてしまってはゲームの楽しみがそがれることになるので、そこには何らかのボーダーラインを引きたい。

 こんな事情があるなか、自然発生的に生まれたのが「規制」という概念だった。雑誌に掲載してよい範囲をゲーム会社が「規制」して、それを出版社は承諾して記事を編集するのである。

 ゲームソフト会社は新作ソフトをリリースするたびに「規制」を書いたシートをつくり、それを取材に来た編集者に手渡す。そんな慣行が生まれた。そこには、何を書いてはいけないか、何の写真を撮ってはいけないか、その期限はいつまでか、等々が微に入り細に入り書いてある。たいていそれは税金の取り立てのように横柄な文面であることが多い。

 ところで出版社がそれを承諾するとは、具体的にどういう行為を指すのだろう? 
 完成前の原稿(ゲラ/校正刷り)をメーカーに提出することを意味する。ジャーナリズム論に深入りしたくないが、この行為は言論人の権利放棄にほかならない。表現の自由・報道の自由のかけらもない。雑誌が売れて、情報提供先から怒られないで、また新作の情報が入手できれば、何をしてもいいということである。

 自社の生存を第一に考えるこうした雑誌のつくり方、公共事業を順番に受注するのと何の変わりがあろう。まさに談合だ。

 何を隠そう、当時はこうした談合に身をゆだねていたゲーム雑誌編集者のひとりだった。私自身が出版人としての魂を売っていたのである。

 でもそれを正当化する論理と、誇りだけは失ったことはなかった。私は出版人としては失格かもしれない。けれどゲーム業界人としては、ギリギリの線で許される行為をしている、と強引に気持ちを整理していた。

 出版社がゲームソフトを雑誌に載せて紹介する。されどすべてを載せるわけではなく、商品と市場を破壊しない配慮をする。こうやってでないと、ブームはいつ終わるやも知れず、先行き危ういゲーム産業は、続いてはくれないだろうと思いこんでいた。つまり当時出版社に勤務していた私だったが、不遜にも「出版の神様」を裏切りながらも、「ゲームの神様」には操を立てたつもりでいたのだ。

 今、振り返るとそんな自虐と自尊が交錯した心境で、日々、ゲーム雑誌の制作にかかわっていた。だが冷静に考えてみれば、これぞまさに談合屋の苦悩と論理である。つまり私自身が23歳の頃から、バリバリの談合屋として働いていたということになる。

 けれどそんな談合屋稼業を、喜んでやっていたわけではなかった。いつかは変わってくれると思っていた。矛盾のなかから生まれたゲーム雑誌の談合体質は、私の計算では、時間がたてば少しはマシになっていくはずだった。

 お互いに信頼関係が育まれ、業界が成熟すれば、ゲーム会社の広報マンが編集者に面と向かって「ハイ、これが規制書ですからよろしく」とか「ところでゲラはいつ出ます?」とかという、ワシントン・ポストの記者が聞いたら告訴しそうな恥ずべき会話は消えてなくなるものだと思っていた。

 だが実際はそうはならなかった。
 現実はもっと悪いほうに向かっていった。
 
 当時のゲーム雑誌とゲーム会社の広報は、泥縄式に人を増やさざるをえなかった。
 ゲームソフトそのものがよく売れた良い時代だったから、ゲーム雑誌は次々と創刊された。既存の雑誌も月刊は隔週刊に、隔週刊は週刊に、というように発行サイクルを短くする傾向も顕著になった。
 
 そうなると極端な話、ゲームがうまければ取材をしたことがなくても、文章を書いたことがなくても、ゲーム雑誌の編集者かライターになれてしまった。誇張や比喩ではなく、事実そうだった。

 ゲームソフト会社の広報も似たようなものである。一旦「規制」の慣習が生まれてしまうと、ゲームソフト会社に異変が起きた。

 「規制」はゲームソフト会社のオフィスを混乱させたのである。ファックス用紙の洪水がオフィスを襲った。各雑誌編集部から、吹き出る水のような勢いで掲載予定の記事校正が流れてくる。ゲームソフト会社は、それを回避するのに大わらわだった。
 
 前述のようにゲーム雑誌の数は、発行サイクルの短縮も含めて増えていくいっぽうだった。加えてゲームソフト会社自身も、昨年よりも今年、今年よりも来年……と歯止めなく発売するゲームタイトルを増やしていった。
ファミコンブームはすでに去り、「出せば一〇〇万本」という熱病にうなされたような時代はすでに終わっている。だが市場に余熱は残っていたから、ゲームソフト会社のほとんどは「多品種少量生産戦略」に走ったのである。ビッグヒットがなくても、発売タイトル数で稼げ、というわけである。

 それらソフトが雑誌で紹介されれば、当然、おびただしい量の掲載予定記事がファックスで流れてくるようになる。ゲームソフト会社は、尽きずに流れてくるファックスのチェック係が必要とした。「規制」を超えた掲載をしていないか、それを逐一校正していく作業が求められるようになったのだ。

 だがそういう仕事をする人々が集まるところを、まさか「ファックスチェック部」と呼ぶわけにはいかなかった。それでは会社としてかっこうがつかない。したがってその人たちがいる部署は、他業種の例にならって「広報部」と呼ぶことにした。

 ゲーム雑誌の編集者は、ジャーナリストの素養があるかどうかは関係なく採用されていたのと同様に、ゲームソフト会社の広報マンは、パブリック・リレーションの知識とは無縁の次元で採用されていた。

 企業を広く報じるのが本来の広報の仕事だが、ゲーム業界では情報を規制するのが広報マンの日常的な仕事となった。下手な言葉遊びをすればそれでは「広報部」ではなく「狭報部」になってしまう。でも実際にそうだった。彼らの意識の根底にあるのは「規制」の管理人としての職業意識だった。
 
 こんなドタバタ劇のなか集まった人々が多かったから、お世辞にもゲーム業界のマスコミ人たちは、レベルが高いとは言えなかった。そもそも苦肉の策として、矛盾をはらんでスタートした「規制」という慣行。それに対して疑問を差しはさむような空気はなかった。
 
 担当広報マンがうっかり忘れていると、編集者のほうから「ところで規制はどうなっているんですか?」と聞き返すのが、ゲーム雑誌業界では、当然であるがごとくのビジネス・エチケットとなった。お笑いぐさである。

 ゲームソフト会社の広報マンたちも、入社した後もきちんとした「企業広報とは」の勉強など受ける機会もなかった。仮に優秀な人物が入社しても、先輩社員の言うがままに働くうちに悪いフォームが身についた。

 記事と広告の区別もつかぬまま、掲載予定記事に非常識なクレームをつけることは往々にしてあった。たとえば新作ソフトの紹介記事にネガティブな言い回しがあったりすると、「削除しろ」みたいなことを広報マンたちは平気で言う。

 けれど彼らには言い分もあって、「ライターさんの文章を読んでうまいと思ったことがない。だからこっちで口を出すんです」。この気持ちもわかる。

 雑誌記事なのに、ニュースリリースを丸写しにした記者がいた。広報の方が「ニュースリリースとまったく同じじゃないですか?」と問うと、「えっ? 一緒ではいけないんですか」と信じられない答えが。つまり、どっちもどっちもなのである。



以上、です。
文中に出てくる『アイアコッカ』は、米・自動車メーカーのフォードを解雇されたのちに、ライバル会社のクライスラーを再建した人物です。


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  • 2013/01/27 03:01
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