Hisakazu Hirabayashi * Official Blog義父の死

義父の死

  • Day:2011.03.07 12:15
  • Cat:私…
3月4日の深夜、義父が他界いたしました。
昨年から入院しておりました。
家族には1月に危篤の報が入り、医師からも「2月までと」余命を宣告されておりました。

この私事によって、平素おつきあいのある皆さまに、ご心配・ご迷惑をおかけいたしました。改めてご配慮をたまわりましたこと、お礼とお詫びを申し上げます。

義父は大阪生まれで、大阪府庁に勤める公務員でした。
世間で言うところの、堅物でした。

しかし、私の思い出は、なぜかまろやかな温もりがある義父でした。
妻と結婚して、一年後、私は出版社を辞めて独立することになります。
奈良市の家に挨拶に行きました。28歳のときです。

独立した後に私がはじめる仕事は、ご存知のように、テレビゲームにかかわることなのですが、事業計画など無いに等しい。今にして思えば、空回りした情熱があるだけです。

ゲームビジネスは、巨大産業になろうとしていますが、コミュニケーターを必要としています。その役目を私が果たします。「ゲーム業界」と「他業種」、「文系人間」と「理科系人間」、「経営者」と「開発者」がインタラクティブな交流を持ってもらうための存在になる。そのために社名は株式会社インターラクトにしました。

私は夢中になって話をします。
義父にはまったく理解のできない話を私はしていたのでしょう。
その時に、隣にいる妻が助け舟を出してくれました。
「パパ、この人は何をしてもやっているから大丈夫だから」と。

その瞬間に義父の表情が変わりました。
長女の一言が義父を安心させたようでした。

義父は一転して、自分自信が大阪府の公務員でありながら、そのキャリアを捨てて、民間企業に勤めたこともあることを例に出し、安全な傘に守られているばかりが仕事ではない、と語ってくれました。無謀とも思える私の独立を応援してくれました。

義父は文学部の出身で、歯切れよく、語彙が豊富で、格調の高い文を書く、私が言うのもなんですが名文家でした。

年末など、たまに会うと、どこで読んだのか、私が書いた文章の言葉づかいの間違いを指摘してくれることもありました。

大阪府庁を退庁後は、団体の理事職につくのですが、その会報誌の巻頭言を、毎号工夫を凝らして書いていました。妻の実家に行くと、その文章を私に読ませてくれ、じっと感想を待つのです。年下のライターではありません。義父に向かって「文章うまいなー、才能あるよ」と言うわけにはいきません。

「お父さん、情緒的な文頭が、中盤で論理的になり、起承転結を明快に読者に伝えて、最後は心に訴えるように締める、さすがですね」

などと、いかにも編集者が作家先生の原稿をいただいたかのような感想を述べると、満面の笑みを浮かべてくれました。

義父は自分が書いた文章を、私に読ませることを好んでいました。
私も義父の文章が好きでした。

入院中に、見舞いに行ったときでした。
肺炎で入院したため、自身で呼吸ができずに酸素マスクをつけていました。
しかし、どうにも酸素マスクが邪魔なようで、無意識のうちに手で払いのけてしまいます。医師が、いたしかたなくとった措置は、手をベッドにくくりつけることでした。

あの元気だった義父がこんな姿に。
身体は痩せ、顔は色白い。
ゴルフ好きでエイジシュートを狙っていた頃の姿とは大違いです。

呼吸ができずに話ができない義父が横たわっています。
ですが、私たちがいるので、くくりつけられた手をベッドから離しました。
すると、手を宙で動かし、筆談をしたいそぶりを見せたのです。

近くにあったノートとペンを渡したら、それこそミミズがはうような文字で、「くれぐれ ごめん」と書きました。達筆にして名文家だった義父が、体力を使い果たすようにして書いた、たった7文字でした。

泣けてきました。義父の手を握ると、強く握り返して笑ってくれました。私は、字が書けない義父が痛ましくてしかたないのですが、しばし無反応だった夫が、筆談をし、笑顔を浮かべたことを、義母は「良くなってきた」と喜んでいます。その言葉がまた涙をそそります。

3月4日。
来るべき時がやってきて、家族・親類・縁者に囲まれて、義父は永眠いたしました。
「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す」と言います。

義父は生前に書いたさまざまな文章に名を残し、その他の地域活動でも名を残しています。ですが、21世紀の今、父の名をインターネット上に刻みたいと思います。

平成23年3月4日に永眠した私の義父の俗名は河井雅信といいます。
享年81歳。
名もなき老人の死のように思われるかもしれませんが、その道では知られた長男と長女がいます。長男は映画プロデューサー・河井真也で、長女は女性ファッションのスタイリスト・河井真奈です。

堅実な道を歩んできた父とは違って、目立つ世界を歩む子供たちに囲まれたのは、なんという皮肉なことなのでしょう。次女とその夫も映画会社で知り合い結婚をしました。そして長女の夫はゲームアナリスト。

告別式の弔辞で読まれました。
「息子や娘がメディアに載っても、『悪いことをして犯人になっていないだけマシや』と言っていました。ですが、これは故・河井雅信様らしい喜びと応援の気持ちを裏返しにしたメッセージなのでしょう」。

私は「くれぐれ ごめん」の7文字を、言語を大切にせよ、との遺言と受け止め本日から仕事に復帰します。

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  • 2011/03/07 16:23
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