Hisakazu Hirabayashi * Official Blog写すのは瓦礫の山まで、という暗黙の了解

写すのは瓦礫の山まで、という暗黙の了解

香田証生さんを覚えていますか?
イラク日本人人質事件で、バックパッカーとしてイラク戦争の激戦地に入国。
他の入国者とともに、愚かしいことをしていると非難され、「自業自得」を婉曲にした表現なのか、礫(つぶて)を投げるように、もっときつい言葉なのか。「自己責任」という言葉がよく使われました。

ところが、彼を拉致した犯行グループによって殺されると、彼へのバッシングは一気に鎮まりました。
それどころか、生前は好青年だった、などと報道されることになりました。

この手のひら返しに、私は日本人の美徳と悪い癖の両面を見ました。
美徳とは、「死者に鞭を打たないという」という自制心を強く持っていること。
悪い癖とは、死を直視しない民族性です。

今回の東日本大地震で、これでもかというくらいの自粛、自主規制が行われました。
イベント、花見、テレビCMなどなど。

でも、それを指摘することさえタブーとなっているのか、遺体をメディアに載せることが、特にテレビ報道で写すことが自主規制されているのは明らかです。復興に向けて頑張る人、奇跡的に助かったことが、バラエティとドキュメンタリーと報道をまぜこぜにしたようなトーンで報じられています。

海外のメディアは違います。
被災地に遺体があれば、当然報道すべきものとして、カメラマンは撮影をしています。
Bodiesは報道の対象です。
ところが私たちは「ご遺体」と呼ぶ文化の中で育ってきました。

私は遺体をテレビで見たいか、新聞で見たいか、と言われれば嫌です。
嫌ですが、悲惨な光景を見せられているようでいて、その裏ではもっと見るも無残な像があることへの想像力を失ってはいけないと思うことにしています。

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